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2020.07.30
おやすみベートーヴェン 第227夜【作曲家デビュー・傑作の森】

「ミサ曲 ハ長調」——依頼主が公衆の面前で作品を非難

ONTOMO編集部
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東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...

監修:平野昭
イラスト:本間ちひろ
編集協力:水上純奈

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依頼主が公衆の面前で作品を非難「ミサ曲 ハ長調」

この「ミサ曲 ハ長調」は、かつて長きにわたるヨーゼフ・ハイドンのパトロンで、自身の宮廷楽長を務めさせたハンガリーのニコラウス・エステルハージ侯(1765-1833)の依頼により作曲されました。

エステルハージ侯は、毎年9月に妻マリア・ヨゼファの聖名祝日のための新作ミサ曲を初演することを習慣としていました。すでに楽長職を辞していた大作曲家ハイドンや、後継者としてエステルハージ家に仕えるヨハン・ネポムク・フンメルが睨みをきかせる中での大抜擢でした。

1807年、初演前の7月にエステルハージ候へ作曲の進捗を伝える手紙は、いつになく丁寧です。

殿下におかれましては、偉大なハイドンの比類なき傑作が殿下のために演奏されるのをお聴き慣れしていますことを存じておりますので、私は自作のミサ曲を小心をもって殿下にお渡し致すことになろうことを申し添えさせていただきます

——平野昭著 作曲家◎人と作品シリーズ『ベートーヴェン』(音楽之友社)97ページより

そして迎えた1807年9月、ハイドンも自作を演奏するためにやってきたエステルハージ家でのリハーサルで、ベートーヴェンは合唱団と衝突を起こしてしまいます。見兼ねたエステルハージ侯が、練習を欠席した歌手に厳重注意する一幕もあったようですが、初演の結果は…….

演奏後に侯の居室で行われた大勢の招待客と音楽愛好貴族、そして楽長フンメルなどによる作品談義で、候自身からベートーヴェンは作品を非難されたようである。真相は不明だが、少なくともベートーヴェンは公衆の面前で作品と人格まで愚弄されたと受け止めたようである。

——平野昭著 作曲家◎人と作品シリーズ『ベートーヴェン』(音楽之友社)98ページより

同時に演奏されたハイドンの音楽(作品は不明)が、エステルハージ家では、演奏家にとっても聴衆にとっても馴染み深いものであったので、受け入れ難かったのかもしれません。

エステルハージ候ニコラウス(1765-1833)
ガランタ(現在のスロヴァキア東部)の侯爵であり、熱心な音楽愛好家。
マリア・ヨーゼファ・エステルハージ侯爵夫人(旧姓リヒテンシュタイン)
自らの聖名祝日のために、ハイドンから6曲のミサ曲を献じられている。
作品紹介

「ミサ曲 ハ長調」Op.86

作曲年代:1807年春〜夏(ベートーヴェン37歳)

初演:1807年9月13日

出版:1812年12月

平野昭著 作曲家◎人と作品シリーズ『ベートーヴェン』(音楽之友社)
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