「われは喜びて十字架を担わん」BWV56——三位一体後第19主日
音楽の父ヨハン・ゼバスティアン・バッハが生涯に約200曲残したカンタータ。教会の礼拝で、特定の日を祝うために作曲されました。
「おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—」では、キリスト教会暦で掲載日に初演された作品を、その日がもつ意味や曲のもととなった聖書の聖句とあわせて那須田務さんが紹介します。
ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...
バスの独唱カンタータには「私は満ち足りた」BWV82といった名曲がありますが、本日の「われは喜びて十字架を担わん」も、深い情感に満ちた大変美しい曲です。
この曲が初演された1726年の三位一体後第19日曜日の礼拝には、「マタイによる福音書」第9章1から8節が朗読されました。イエスが病人を癒すエピソードの一つです。
各地で奇跡を起こして自分の町に戻ったイエスが、中風(痛風)の人を直したのですが、居合わせた律法学者の心の内を見抜いて諭すという話です。
09:01イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた。 09:02すると、人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われた。 09:03ところが、律法学者の中に、「この男は神を冒涜している」と思う者がいた。 09:04イエスは、彼らの考えを見抜いて言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。 09:05『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。 09:06人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」と言われた。 09:07その人は起き上がり、家に帰って行った。 09:08群衆はこれを見て恐ろしくなり、人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美した。
新共同訳聖書より「マタイによる福音書」9章1〜8節
信仰をもつ人が癒される、イエスには罪を許す権威があるということだと思いますが、バッハのカンタータはイエスに癒される病の人の心を歌っています。
楽器編成はバス独唱と合唱、オーボエ2、オーボエ・ダ・カッチャ(狩のオーボエ)、弦楽と通奏低音。全5曲で、合唱は最後の曲のみ。J.フランクのコラール「汝、おお麗しき世の偉容よ」(1653年)第6節を歌っています。
第1曲、ト短調の荘厳な前奏に続いてバス(アリア)が「私は喜んで十字架の杖を携えていく。それは神のいとおしい御手からいただいたものであり、苦難の後で私を、神の御許に導いてくれる。かの地で私は心配事を墓に葬り、私の救い主は私の涙をぬぐってくださる」と歌います。
「十字架の杖」とは、イエスを信じる人を導く羊飼いや、救いの御業の象徴。しばしば宗教画にも描かれています。重い病の人は、その「十字架の杖」を携えた巡礼者なのですね。
第2曲(レチタティーヴォ)でも、人生は旅に喩えられます。「この世の私の歩みは、船旅のよう。悲しみや十字架、危難は、波のように私を覆う」。死は私を脅かすが、私の神の慈しみである錨が私を支え、こう呼びかける。わたしは汝とともにいる。決してあなたを見捨てはしない。荒波が収まれば、私は船から出でて、信仰篤い人たちとともに天国である私の町へと歩み出る。低音で支えるチェロは「私」を運ぶ波でしょうか。
第3曲(アリア)では、天国に到達した喜びが長調で表現されます。「ついに私を繋ぎとめるくびきが消える」。「その時、私は主の力を得て大空を翔る鷲のようになり、この地上から舞い上がる」。
協奏曲のようなオーボエのソロが華やかな彩りを添えます。
第4曲(レチタティーヴォとアリオーソ)。ここで伴奏は弦楽だけになり、天国を間近にした安らかな心が歌われます。「私の用意はできた。私の至福の遺産を憧れ求めつつ、イエスの御手から受け取るのだ。なんて幸せなことだろう。これまでの悩み事はいっぺんで葬り去られ、救い主が私の涙をぬぐってくださる。
最後のコラールは眠りの兄弟である「死」への憧れ。「来たれ、おお、眠りの兄弟なる死よ。さあ私を連れにきてください。私の小舟の舵を解き、私を確かな港に運んでください。……麗しき幼子イエスのもとへ」。
バッハ・コレギウム・ジャパンの演奏、バス歌手ペーター・コーイの名唱でどうぞ。
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