飯田有抄の音楽でつながる仕事人たち。

第1回:クラシックコンサート構成作家 新井鷗子さん

インタビュー
2017.07.15

いきなり初回から、「音楽つながり」のド真ん中にいるお一人、新井鷗子さんのもとを訪ねました。新井さんの“肩書き”は「クラシックコンサート構成作家」。一般的にはあまりピンとこない職種かもしれません。コンサートとは、なんとなく曲が並べられている訳ではなく、お客さんのニーズを考え、演奏者の魅力を引き出し、テーマやコンセプトを伝えようと、ひとつひとつ内容が「構成」されているのです。新井さんのお仕事は、そうした演奏会の内容を構成していくこと。でも、そこから広がって、さまざまな「音楽つながり」を経験されています。

仕事人
新井鷗子 クラシックコンサート構成作家
新井鷗子
仕事人
新井鷗子 クラシックコンサート構成作家
東京都出身。東京藝術大学楽理科および作曲科卒業。クラシックコンサート、テレビの音楽番組の構成・監修を手がける。 1998年NHK音楽教育番組「わがままオーケ...
聞き手・文
飯田有抄 クラシック音楽ファシリテーター
飯田有抄
聞き手・文
飯田有抄 クラシック音楽ファシリテーター
1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学院修士課程修了。Maqcuqrie University(シドニー)通訳翻訳修士課程修了。2008年よりクラシ...
目次

――「コンサートの構成作家」の新井さんは、音楽祭をプロデュースしたり、本をお書きになったり、音楽番組にもご出演されたり、そして東京藝術大学の特任教授でもあったり……と超多忙なパワフルウーマン。どこからお話を伺ったらよいのやらという感じですが、まずは「構成作家」というお仕事について教えていただけますか?

新井 はい。コンサートの主催者、つまり楽団やホールや音楽事務所などからの依頼を受けて、コンサートのテーマ、選曲、演奏家、司会者などを決めます。さらに、曲を魅力的に聴かせるための順番や、どんなトークをどこに入れるかを考えて、そのすべてを台本に書き下ろしていくお仕事です。「親しみやすく、わかりやすいコンサートにしてほしい」と頼まれることが多いですね。

――さまざまな曲を知らないとできない仕事ですし、人の声にも耳を傾けなければならない。創意工夫も必要。大変なお仕事ですよね。なぜ、構成作家になられたのですか?

新井 それが、成り行きなんですよ。消去法というか……。

――えっ?

新井 本当に、正直に、そうなんです。子どもの頃からピアノを習っていたけれど途中で手を壊し、藝大の楽理科に入学したけれど音楽学を追求し続ける緻密さはなく、卒業と同時に作曲科に入りましたがそっちも根性なしで……。

――でも、手を壊してしまうほど、ピアノに向き合っていらしたんですね。

新井 母が藝大出身のピアノ教師で、自宅で教えていたから「弾くのが当たり前」の環境だったんです。でも、筋肉が伸び縮みできずにグニャグニャに萎えてしまう症状が発症してしまって。しかも桐朋学園のピアノ科受験の真っ最中に!

――うわぁ、ドラマみたい……つらい! 今でいう腱鞘炎とかジストニアとか、そういう症状の一種ですか?

新井 そうかもしれませんね。でも、音楽の本を読んだりするのも好きだったから、方向転換をして、翌年は音楽学を学べる藝大の楽理科を受験しました。環境といえば、うちは父も藝大卒の画家なんです。だから、藝大に行くのは自然だったかも。

――音楽や絵画といった芸術が、ごく当たり前に新井さんの日常にあったのですね。

新井 そうですね。一般的なサラリーマン家庭と自分の家の環境が違うということには、大きくなるまで気づきませんでした。「ふつうのお父さんたちは毎日お勤めがあるの!?」みたいな(笑)

――藝大の楽理科では、何を専門に卒業論文を書かれたのですか?

