インタビュー
2022.11.20

圧巻パフォーマンスの源  第1回 ユウトさん(PENTAGON)<前編>

歌、ダンス、演奏……超人的な圧巻のパフォーマンスで我々を魅了してくれるステージ上のアーティストたち。類い稀な才能のみならず、そこには裏打ちされた確かな技術と並々ならぬ努力がある。
そんな海外アーティストにフォーカスし、彼らのパフォーマンスの源を探っていく連載がスタート!
記念すべき第1回目のゲストは、韓国の男性グループ「PENTAGON(ペンタゴン)」のユウトさん。日本人唯一のメンバーとして、異国の地で活躍する彼のパフォーマンスの“源”について話を伺った。

鈴木啓子
鈴木啓子 編集者・ライター

大学卒業後、教育系出版社に入社。その後、転職情報誌、女性誌、航空専門誌、クラシック・バレエ専門誌などの編集者を経て、フリーに。現在は、音楽之友社にて「ONTOMO M...

撮影/蓮見 徹
ヘアメイク/KAMADA JUNKO 

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1998年1月23日生まれ、長野県出身。本名・安達祐人(あだち・ゆうと)。日・中・韓の多国籍メンバーで結成された韓国の男性グループ「PENTAGON」のメンバー。ラップ担当。2016年にデビュー。2020年にリリースした10thミニアルバム「WE:TH」のタイトル曲「Daisy」がSBS MTV「THE SHOW」で1位に。2022年2月には、「Feelin’ Like」が地上波の音楽番組(KBS2「ミュージックバンク」)で初めて1位を獲得した。

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「PENTAGON」は、アイドルに必須とされる5大能力――ヴォーカル&ラップ、ダンス、チームワーク、タレント性、マインド——すべてを満たすメンバーが在籍するという意味が込められているという。その名の通り、あらゆる才能を備えた彼らは、2016年のデビュー以降、リリースした曲は次から次へとヒット、「作曲ドル(作曲家+アイドル)」「セルフプロデュースアイドル」とも言われ、いまや韓国でもっとも勢いのあるグループのひとつとなった。

2022年9月15~17日、TOKYO DOME CITY HALLで行われた約3年ぶりの日本公演「PENTAGON 2022 LIVE IN JAPAN 〜Feelin’ Like〜」はもともと2日間の予定だったが、チケットは瞬く間にソールドアウト、急遽追加公演が決定した。日本での人気もさることながら、コロナ禍以前はワールドツアーをこなし、海外のファンも多い。そんなグローバルに活躍するグループの唯一の日本人メンバー、ユウトさんに、練習生時代から現在、そして将来のことまでたっぷりと話を伺った。

歌、ダンスともに未経験。 好きという気持ちだけで韓国に渡った

——韓国大手事務所のCUBE(キューブ)エンターテインメントから、初の日本人アイドルとしてデビューされました。どのような経緯でデビューされたのでしょうか?

僕が小学生だった頃、姉がK-POPにハマり始めて、一緒に聴いているうちに大好きになりました。当時、東方神起さんや少女時代さんが日本でデビューしたあとあたりで、初めて東方神起さんを見たときに、歌唱力、ダンスパフォーマンス、ビジュアルなどすべてが完璧で、「うわっ、なんだこれは!」と衝撃を受けたんです。それから、BIGBANGさん、2PMさん……挙げたらキリがないのですが、日本に進出していた韓国のアーティストのみなさんを片っ端から聴くようになって、とにかく夢中になりました。自分で動画を探しては、それを見ながら相当真似をしていたんです。

中学1年生のときに、韓国の大手事務所によるグローバルオーディションが日本で開催されることになって、姉が書類を送って受けることになりました。

主に韓国の大手事務所が主催する、K-POPアーティスト発掘のための世界規模で行われるオーディション

——ユウトさんが応募したのではなく、お姉さんが(笑)。

「お姉ちゃんが勝手に事務所に送って……」っていうパターンです。芸能人あるあるですね(笑)。

当時は中学生だと幼すぎるということで、「高校生になったらもう一度受けに来てください」という連絡をいただいて。それで、高1のときに再び受けて合格しました。

そこから韓国の大手の事務所で練習生を1年間やったあと、今の事務所に出会い、練習生として所属することに。レッスンを受けて1年半経った頃、Mnetのデビューリアリティ番組「PENTAGON MAKER」に出演することが決まり、約半年間の番組を経てデビューすることになりました。

「歌&ラップ」「ダンス」「チームワーク」「タレント性」「マインド」の5つの部門にチャレンジし、すべての部門で高い評価を得た人だけがデビューできるというリアリティ番組。

——もともと歌やダンスは習っていたのですか?

それがですね……何も習っていなかったんです。ダンスも歌も習っていなくて。とりあえずこの身体ひとつで挑戦しました。

——歌やダンスがハイレベルなK-POP界に丸腰で乗り込んだ!?

