都会の真ん中で聴く“静寂の音”——エストニア出身のマリ・ユリエンスの歌
絵本作家の本間ちひろさんが綴る、詩とエッセイ。
東京・港区神谷町の一角にたたずむ光明寺で、エストニア出身のシンガー・ソング・ライター、マリ・ユリエンスさんの歌の世界に浸ります。
1978年、神奈川に生まれる。東京学芸大学大学院修了。2004年、『詩画集いいねこだった』(書肆楽々)で第37回日本児童文学者協会新人賞。作品には絵本『ねこくん こん...
コンサート ほんまちひろ
寺の茂みの虫たちも
今夜の歌を聴いてたかしら?
とてもやさしい声だったから
風の歌だと思ったかしら?
東京は、虎ノ門、神谷町駅前の光明寺。
ビルの狭間の緑のおへそのような境内に入り、階段を上ると、テラスに机や椅子があり、開演を待つお客さんたちがくつろいでいる。
夕闇の木々、お香のかおり、お墓。ビルの向こうには小雨に滲む東京タワーが見える。
「Kaks Kõverat Puud 2本の曲がった木」
2本の曲がった木
根をはって揺れている
お互い
いつも忠実に2本の曲がった木
夜が来ると
一緒に高くなりながら
月を呑み込む
——「Kaks Kõverat Puud 2本の曲がった木」より抜粋(作詞作曲:マリ・ユリエンス/日本語対訳:石井沙希子)
テラスから続く引き戸がひらき、開場となる。阿弥陀さまのまつられた本堂に椅子が並べられ、マイクやピアノやスピーカーの準備が整っている。小雨がやんだのか、虫の声が聴こえてくる。ここで歌うことを、エストニアの歌手が面白がってくれたらいいな、と思う。
ギターを持ったマリ・ユリエンスが登場し、歌が始まると、やさしい空気に包まれる。
1曲終わり、会場に拍手があふれる。でも、最後の音のあとの静けさを、もうしばし愛おしんでいたい気持ちになる。音と静、有と無、アンビバレントなあの余韻。
「エストニアでは、街に住んでいても、森がすぐそばにあって、いつも森の静けさを想うことができる」
マリ・ユリエンスの歌は、森の静かな夢想の物語に入り込んでゆくようだ。
「エストニアでは多くの人が、歌が好きで、歌とともにあります。5年に一度行なわれる歌の祭典には、多くの人々が参加し、音楽でつながっていくことを、大切にしています」
そう、「歌う革命」と聞いたことがある。
バルト三国のエストニアで、80年代後半から非暴力で流血を避けた、歌による革命があった。
1988年、エストニアの首都タリンの「歌の広場」に集まった30万人が(当時の人口の4分の1)、当時ソ連によって禁じられていた「エストニア語によるエストニアの歌」を歌う、ということがあった。これにより、革命の気運がさらに高まり、1991年エストニアはソビエト連邦から独立をはたす。
今は、バルト海のシリコンバレー、IT大国として世界に名をはせるエストニア共和国。
首都タリンの「歌の広場」で5年に一度開かれる、歌と踊りの祭典は(Üldlaulupidu)、合唱の歌手に2万人、聴衆に10万人が参加。ユネスコ世界無形文化遺産となっている。
どのような背景があろうと、優しい人は優しいし、美しい歌は美しいわけだけれど、今、日本で、1988年生まれのマリ・ユリエンスが歌う柔らかなエストニア語の響き聴いていると、繋がりあう人の営みの、過去と未来と今を想う。
静かな、でも、元気が満ちるような「ボディ」についての歌があって、終演後、マリ・ユリエンスに尋ねると、「Ah, カラダ」と、笑顔で話をしてくれた。
「Keha 体」
この体は単純じゃない
水と肉の中心には骨が
体は神々がつくった
魂は触ること 見ることができる
——アルバム『27』〜「Keha 体」より抜粋(作詞作曲:マリ・ユリエンス/日本語対訳:石井沙希子)
「ふと気がついたときがあって……この体がないとなにもできない、体は大切だということ。魂の外がわ、内なる声を表現するためのものでもある。母になり、子どもを宿し自分の体から、もう一人の人が出てくることにびっくりして、すごいと感じたこともつながって、体のことを曲にしたいと思いました。普段、忘れがちな自分の体に、目を向けてみてほしい」
ファーストアルバムは、マリ・ポキネンの名前で22歳のときの『22』。
その後、結婚し、苗字を変え、子どもを産んだのちに、マリ・ユリエンスの名で、27歳で出したアルバム『27』について、彼女はこう紹介している。
「子どもの頃はいつ終わって、いつ大人になるのか? 『27』は、私の子どもと家族、そして私の幼少時代に捧げられています」
歌を聴いていると、子どもたちと、毎日歌い、遊んでいる様子が浮かぶ。
「毎日、いろいろな歌を歌います。料理をしているときは料理の歌。歩いているときは歩いているときの歌。歌うことが日常にあって、子どもたちと歌うのが楽しい。毎晩、眠る前に絵本や物語を読むのも、楽しみです」
「Kiigume 私たちは揺れる」
見て、
朝はどのように私たちの小さい目をみているのか
見て、
昼間どんな遊びを与えられ夕方へ移るのかそれまで昼間は約束する
上へ下へ揺れて良い
知って、私は明日もここへ来てあなたを待つ!
——アルバム『27』〜「Kiigume 私たちは揺れる」より抜粋(作詞作曲:マリ・ユリエンス/日本語対訳:石井沙希子)
アルバムでは、ブランコの音から始まる「私たちは揺れる」は、マリの強く深い愛が伝わってくる。日本版は対訳を読むことができる。
日本のファンにメッセージを、というと、彼女はこう語ってくれた。
「きっと、時間に追われて、忙しく過ごしている人が多いと思う。自分自身の生活に目を向けたり、自分が大切だと思うことに、時間を費やすことを、歌で届けたい」
話し終わると、また、虫の声が聴こえてくる。
「夏の野外コンサートで、ステージにバッタがとびのってきたことがあったの。バッタと歌でのコラボはできなかったけど……(笑)」
帰り道、エストニアと日本のバッタが出会ったら、きっとお友だちになれるだろうな、と思いながら、神谷町の駅から地下鉄に乗った。
「Enne Und 眠りの前に」
眠りの前
私はあなたの近くにいる
私たちに沈黙が来た
窓の向こう側で生命は穏やかな声で歌う
私たちはたくさんの未知の前に眠りの前に
あなたの傍らで私は歌を探しに行く
——アルバム『27』〜「Enne Und 眠りの前に」より抜粋(作詞作曲:マリ・ユリエンス/日本語対訳:石井沙希子)
1回目は2018年11月、山本能楽堂 (大阪市)。サーミに伝えられてきたの伝統唱法のヨイク。マリヤ・モッテンソン と、フローデ・フェルハイム のよる「ヨイク・ナイト」。
2回目は2019年1月、遊楓亭(兵庫県西宮市)。スウェーディッシュ・フルートのヨーラン・モンソンによる「ハヴェロの森」。
そして、3回目となる2019年8月30日の回が、光明寺(東京都港区)にて、マリ・ユリエンスの「エストニアの風を謡う -エストニア音楽祭2019-」であった。
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