新井 モンテヴェルディのマドリガーレについてです。音楽と言葉の結びつきの研究。

――そして、さらに作曲科へ進学。どういう思いがあったのでしょうか。

新井 楽理科の授業の和声学がそこそこできたので、作曲科の先生に勧められながらいろいろ曲を書いていて、「作曲科も受験してみたら?」と。卒論と同時に作曲科の入試勉強もして。卒業して数年はCMや劇伴(ドラマや映画の劇中音楽)の音楽を書く仕事などもしました。当時は「安眠・快眠ビデオ」などが流行っていて、そういう曲を書く仕事もしましたね。

――「構成」のお仕事には、どうつながっていったのでしょう。

新井 劇伴の作曲などに明け暮れていると、自分の作品を発表できる機会がなかなかないので、ならば自分でコンサートを企画しよう、と。最初は自分のだけをやっていたんですが、だんだん作曲家の友人たちから、私のも、僕のも、と頼まれるようになった。そうこうしているうちに「コンサートの見せ方」というか、工夫して見せなきゃな、という意識が出てきました。徐々に依頼が広がり、友人以外からもお話が入るようになって、いつのまにか本業になっていったのです。あるとき、私の企画したコンサートがテレビ局のプロデューサーの方の目にとまり、テレビ番組の世界へも引きずり込まれていきました。

――これまたドラマのような展開ですが……そして手がけてこられた番組がすごい。「題名のない音楽会」、大晦日の「東急ジルベスターコンサート」などなど。

新井 「題名のない音楽会」は黛敏郎さんが1997年に亡くなられた翌年から、約20年間構成を担当しました。「ジルベスターコンサート」は初回からずっと構成しています。

――イレギュラーな番組もたくさん手がけられましたよね。

新井 ショパン国際コンクールのドキュメント番組とか、メトロポリンタンオペラの宣伝番組とか、やってきましたね。当時はなかなかクラシック音楽の番組をつくる構成作家さんがテレビ界にいなかったので、クラシック番組というと全部頼まれる感じだった。

――ぜ、全部!!

新井 といっても、数は少ないですからね、当時はバブルがはじけた直後でしたが、クラシックの番組をオシャレにしようみたいな動きがあって。

――ニーズとしても内容としても、普通のコンサートを構成するのと、番組を構成するのでは、けっこう違うのでしょうね。

新井 ぜんぜん違います。番組は、レギュラー番組と特番とでもだいぶ違うのですが。例えば、週に一回放送されるレギュラー番組を考えてみると、仮にシューベルトの「アヴェ・マリア」が流れたときに視聴率が悪かったとします。すると、「2度とこの曲を取り上げないでほしい」というような厳しい声が、すぐにスポンサーやディレクターやプロデューサーから届きます。分刻みで視聴率が出るので、ちょっとでも下がると、「何の曲で下がった!?」と探られる感じ。下がる要因をすぐさま検討して、「あ、2分半以上の曲はダメだな」とか分析する。番組の世界は本当に厳しいです。視聴者という大衆が、ある意味一番「偉い」世界なのです。そこに照準を厳密に合わせていかなくてはならない。

――凄まじい……ですね。視聴率や分数で「ここがダメ」だと見せられてしまうなんて。それって、クラシック音楽の聴き方について根本から考えさせられてしまうのでは。新井さんは幼少期からピアノと真摯に向き合い、藝大で歌曲を研究し、作曲もしてきた。ところが、流れに導かれて入った世界では、自分が長年しっかりと培ってきた音楽観とは、ある意味まったく違う価値観をぶつけられてしまった。まったく別の基準によってガンガンに縛られてしまうわけですよね?

新井 そう。もうガンガンに縛られ、絞られました。今となっては「いい経験だった」と言えるけど、当時はもう「音楽が好き」なんていう気持ちでは、やっていられなくなっちゃうんです。とにかく「音楽のことをよく知らない人のほうが偉い。大衆が上なのだ」と。「ショパン? 誰それ? 何その曲?」という大衆の反応に、音楽に詳しい人は「これこれこういう人で、こういう曲でして」と頭を低くして説明しなくてはいけない。それがマス・メディアの世界なのだと知りました。

――それって新井さんがまだ20代のころですよね。まだ若さゆえに「これが自分のやり方」「これこそ私の表現」とか、トンガってしまう若者が、とくに音楽家などにはいそうな世代じゃないですか。「自分はなぜこんなに違う価値観の中にいなくちゃいけないんだろう?」と悲しくなったり、音楽が理解されにくいことに傷ついてしまったりしませんでしたか? 自分の中の価値観や基準が、一度バラバラになりませんでしたか?

