《悲歌》——墓碑銘のための詩に曲付けされた弦楽オーケストラ伴奏による混声四部合唱
生誕250年にあたる2020年、ベートーヴェン研究の第一人者である平野昭さん監修のもと、1日1曲ベートーヴェン作品を作曲年順に紹介する日めくり企画!
仕事終わりや寝る前のひと時に、楽聖ベートーヴェンの成長・進化を感じましょう。
ウィーン会議、ナポレオンの没落......激動のウィーンで43歳になったベートーヴェン。「不滅の恋人」との別れを経て、スランプ期と言われる時期を迎えますが、実態はどうだったのでしょう。
東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...
墓碑銘のための詩に曲付けされた弦楽オーケストラ伴奏による混声四部合唱 《悲歌》
1814年の8月から9月にかけてスケッチされ、おそらくこの直後に完成させた《悲歌》は、弦楽オーケストラ伴奏による混声四部合唱作品。
穏やかに、ソフトに、ホ長調、4分の3拍子。弦楽合奏(あるいは弦楽四重奏)による20小節の前奏のあとに歌となる。
「君は穏やかに、生きてきたときと同じように人生を完結させた。嘆くにはあまりに聖すぎる! 誰の目にも涙はない、天の霊が故郷に戻るのだから。誰の目にも涙はない」作詞者不詳のこの詞は、おそらくベートーヴェンの友人でピアノを弾き、作曲も嗜む家主でもあったヨハン・バプティスト・パスクヮラーティ男爵(1777〜1830年)の夫人エレオノーレ(1787~1811年)の死後に墓碑銘として作られたと考えられている。それを3年目の命日を迎えるときに、ベートーヴェンが曲付けしたもの。
出版は1827年8月。ということはベートーヴェン死後5か月ほど経てから、ウィーンのハスリンガー社から初版出版され、パスクヮラ―ティ男爵に献呈された。初版譜ではピアノ伴奏版も同時出版。
解説:平野昭
墓碑銘とは、墓碑に刻む文章のことです。弦楽器の伴奏によって、悲しみを静かに表す詩がよりいっそう際立っていますね。死を悼んでこのような美しいと合唱曲が作られ、エレオノーレ夫人もきっと天国で喜んでいたことでしょう。
《悲歌》Op.118
作曲年代:1814年(ベートーヴェン44歳)
出版:1827年
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly