インタビュー
2018.06.13
あらゆるフィールドで活躍するプレイヤー

さまざまな節目の年、でも特別なことは何もしない――夏木マリの活動を“音楽”を軸に振り返る!

1973年に〈絹の靴下〉で歌手デビュー。80年代から演劇や映画へと活動の幅を拡げ多岐にわたって活躍中。特に1993年からすべてのクリエイションを手掛けるコンセプチュアルアートシアター《印象派》は海外でも高く評価されている。今年も米国の鬼才ウェス・アンダーソン監督のアニメ映画『犬ヶ島』にヴォイスキャストとして参加しているほか、河瀬直美監督の最新作『Vision』でも、ジュリエット・ビノシュら実力派キャストと共演を果たして話題を呼んでいる。そんな彼女のこれまでのキャリアを、活動の原点である“音楽”を軸に振り返って頂こう。

東端哲也
東端哲也 ライター

1969年徳島市生まれ。立教大学文学部日本文学科卒。音楽&映画まわりを中心としたよろずライター。インタビュー仕事が得意で守備範囲も広いが本人は海外エンタメ好き。@ba...

撮影:草刈雅之

この記事をシェアする
Twiter
Facebook

――今年はデビュー45年にあたる記念の年です。

そうなんです! でもそれだけではなくて、《印象派》を始めて25年、支援活動《One of Love プロジェクト》を立ち上げてから10年、清水寺での文化奉納パフォーマンス《PLAY×PLAY》から5年とそれぞれが節目を迎えます。たまたまなのですが、これらを全部お祝いするというよりは、特別なことは何もしないと決めました。むしろ静かに過ごしたい。これまでがとても忙しかったので、今年はいろんなことをインプットする時間をもちたいなと思っています。

――学生時代は音楽家になりたかったそうですね。

商社マンだった父が、もともと音楽評論家になりたかったというような人で、家ではクラシックのレコードばかり聴いて、自分でも少し調律の狂った古いピアノをよく弾いていました。その影響で私もピアノの曲が好きになって、将来は音楽大学に入って、ピアノや歌の先生にでもなろうかしらって漠然と思っていました。今でもショパンの《子犬のワルツ》やベートーヴェンの《月光》、ドビュッシーの《月の光》を耳にすると、とても懐かしい気持ちになります……想い出すのはいつも父の拙い演奏のほうなのですが(笑)。

――クラシック以外の音楽を聴くようになったきっかけは?

音大受験の予備校みたいなところに通っていた頃、当時はやりのグループサウンズと出会ってしまったのです。私の好きだったバンドはアニマルズとかビートルズの曲をよくカヴァーしていたのですが、無知だった私はそれを本人たちの歌だと思っていました。でも追っかけ仲間で音楽に詳しい人からオリジナルのことを知り、初めて大きなレコードショップに行くようになって洋楽に目覚めた。ヴォーカリストだと、ジャニス・ジョップリンとかいちばん衝撃を受けました。考えてみたら、あの頃からバンド形態でフロントに立つことに憧れていたんですよね。その夢が叶うのは2006年に「GIBIER du MARIE」を結成したときだから、30年以上もかかりました(笑)。

――歌手デビューは1973年、1stシングルの〈絹の靴下〉が大ヒットしましたね。

その前に本名の“中島淳子”名義で19歳のときにレコードを2枚出しているのですがまったく注目されませんでした(笑)。ジャニスのような歌手になりたかったのに現実は大違い。“夏木マリ”として再デビューしてからはいくつかヒットをとばしたりもしましたが、自分ではあまり嬉しくなかった。いわゆる歌謡曲に興味がなかったんですね。そうこうするうちに病気(低色素性貧血)で入院を余儀なくされ、復帰したときには仕事が激減していた。それからの8年くらいは暗い“トンネル時代”。表舞台からは遠ざかり、やけくそで全国のキャバレー回りのようなことばかりやりました。だから20代にはあまり良い想い出がない。落ちぶれた感じで、ふて腐れて生きていたから。エルヴィス・プレスリーのハワイ公演が世界中に生中継され、日本でもゴールデンタイムに放送されたあの伝説の夜(1973年1月14日)も、大阪の十三にある場末のキャバレーにいて、楽屋でテレビ観ながら「あ~あ私、何やってるんだろう」って虚しさを感じたのを、今でも鮮明に憶えています。

――その暗い“トンネル時代”から、どうやって抜け出したんですか?