新井 いやもう、バラバラ、ボロボロでしたよ。最初の10年くらいは本当に。多くの人にとっての「音楽」の中には、クラシック音楽は入っていないんです。ゼロなんです。完全なアウェイ感。「クラシック音楽は価値のないもの」というところまでズドンと落とされました。やはり若い頃は、「自分がいいと思ったものを人にもお伝えしたい!」とか思うじゃないですか。ふつうに。でも、そういうのを500パーセント否定されてズダボロになり、結局、大衆が求めているのはこっちじゃなくてこっちだ、という洗礼を受けて。仕事として割り切って、そっちに照準を合わせていくしかない。一度落ち込んだら、あとはもう上にあげていく作業です。いろいろな構成を手がけ、工夫をして、見せ続けていく。それで10年費やしちゃった感じですね。

――その10年の間に、「やめたいな」と思うことはなかったですか?

新井 う〜ん。なかったかな。そもそも私自身、「音楽が好き」で音楽を始めたんじゃないんですよ。とにかく、音楽は私にとって日常なんです。ご飯食べるみたいに。ピアノを弾いたり、絵を描いている人が子どもの頃からそばにいて、それが仕事だっていう家だったから。「私、ピアノが大好き♡」みたいにピアノを弾き始めた訳じゃない。家業として始めちゃった。選ぶ余地もないし、好きとか嫌いとかいうレベルじゃない。嫌いにもならなければ、好きにもならない。

――おお……かなりクールというか! でもきっと、「好きとか嫌いとかいうレベルじゃない」からこそ、できたこともたくさんあったのでしょうね。

新井 ああ、今そう言われて、そうだったのかも、と思いますね。

藝大の「障がいとアーツ」が目指す、本当のゴール

――さて、今日は新井さんのお仕事場の一つ、東京藝術大学の「産学官連携棟 Arts & Science LAB」という新しい建物に来ています。大学と企業、そして国とが連携して「革新的イノベーション創出プログラム(COI)」を進める拠点として2年前にスタート……といってもよくわからないので、新井さんにこちらでのお仕事についても伺おうと思います。新井さん、先ほど研究室から運んできてくださった、この物体は、いったい……?

新井 「未確認かいじゅう ゆきパロ」です。いろんな学校の特別支援学級の子どもたちと作りました。

――怪獣! 名前かわいいですね。

新井 さまざまな障がいを抱えた子どもたちに、「怪獣のパーツをつくろう」と呼びかけてワークショップをやったんです。台東区の特別支援学級4校、横浜市立盲特別支援学校の生徒が参加しました。視覚障がいを持つお子さんも、ふわふわの毛糸を夢中で巻きつけてくれたり、知的障がいのお子さんもプラスチック板に一生懸命絵を描いてくれたり。ある子に「何描いてるの?」と尋ねたら「お墓!」と元気に答えてくれたりして(苦笑)。それが、とても緻密で上手な絵だったりするんですよ。

――ワークショップは、藝大の学生さんも一緒に行なうのですか?

新井 そうです。学生たちが若い力でいろいろなアイディアを出してくれます。彼らにとっても子どもたちと触れ合うことは、とても大きな学びとなっているようです。「ゆきパロ」は昨年12月に藝大奏楽堂で開かれた「藝大アーツ・スペシャル2016 障がいとアーツ」で展示しました。藝大COI拠点の「障がいと表現研究グループ」と「共感覚メディア研究グループ」との共同作業で、「障がいとアーツ」のさまざまなコンテンツを作っています。

――この小さい恐竜もそうですか?

新井 これは手で触れるアニメーションです。一体一体ちょっとずつ違うんですよ。視覚障がいの人はアニメが見られないので、これを順番にさわっていくと、トリケラトプスの尻尾が揺れたり、足が上がっていくのがわかる。

 まず大きな模型をスキャンして、アニメーション・ソフトでアニメ化し、さらにそれをコマドリにしたものを立体プリンターでプリントアウトしたものなんです。オーケストラが演奏するグリーグの「山の魔王の宮殿にて」に合わせ、スクリーンにアニメを映します。耳が聞こえない子は映像でたのしみ、目が見えない子は触って感じようという試みです。

――新井さんはこちらで、障がいをもつ人たちにも、音楽やアートを楽しんでもらうための研究開発をなさっているのですね。

新井 はい。障がいのある・なしに関係なく、だれもが表現を楽しんだり、感動を味わったり、感性を磨きはぐくんでいく社会を作っていこう、と。障がいのある人の特徴に応じて芸術表現のツールやシステムを作り、そんな社会を実現しようとしています。

