オペラ《フィデリオ》第2幕——成功の背景にあるナポレオン陥落、そしてウィーン会議へ
生誕250年にあたる2020年、ベートーヴェン研究の第一人者である平野昭さん監修のもと、1日1曲ベートーヴェン作品を作曲年順に紹介する日めくり企画!
仕事終わりや寝る前のひと時に、楽聖ベートーヴェンの成長・進化を感じましょう。
ウィーン会議、ナポレオンの没落......激動のウィーンで43歳になったベートーヴェン。「不滅の恋人」との別れを経て、スランプ期と言われる時期を迎えますが、実態はどうだったのでしょう。
東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...
成功の背景にあるナポレオン陥落、そしてウィーン会議へ「オペラ《フィデリオ》第2幕」
昨日ご紹介したオペラ《フィデリオ》再再演の大成功。その理由のひとつはもちろん、初演された10年前よりもベートーヴェンの名声が格段に高まっていたことですが、当時の時代背景も関係しているようです。
そもそも10年前の初演時、ウィーンはナポレオン率いるフランス軍の占領下にあり、ドイツ語を解さない観客が客席を占めていたという致命的な条件がありました。しかし、1814年5月の《フィデリオ》再再演は、パリ陥落・ナポレオンの退位からわずか1ヶ月後のこと……。
ヨーロッパを震撼させたナポレオンが対仏同盟軍に敗れたことで、レオノーレによる夫フロレスタンの救出と投獄されていた民衆の解放と、ナポレオンの脅威から解放されたヨーロッパ市民の姿が重なって見えたに相違ない。
——平野昭著 作曲家◎人と作品シリーズ『ベートーヴェン』(音楽之友社)145ページより
ナポレオンの陥落に伴い、ブルボン家による王政復古、第一次パリ平和条約が締結。9月にはヨーロッパ主要国による会議すなわち「ウィーン会議」の開催が決定されます。「会議は踊る、されど進まず」の言葉で有名なこのウィーン会議。列国の君主、大臣らを接待するためのお祭騒ぎは10ヶ月にもおよんだものの、結局、目的が達成されることはありませんでした。
この会議の最中にも《フィデリオ》は再上演され、各国の人々からの熱狂的に支持を得て、お祭騒ぎに一役買っていたようです。
オペラ《フィデリオ》決定稿
作曲年代:1814年(ベートーヴェン44歳)
出版:1814年8月
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