プレイリスト
2021.02.02
おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—第37回

「わたしは満ち足りている」BWV82——マリアの潔めの祝日

音楽の父ヨハン・ゼバスティアン・バッハが生涯に約200曲残したカンタータ。教会の礼拝で、特定の日を祝うために作曲されました。
「おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—」では、キリスト教会暦で掲載日に初演された作品を、その日がもつ意味や曲のもととなった聖書の聖句とあわせて那須田務さんが紹介します。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

オランダの画家、レンブラントの最後の弟子アールト・デ・ヘルデル作「シメオンの賛歌」。

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聖母マリアの記念日は古くから教会で祝われてきました。バッハの時代のプロテスタント教会では本日2月2日の「マリアの潔め」、3月25日の「マリアへのお告げ」、7月2日(現在は5月31日)の「マリアの訪問」の祝日があり、バッハはそれぞれに素晴らしいカンタータを作曲しています。特に「マリアの潔め」の祝日のカンタータには、明るく晴れやかな気分に満ちた83番や、本日ご紹介するバス独唱の名作として人気の高い82番があります。

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カンタータ82番「わたしは満ち足りている」は1727年2月2日のライプツィヒの教会で初演されました。当時この日の礼拝ではきまって「ルカによる福音書」第2章22~32節「神殿で捧げられる」が朗読されました。

イエスの時代のイスラエルには、母親が子どもを出産すると、男子の場合は40日間、女子は80日間家に留まり、そのあと捧げものをもって神殿で贖罪の儀式を行なう習慣がありました。

そこでマリアとヨセフが赤子のイエスを抱いてエルサレムの神殿に詣でると、シメオンという一人の老人と出会いました。シメオンは大変信仰の篤い人で、汝はメシアと出逢うまで決して死なないという神のお告げを得ていたのですが、幼子を一目見てこの人こそメシアと知り、お告げが成就したことを喜んで神を讃え、今こそあなたはこの僕(しもべ)を去らせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからですと言うのです。

02:22さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。 02:23それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。 02:24また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。 02:25そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。 02:26そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。 02:27シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。 02:28シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。 02:29「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。 02:30わたしはこの目であなたの救いを見たからです。 02:31これは万民のために整えてくださった救いで、 02:32異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」

新共同訳聖書より「ルカによる福音書」2章22〜32節

カンタータはバスの独唱、他はオーボエ独奏と弦楽と通奏低音ですが、当初バッハはアルト独唱の曲として考えていたようです。1曲目だけをアルトのために書いたのちに、バスに変更されました。こうした経緯からアルトで歌われることもあります。静謐な叙情に満ちた音楽とともにシメオン老人の心を歌っているためでしょうか。聴き手一人ひとりが、心の奥深いところでシメオンの想いとつながり、大いなる安らぎが得られる。そんな珠玉の一曲です。

穏やかな夕暮れの情景を思わせる弦楽とオーボエ・ソロのしっとりとしたパッセージとともに、バス(アリア)が「私は満ち足りている。救い主であり、待ち望んでいた希望のお方をこの腕に抱いたのだ。あの方を見た。私の信仰がイエスをこの胸に抱いた。さて、これで今日にもこの世と別れられる」と歌います。ハ短調ですが不思議な透明感を湛えています。

続くレチタティーヴォは、シメオンの言葉を聞いた人の魂の声でしょうか。「私は満ち足りている。私の慰めは一つ。イエスが私のものになり。私がイエスのものになること。信仰のうちに私はイエスを見出し、シメオンとともにあの世の喜びを見る。私たちもこの老人とともに行こう。願わくは、主がこの肉体の鎖から解放してくださらんことを。これがこの世との別れだとしても私は喜んで言おう。『私は満ち足りている』」と。

ここでアリアは仄かに明るい変ホ長調となって、「まどろめ、疲れた目よ。穏やかに清らかな喜びのうちに閉ざすがよい」とこの世の無益さと辛さを歌うとともに、あの世で約束された甘い平安と静かな安らぎに想いを馳せます。

こうして死への準備ができた魂は、「私の神よ!この美しい『今』はいつ来るのでしょうか。その時私は安らぎとともに逝き、冷たい砂に横たわり、あなたの膝の上で休む。別れの時が来た。この世よ、おやすみ」と語り、ハ短調、3拍子の音楽となって「私は死を喜ぶ。ああ、早くその時が来てほしい。その時私はあらゆるこの世の苦難から逃れられる」と歌います。

オランダのバス歌手、ペーター・コーイの名唱でどうぞ。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

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