 昨年はまた、聴覚障害の子どもたちが小太鼓を演奏するために、「音量視覚化iPadアプリ」をヤマハと共同開発しました。彼らは音が聴こえにくいので、太鼓を叩いていると、どんどん音が大きくなってしまうんです。弱音を保つことが難しいんですね。アプリは太鼓と連動していて、自分の出している音量が赤い円で視覚化される。それにより、オーケストラとの音量バランスの完璧な演奏ができるようになって、コンサートで聴かせてくれました。

 この音量視覚化アプリは、実はこの子たちの日常生活にも役立つんです。聴覚障がいがあると、外で人と話しているときに、自分の声が大きくなりすぎてしまって恥ずかしい思いをすることが日常的に起こるそうです。それで内にこもってしまい、鬱になってしまう子も多いのだとか。自分の声の大きさが他の人の声量に比べてどうか、アプリで見て調整できるようになります。日常でも活用できるように、今このアプリを腕時計サイズに進化させたいと考えています。

 音楽のために開発したものが、日常生活で使えるユニバーサルになっていくのが一番の理想です。

――すごいことですね! ……でも、耳の聞こえない子たちにとって、そもそも音楽を楽しみたいとか演奏したい、という気持ちはあるんでしょうか?

新井 ええ、あるんですよ。私も最初は、聴覚障がいの子たちが音楽を楽しみたいと思っているなんて、信じられませんでした。でも、筑波の聴覚特別支援学校には音楽の授業があって、見学させてもらったら、生徒がみんなで合奏していました。音楽の先生が独自に開発した記号による楽譜があり、マリンバ、鉄筋、小太鼓、オルガン、ピアノでみんなでアンサンブルしているんです。息もぴったり合った合奏をしていて、とても楽しそう。

 「みんな音楽好きなの?」ってきいたら「大好き!」って答えてくれて。もちろん音は振動の大きな低音だけしか聞こえないとか、高音はほとんど聞こえない子ばかり。

 でも彼らは結局、音楽を通してお友だちとコミュニケーションしながら「合わせている」ことを楽しんでいる。そのときに、月並みかもしれないけれど、「ああ、音楽って、コミュニケーションなんだ」と改めて実感したんです。こんなに合奏って楽しいんだ! って。

 音程もメロディも聞こえない。ゴォーという雑音みたいなものにしか聞こえてない。それでも、人と合わせている喜びは大きくて「音楽が大好き」と彼らは言う。「音楽=コミュニケーション」。だから藝大で大きなオーケストラと共演できたことが、彼らにとって大きな喜びになったと言ってくれました。

――あぁ……すごい。音楽することの根源的な喜びについて、むしろ教えられるような気がしました。

新井 難聴のレベルもさまざまなんですね。あるとき、生まれたときから全聾のダンサーの方から、「メロディとハーモニーって何?」と尋ねられたことがありました。図を使いながら説明してみたけれど、全然うまく伝わらなくて。すさまじい試練を受けたと感じました。こちらにとっても音楽についての大きな勉強になるし、自分のボキャブラリーの貧困さに気付かされます。

――新井さんが、この藝大でのプロジェクトに関わることになったきっかけは、何だったのですか?

新井 やはり構成の仕事からのつながりですね。もともとは藝大の演奏芸術センターという部署で、コンサートの企画をする仕事をしていました。数あるコンサートのひとつとして2010年から「障がいとアーツ」の企画をやっていたのですが、研究として携わるようになりました。

――このテーマをより深めていく中で、それまでのご経験とは違ったものが見えてきた、という思いはありますか?

新井 もちろんです! マス・メディアの世界でさんざんもまれ、コンサート企画がありとあらゆる人目に晒されて、もうネタは全部出し尽くした……と思っていたのですが、ここでまた、自分がまだぜんぜん知らない世界があった! と。180度人生観がひっくり返るような衝撃とも出会いました。

 今までは、価値観の掴みにくい「大衆」を想定して戸惑ったりしてきましたが、そうは言っても、ある程度同じように目が見え、耳が聞こえる人たちを相手に仕事をしていたわけです。

 しかし、この分野に関わって、再びガツンと揺さぶりをかけられることになった。障がいのある人たちにもエンターテイメントを提供するにはどうしたらよいのか。まったく異なる世界で、同じ「コンサートの構成」というものを考えることになったわけですから。