日劇ミュージックホールでの2ヵ月間の仕事がきて、それに飛び乗ったのがきっかけです。有楽町の再開発で東京宝塚劇場の上に移転してきた同ホールのこけら落とし公演でした。実は日劇ミュージックホールといえば、レビューで踊っているお姉さんたちがみんなトップレスで名高い。そんなダンサーをバックに、私も踊りながら歌うというのは凄く勇気のいることでしたが、ずっと東京にいられるので地方のキャバレーを回るよりもいいと思ったんですね。とても不純な動機でしたが、お姉さんたちはみんな踊りが大好きでとてもプロ意識が高かったので、私もふて腐れてはいられなくなった。劇場だから当たり前のことなのですが、お客さんにみつめられながら歌うのも新鮮で……キャバレーでは歌を真剣に聴いてくれるお客なんていなかったので。まさにカルチャーショックの連続。ジャズのスタンダード・ナンバーからブロンディの〈コール・ミー〉のような洋楽ヒットまでいろんな曲を勉強して、お姉さんたちにダンスの特訓を受けながら必死で歌いました。私のやる気スイッチがやっと入った感じ。

――その仕事から映画や演劇の世界へと、どう繋がっていくんですか?

日劇ミュージックホールはとても客層が良く、後に映画《鬼龍院花子の生涯》で声をかけて下さった五社英雄監督もいらしたし、劇団未来劇場を主宰する里吉しげみさんも常連でした。そういう方たちの出会いがあって、30代から舞台の世界に。小劇団から始まり、新劇もやり、歌舞伎の演出も受け、日本を代表する演劇人たちと一緒に仕事をするようになった。あの頃は年に4本くらい舞台をやっていたので、音楽を聴く暇もなかったですね。なので80年代の音楽はほとんど知らなくて、その後パートナーの斉藤から教わりました。

――1990年には単身ニューヨークに渡って勉強されたとか。

留学というより遊学に近いものですが、事務所に申請してやっと半年間だけ時間をもらうことができました。30代後半から海外の演出家との仕事も増えて、英語をブラッシュアップしたかったのと、当時はミュージカルを凄くやりたかったから。滞在中は英語にどっぷりと浸かり、ヴォイス・トレーニングに通ったりダンスのレッスンを受けたり、ブロードウェイで《エビータ》や《キャッツ》を始め舞台を死ぬほど観て、プロデューサーなど沢山の人と会いました。慌ただしかったけれど毎日が楽しくて、とても良い経験になりました。

――そして帰国後、いよいよ夏木さんのライフ・ワークとなる《印象派》のシリーズを1993年からスタートさせます。

誘われるままに演劇の世界に入り、才能ある方々に恵まれて声をかけていただき、それに全力で応えながら一緒に仕事をしてきたつもりでしたが、だんだん自分の中で演劇というものが混沌としてきて、わけがわからなくなっていることに気がついたんです。ニューヨークでひとり自己と向き合った経験も影響してか、集団から飛び出して自分一人の身体表現で何かできないかと思うようになった。舞台空間も好きだけれど、それと同じくらい自分は音楽が好きだってことを思い出して、だったらその2つを融合してみようって。それで、私にヒット曲が沢山あれば中島みゆきさんの《夜会》のような音楽劇もできるのだけど、そうではないので先ず音探しから始めようと思いました。

――その《印象派》のための音探しについて詳しく教えて下さい!

ありとあらゆる音楽を聴きましたが、いちばん好きなのは現代音楽。当時、渋谷にあったHMVのような大型CDショップの現代音楽コーナーに通い詰めて試聴機をチェックしたりして、山ほどCDを買い込んで片っ端から聴きましたね。それこそシェーンベルクに始まり、ジョン・ケージからベリオ、タンドゥン、モンク……なかでもフィリップ・グラスやスティーヴ・ライヒに代表されるミニマル・ミュージックに魅了されました。特にライヒ! 彼の音楽の反復を聴いていると非日常の世界に引き釣り込まれるような不思議な感覚に陥り、しかもその繰り返しに少しずつ微妙なズレが生じていくのが非常に美しいと思いました。映画《ピアノ・レッスン》の甘美な音楽で人気を呼んだマイケル・ナイマンも好きでしたし、とにかく現代音楽って私にはとても心地よく、今まさに新しい音楽が生まれる瞬間に立ち会っているみたいな興奮を覚えるので大好きでした。あとヴォーカルではトム・ウェイツがお気に入りでしたが、ドイツ出身の歌姫、ウテ・レンパーもよく聴きました。彼女の場合はレパートリーが素晴らしくて、ミュージカルからクルト・ヴァイル作品、マレーネ・ディートリヒやエディット・ピアフのカヴァーとドイツものからフランスのシャンソンまで、私の好きな世界を網羅しているので、《印象派》をクリエイトするうえでかなり影響を受けました。