はい、丸腰で(笑)。自分なりに、カラオケに行って歌を練習したり、動画を見ながらダンスをマネしたりしたんですけど、きちんと習ったことはなかったんです。楽器も全然できませんでしたし。準備という準備は特にせずに……もう気合だけでした、本当に。

当時は今ほど情報もなく、現地に行って何をするのか、全然わかっていなくて。食事はどうするのか、レッスンは通訳さんがいるのか。それすらもわからないまま韓国に行ってしまいました。本当にもう夢だけを信じてっていう感じでしたね。

——夢が原動力になっていたのですね。歌やダンスは独学でも、もともと学校の音楽の授業が好き、もしくは得意だったとか?

いえ、音楽をお仕事にされているみなさん(取材陣)を目の前にして言うのもなんなのですが……苦手だったんですよ。ほんと、すみません。(スタッフ一同爆笑) 例えば、学校で音楽会があっても、メインの楽器をやるのではなくて、大勢の中のひとり――それこそ、リコーダーやハーモニカを担当するというタイプでした。

ただ、学校の音楽はあまり好きではなくても、K-POPに出会って音楽を楽しいと思うようになり、どんどん好きになっていって、そこから将来音楽の道に進むことが夢になりました。

当時はクラシックに興味をもてなかったんですけど、今は作詞作曲もしているので、やっぱりクラシックがベースにある人はすごいと感じることもありますし、ちゃんと学んでおけばよかったと思います。

ラッパーというポジションに活路を見出す

――2016年に晴れてデビューされるわけですが、この今の活躍、本当にすごいことです。

CUBEさんに拾っていただいたおかげです(笑)。オーディションに合格できたのは、おそらく当時のK-POP界では中国市場向けに中国人アーティストが育ってきていて、次に日本市場に本格的に参入しようとしたときに、日本人がほとんどいなかったので、タイミングがよかったのだと思います。

――そんなご謙遜を(笑)。

いえいえ、本当に(笑)。実力も何もなかったんですよ。やる気とK-POPが好きという気持ちだけはありましたけど。

――今やユウトさんの低音ボイスのラップは、唯一無二の存在感を放っていると思います。

ありがとうございます。ただ、もともとラッパー志望ではなかったんです。韓国のアーティストのみなさん、本当に歌やダンスが上手じゃないですか。いくら頑張っても自分は勝てないと思って、当時K-POPアーティストに日本人のラッパーがいなかったので、「日本人が韓国語でラップをする」というポジションを狙ってみることにしたんです。

――戦略的ですね!

もう、これしか自分が生き残る道はないなと思って。そこから徐々にラップにハマっていきました。

——もともとラップはお好きだったのですか?

むしろ嫌いでした。なんか……ちょっと怖かったんです。長野出身ですし(笑)。(一同爆笑)

僕はケンカが苦手で、悪口とかもあんまりうまく言えないような人間だったので(笑)、ちょいワルみたいな感じは出せないなと思ったんですけど、デビューするにはこれしかないと思って必死にやっていくうちに、「ラッパー=ちょいワル」は僕が勝手にイメージしていただけだということに気づきました。今はK-POPでもラップをされている日本人の方も結構増えてきたので、結果的に良かったなと思います。

それと、メインヴォーカルのジンホさんが、「ユウトの低音は本当に武器になるから、ちゃんと磨いていったほうがいいよ」と言ってくださったことがとても励みにもなりました。今頑張れているのも、そのジンホさんの言葉も大きいですね。

立ちはだかった言葉の壁

——いくら好きでも、異国の地で挑戦するというのは勇気のいることですよね。

たぶん、当時はそんなに深く考えていなかったと思います。姉が応募したというのもありますけど、ただただ本当にK-POPが好きという気持ちが強かったですね。

——ご友人や高校の同級生など周りの反応はどうでしたか?

実は、クラスメイトたちには言っていなかったんです。当時のK-POP界は今ほど日本人がいたわけではないので、「俺、韓国に行く」って言ったら、「K-POPのアイドルになれるわけない」とか、「韓国まで行ってダメだったらどうするの?」って思われそうな気がして……。その頃は今ほど情報はありませんでしたけど、K-POPの練習生のレッスンがハードなことはある程度知られていましたし、そもそも日本人が異国の地で芸能人になるなんて無謀だ、という考えがあったように思います。なにせ、東京と違って長野県の田舎なので(笑)、その傾向はより強かった気がしますね。

担任の先生には、三者面談のときに両親と一緒に「退学して韓国行きたいです」と言ったんですけど、確か友人やクラスメイトには学校を辞める当日に言ったと思います。

——(笑)。今や故郷へ錦を飾ったと言ってもいいのではないでしょうか?

いえいえ、まだまだです(笑)。

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