――藝大でのご活動が書かれた本『ひとさし指のノクターン 〜車いすの高校生と東京藝大の挑戦』(ヤマハミュージックメディア)を読みました。思うように手足を動かすことはできないけれど、ピアノに触れるのが大好きな高校生たちと出会い、ヤマハとの共同技術開発で彼らの演奏をサポートし、藝大の学生たちとステージで披露するという一連の記録。この中に記されていた、「価値はひとつではない」という言葉に心が震えました。

 私たちは日頃、プロの演奏家の音楽が「いちばん良い」と思ったり、その中でも、やれ誰の演奏がいいだの悪いだのと言ってみたりして、それがクラシック音楽を聴くことだと思ったりもしている。でも、音楽もコンサートのあり方も「価値はひとつではない」はずですね。本の中で新井さんがおっしゃるとおり、「演奏すること、表現すること自体に、その人の生きる意味がある。人間は生まれてきた以上、誰もがその人生をよりよく生きる権利がある」のだから。とてもシンプルだけれど、究極の見方。

新井 よく障がいと芸術との関わりを、安易に感動物語のようにして仕立て上げられてしまうこともあって、それはどうかなと思ったりもします。でも、そこにある「音楽の価値」というのは、本当に本当に掛け替えのないものなんです。「上手いね」「下手だね」なんて見方がぶっ飛んじゃうくらいの、その人の心、命を支えている存在価値をもった尊いものなんです。そういう存在としての音楽のあり方に触れてしまうと、もぅ、ごめんなさい、「あの演奏家は……」なんて言っていた自分が小さく思えてしまいますね。

 一方で、現実はまだまだ厳しいです。わたしたちが研究開発した楽器やツールを使っても、障がいのある人たちが日常的な趣味として本当に音楽を楽しめるかというと、そのレベルには達していません。

 2015年に藝大のステージでピアノを弾いてくれた車椅子の高校生達も、今は立派な社会人として働いています。あんなに輝くような笑顔でピアノを楽しんでいた彼らも、今は社会人として生活するのに精一杯で、すっかり音楽と離れてしまったそうです。

 つい先日その現実を突きつけられまして、愕然としました。「ああ、まだ自分は障がいのことを何もわかっていない……」と。彼らが日常的に普通に音楽を楽しめる日が来ることを目指して、私たちの挑戦は始まったばかりです。

構成作家の仕事は、なくなるのが理想的!?

――「クラシック音楽の構成作家」というお仕事が「軌道に乗った」と感じたのはいつ頃ですか?

新井 う〜ん……軌道に乗ったというよりも、我慢できるようになった、という感じになるまでに、10年かな。それまでは葛藤と試行錯誤の連続。

――我慢、ですか……(汗)。では10年かけて、こういう依頼には、こう応えよう、こう工夫をしよう、という引き出しが作られたわけですね。

新井 そうですね。私が構成の仕事を始めた最初の10年は、日本のクラシック音楽界が大きな変化を迎えた時期と、ちょうど重なっていたと思います。

 それまで、クラシックの演奏家は「偉い」、作曲家や作品が「偉い」とありがたがられ、守られていました。演奏家は「それは演奏できません」「しゃべったあとに歌うなんてできません」と平然と言えた。無言でステージに出て弾くか歌うかして、拍手を受け、ありがとうのひと言も発さずに帰るので十分だった。

 でも、それではお客さんが減り始めていることに彼らは気づいたのです。もはや、ありがたいものとして守られる時代ではなくなった。これではやっていけない、ということで、そこに構成作家が求められるようになったのです。

――それ以前は「クラシック音楽の構成作家」というお仕事自体がなかったということですかね?

新井 あ、そうですね! なかったですね! そこでやっと「こういうことをやってください」という企画ありきの話が持ち込めるようになりました。最初に気づいたのは海外で活躍している若手の日本人演奏家たち。それがだんだん日本の若手たちに広まって、最後にはベテランの演奏家たちも気付いた。そこまでに15〜20年はかかっています。

――今では、トークが上手な指揮者や演奏家も増えていて、音楽家の口から解説が聴けたりして、お客さんもすごく満足していますよね。

新井 今やっと、演奏家自らも企画構成を手がけるようになってきています。私のような職業はどんどんいらなくなってきているのです。

――えっ! そうですか!?

