クリスマス・オラトリオ第6部「主よ、勝ち誇れる敵どもの息まくとき」——顕現節
音楽の父ヨハン・ゼバスティアン・バッハが生涯に約200曲残したカンタータ。教会の礼拝で、特定の日を祝うために作曲されました。
「おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—」では、キリスト教会暦で掲載日に初演された作品を、その日がもつ意味や曲のもととなった聖書の聖句とあわせて那須田務さんが紹介します。
ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...
おはようございます。本日はイエスが神として世に現れたことを記念する顕現日(エピファニー)。
12月25日から6回にわたって聴いてきた《クリスマス・オラトリオ》最後の曲です。第5部にも登場した東方の三博士が星に導かれてイエスを訪問するエピソードが描かれます。
第1部と同様、神の到来を象徴する3本のトランペットを伴う壮麗な合唱に始まります。「主よ、驕れる敵が息まく時に、堅い信仰のうちに私たちにあなたの力と助けを仰ぎ見させてください! 私たちはあなただけを信頼します。そうすれば敵の魔手から逃れられます」。
テノール(福音書記者)が「マタイによる福音書」の一節を語ります。ヘロデのセリフはバスが担当します。「そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、『行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。私も行って拝もう』」(「マタイ」第2章第7~8節)。
もちろんヘロデの言葉は本心ではありません。ソプラノ(レチタティーヴォとアリア)が「偽り者よ、主を滅ぼそうと試み、あらゆる策略で救い主を追い回すがよい」と言い、「彼の手の一振りでさえ、無力な人間の権力を失墜させることができる。いと高きお方のたった一言で敵の高慢さを終わらせることができる」と歌います。
再び福音書記者です。「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先だって進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げた」(同第9~11節)。
ここで合唱がコラールを歌います。「私はあなたの飼葉桶の側に立っています。おお幼子イエスよ、私の生命よ、私は来て、あなたが私に与えてくださったものを捧げ、贈ります。どうぞ受け取ってください。私の魂と思い、心と精神と勇気のすべてを。御心に適わせたまえ」。
続いてテノール(レチタティーヴォ、アリア)がまず福音書記者として「ところが、『ヘロデのところへ帰るな』と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰っていった」(同第12節)と聖書の続きを述べてから、「さあ行きなさい!でも、私の宝物はここを去ることなく、私のもとにおられる。私も主を離さない。イエスは私を愛ゆえに私を優しく抱いてくださる。私の心も彼を心から愛し、永遠に称えるでしょう。どうか私の側にいて友であり続けてください」と信者の心を語った後に「お前たち敵がいくら私を脅かそうとしても恐れることはあろうか。私の宝が私の側におられるのだ。見るがいい。私の救い主はここに住んでおられる」と歌います。
そしてソプラノ、アルト、テノール、バス(レチタティーヴォ)が「地獄の恐怖が、俗世界と罪が私たちに何をしようというのか。私たちはいつだってイエスの御手の中にあるというのに」と語り合い、最後にコラールが歌われて《クリスマス・オラトリオ》全6曲の幕となります。「今、あなた方は敵の群れに復讐を遂げた。キリストがあなた方の敵を打ち砕いてくださった。死、悪魔、罪と地獄を。そして人は神の御許の彼の場所を得たのだ」。因みに、このコラールの旋律は受難曲でもよく使われているものです。
聖書の個所は新共同訳『聖書』日本聖書協会1999年より引用。
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