――《印象派》はコンテンポラリー・ダンスのピナ・バウシュの舞台からも影響も受けているとか。

そう、彼女の舞台を観たときに「これだ!」って身体に衝撃が走るのを感じました。私のやりたかったことがまさに目の前にあったから。そこから私もコンテンポラリー・ダンスに傾倒して、2009年に立ち上げたパフォーマンス集団「マリナツキテロワール」は今はダンスカンパニーとして活躍しています。それにしてもピナの舞台は独自の世界観を持っていて圧巻ですね。私はストラヴィンスキーのバレエ音楽《春の祭典》が好きで、いろんな演出家による舞台を観ていますが、ピナが率いるヴッパタール舞踊団のものがとても鮮烈で忘れられません。

――ところで、プライベートではどんな音楽を聴きますか?

レゲエとかも好きですよ。私の“生涯3大コンサート”のひとつは1979年4月に新宿厚生年金会館・大ホールで行われたボブ・マーリーのコンサートです。当時はレゲエをよく知るわけでもなく、友人に誘われて聴きに行ったのですが、あれほどの会場を包み込む一体感を感じたことは後にも先にもありません、最後はみんなで大泣きしていましたね。あとは身近なミュージシャンであるノヴさんからの影響も当然あります。ベース好きなのでマーカス・ミラーのおっかけをしたり(笑)、海外の……例えばモントレーのジャズ・フェスを聴きに行ったりもよくします。

――以前書かれたエッセイによると「エンディングノート」を用意されて、葬儀でかける曲も決まっているとか。

やはり最後は自分の好きな曲でお別れをしたいと思いまして。会場ではベルベット・アンダーグラウンドやスライ&ザ・ファミリー・ストーン、そしてジャニス・ショップリンやトム・ウェイツなどを流しつつ、時々は私のオリジナルで笑っていただければ幸いです(笑)。そして棺が送り出されるときにはヘンデル作曲の〈オンブラ・マイ・フ〉の旋律で厳かに。実は“ヘンデルのラルゴ”として有名なこの曲が大好きで、普段から気持ちを落ち着かせたいとき、リラックスしたいときによく聴いています。

――最後に今年で10年目となる支援活動《One of Love プロジェクト》について教えて下さい。

このプロジェクトは、バラの花と音楽で途上国の子どもたちの教育環境の支援と、その母親である働く女性たちが誇りをもって仕事ができるようにサポートする活動です。毎年6月21日、世界音楽の日に行なうGIGと、ご賛同いただいている生花店から購入していただく“マリルージュ”というバラの花の収益を併せて、支援先のリクエストに応じて、年単位での支援を続けています。今回は10年目ということで初めてGIGの日にちを土曜日である6/16に動かして開催することにしました。今年も多彩なゲストを迎えて盛り上げます! 皆さんのご来場をお待ちしております。

夏木マリ(Mari NATSUKI)

東京・池袋生まれ。73年、『絹の靴下』で夏木マリ名義で再デビュー。歌手、俳優、演出家、プレイヤーとして様々なフィールドで活躍。2018年は、書籍「好きか、嫌いか、大好きか。で、どうする?」を刊行、主演映画「生きる町」は好評により全国順次公開中。ほか、映画「犬ヶ島」にボイスキャストとして出演、映画「Vision」に出演等。

One of LoveプロジェクトGIG 10YEARS WITH「途上国の子供達に未来の仕事を贈るプロジェクト」

■公演日

2018年6月16日(土)16:00 open / 16:30 start

■出演者

泉谷しげる、加藤ミリヤ、シシド・カフカ、Zeebra & DJ CELORY a.k.a. Mr.Beats、土屋アンナ、仲井戸”CHABO”麗市、夏木マリ(50音順)

■会 場

マイナビBLITZ赤坂(赤坂サカス内)

■料金

指定席 ¥6,000(税込)

 

東端哲也
東端哲也 ライター

1969年徳島市生まれ。立教大学文学部日本文学科卒。音楽&映画まわりを中心としたよろずライター。インタビュー仕事が得意で守備範囲も広いが本人は海外エンタメ好き。@ba...

ONTOMOの更新情報を1~2週間に1度まとめてお知らせします!

更新情報をSNSでチェック
ページのトップへ