新井 そうです、そうです。今どんどん演奏家が自分を客観的に見られるようになり、企画ものへのアイディアを自分たちで持ち込めるようになっています。こういうことは、演奏家自らやったほうがいいに決まってるんです。自分のペースでできるし、面白いこともよく知っているんだから。

 私のような者の仕事がなくなるほうが、きっと理想的なんです。私はクラシック構成作家の栄枯盛衰の歴史ですよ(笑)。

――で、でも、音楽祭など規模が大きいものには、構成が必要ですよね?

新井 ああ、そうね、関わる人数の多いものをまとめるには必要ね。

――新井さんにとっては好き嫌いの対象でもなく、なろうとして目指したのでもない、「構成作家」というお仕事ですが、今は楽しまれていますか?

新井 すごく充実感を得られるときはありますね。ごく稀ですが、演奏家が構成によって能力を存分に出し切れるときがあるんです。それがお客さんにも伝わって、手応えとして、プラスアルファの感動を与えられたかな、と感じる瞬間はありますね。

――とてもラディカルな質問をしてしまいますが……音楽にはどんな力があると思いますか?

新井 音楽の力って、究極は「共感」だと思うんです。いろんな世界の、さまざまな境遇にある人たちとの「共感の手段」が音楽だと思う。それは例えば、戦場となっている地域で暮らさなければならい人々の悲しみに共感する、そういう手段にもなると思います。

——昨今、クラシック音楽の人口は減っていると言われています。たしかに、コンサートに出かけると、ご年配の方々が圧倒的に多いなという印象を受けます。聴衆を増やしていくにはどうしたらいいのかと、よく音楽関係者の間で話題になりますが、新井さんはどうお考えですか?

新井 ポップスだとライブのお客さんがどんどん増えていますね。ライブ自体のスペクタクル、エンターテインメント性が高いし、アイドルも聴衆も増えています。クラシックに関しても、私はなんとなく増えているように感じていますよ。コンサートの数も多いですし、話題の公演なんて割とすぐにチケットが売り切れますし。今はネットで意外とすぐに情報が行き交うので、お客さんがよく入るものは入る。若い聴衆もそこそこ育ってきている気がします。若い指揮者や演奏家などが、SNSを通じて自分を発信し出しているじゃないですか。それに食いつく若い世代が増えている感じがしますね。

——やはりSNSなどのネット情報の流れは大きいですよね。

新井 あと10年くらいの間で、インターネットがなかった世代とあった世代とに、お客さん全体が世代交代するでしょうね。

——これからのクラシック音楽の世界を元気にするために、必要なことは何だと思いますか?

新井 音楽の送り手、つまり演奏家のみならずコンサートを企画する人たちなどが、もっと柔軟にいろいろ挑戦するべきと思いますね。最終的には送り手の勉強不足が招く悲劇があると思う。

 たとえば、今「売れている」音楽は何なのか、クラシック以外の世界がどうなっているかなど、リサーチしなければ。今もっともお客さんが集まる指揮者のアンドレア・バッティストーニさんとか、ベルリン・フィルのホルン奏者でデジタル・コンサートホールでもMCをしているサラ・ウィリスさんとか、自分の見せ方をすっごく勉強してると思いますよ。 あんなに上手に無駄なくお話できるなんて。

――若いうちから聴衆を育てようと、子ども向けのクラシックコンサートなども増えていますね。

新井 まず親御さん自身がクラシック音楽を本当に面白いと思っていないと、あまり意味はないですよね。自覚のないまま、ただ「クラシックはいい」というイメージで聴かせても……。自分が本当に感動して、ぜひ子どもにも聴かせたいと思ってもらいたいですね。

――ところで、新井さん、オフタイムは何をしてすごしますか?

新井 お料理が好きで、ご飯作りながらキッチンでワインや日本酒を飲んじゃってます。あと、お散歩が大好き。とにかく歩くのが好き。けっこう長距離歩きますよ。台本を書いていて、ちょっとアイディアを練りたいときに歩くと、次のセリフを思いついたりするんです。アイディアが尽きたら「歩こう!」みたいな。

――あれ? 「オフタイム」じゃなくなっちゃってますね。

新井 あ、そうですね(笑)。オンとオフの境目はあるような、ないような、という感じかもしれませんね。

イラスト:飯田有抄
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