レポート
2018.01.05
~モーツァルトの解釈、澄んだ音色…に感嘆~

【連載】プレスラー追っかけ記 No.5
<リサイタル編:その2>

94歳の伝説的ピアニスト、メナヘム・プレスラー。これは、音楽界の至宝と讃えられる彼の2017年の来日を誰よりも待ちわび、その際の公演に合わせて書籍を訳した瀧川淳さんによる、来日期間中のプレスラー追っかけ記です。
(「その1」からの続き)

追っかけた人
瀧川淳
追っかけた人
瀧川淳 翻訳者・国立音楽大学准教授・音楽教育学者

『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』(ウィリアム・ブラウン著)訳者。 音楽教育学者。音楽授業やレッスンで教師が見せるワザの解明を研究のテーマにしている。東京芸術...

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 さて、前ふりが長くなりました。夕刻になり、鑑賞をともにする仲間と、そして妻と(クラシックの演奏会が初めての)娘とも合流し、いよいよホールへ。

 まず目指すは物販コーナーです。自分の翻訳書を確認しなければ!(笑)この数ヶ月、編集担当者さんと実に密度の濃い日々をおくった証である『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』(ウィリアム・ブラウン著、瀧川淳訳、音楽之友社)は、もちろんこの日に間に合うようスケジュールを組んでいただいたのです。

出版企画から足掛け3年。来日が決まってから急遽計画を前倒しし、睡眠時間を削って翻訳、校正の日々……リサイタルに合わせて発行することができました。

ここで担当編集者さんとも合流し、物販コーナーで翻訳本の売れ行きを確認。この歳になってもドキドキするものです。またかつての同僚である作曲家の西尾洋さん(岐阜大学准教授。『和声の練習帖』等著者)とも少し立ち話をしてから、ホールに入ります。座席は、2階下手側前方。ちょうどプレスラーの手の運びが見える場所です。

今回一緒に鑑賞したのは、いつも行動をともにさせていただいている師匠(訳書あとがきに登場します)と仲間たち(笑)、そして世界のオペラハウスで活躍してきたソプラノ歌手の松本美和子さん。その他にもあちらこちらに知人・友人が鑑賞していて、さながら同窓会のよう。

……いよいよここからは、プレスラーの演奏について触れたいと思います。

さぁ、客席の照明が落とされ、あとはプレスラーがステージに上がるのを待つばかり。ホールの中に緊張感が高まるのを肌で感じます。

そこへ割れんばかりの拍手!(私たちの座席は、バックステージから登場するプレスラーを見るには死角なのです)。この響きはすでに終演後のそれです。再来日を果たした老齢の名演奏家を温かく迎えるものではなく、あたかも待ちに待ったスーパースターを目の当たりにした熱狂的なファンのように(もちろん声かけや口笛はありませんが)。

そんな中、プレスラーは秘書に支えられながら、ステッキを使ってゆっくりゆっくりピアノに向かい、静かに椅子へ腰掛け、足とペダルの位置を確認してから、秘書に軽く頷きます。一度、椅子に腰掛けてしまうと、すでに自力で位置を調整することができないのかもしれません。

位置が決まり、秘書がバックステージの扉前に戻ると、座ったままステージの前後に軽く会釈。静かにピアノの蓋を開けます。

私的な話ですが、ブラスなどの指導しているときに「よく入場から退場までが演奏会なんだよ」と注意するのですが、プレスラーの所作は自然で本当に美しい。すでに序曲か何かが静かに響いているかのようです。

さて、第1曲目のヘンデル作曲《シャコンヌ》ト長調HWV435は主題と21の変奏からなる曲。最初の主題からなんとも気品溢れる雰囲気を醸し出していて、連なる音たちは小粒だけれども最高級の真珠のようにきらびやかで、繋がれた鎖から解き放たれたかのように自由自在にホールを駆け巡り、聴き手を歓迎しているかのよう。まさにオープニングのカーテンを開けるにふさわしい雰囲気でコンサートが始められました。<br />

10月16日のチラシ

そして次のモーツァルト作曲《幻想曲》ハ短調では、音楽の持つ真逆の一面を私たちに見せてくれたような気がします。

プレスラーの演奏はまさに愛の苦悩と厳しさが表現されており、時にため息や絶望が聴かれます。ただしそれはプレスラー自身のそれではなく、「この曲ではそういうことをモーツァルトは表現したのだよ」と私たちに伝えてくれた演奏でした。

続いて、K475のソナタが演奏されます。これは同じハ短調で書かれており、出版された当時も《幻想曲》はこのソナタの《前奏曲》として対で出版された曲です。このことは、プログラムには書かれていませんでしたが、プレスラーが《幻想曲》を弾き終えた後に、そこに拍手を入れてはいけないと思わせる雰囲気を醸し出していたのかもしれません。《幻想曲》を弾き終えた後の静寂の中で、ソナタの力強いアルペッジョが鳴り響いたのです。演奏全体の印象は、とにかく終始澄んだ音色で慈しむように弾かれ、私たちはホールの中を「羽ばたくことができ」(『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』から)たのでした。

一般的なテンポよりもゆっくり目であったにも関わらず、全ての旋律や和声進行は自然に流れ、この解釈が唯一無二であると思わせる説得力を持っていました。

とにかく前半の演奏で、リハーサルの時に感じた杞憂はなくなったと言えます。いや、私たちはオンリーワンの演奏会に立ち会っていると感じた人たちが大勢いたはずです。

この日会場販売用に準備した『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』は、休憩時間早々に完売。それほどプレスラーのことをもっと知りたいと思わせる演奏だったのでしょう。

つづく

 

メナヘム・プレスラー Menahem Pressler

1923年、ドイツ生まれ。ナチスから逃れて家族とともに移住したパレスチナで音楽教育を受け、1946年、ドビュッシー国際コンクールで優勝して本格的なキャリアをスタートさせる。1955年、ダニエル・ギレ(vn.)、バーナード・グリーンハウス(vc.)とともにボザール・トリオを結成。世界中で名声を博しながら半世紀以上にわたって活動を続け2008年、ピリオドを打つ。その後ソリストとして本格的に活動を始め、2014年には90歳でベルリン・フィルとの初共演を果たし、同年末にはジルベスターコンサートにも出演。ドイツ、フランス国家からは、民間人に与えられる最高位の勲章も授与されている。また教育にも熱心で、これまで数百人もの後進を輩出してきた。世界各国でマスタークラスを展開し、またインディアナ大学ジェイコブズ音楽院では1955年から教えており、現在は卓越教授(ディスティングイッシュト・プロフェッサー)の地位を与えられている。

ウィリアム・ブラウン William Brown

『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン(原題:Menahem Pressler : Artistry in Piano Teaching)』著者。
インディアナ大学でメナヘム・プレスラーに師事し、その間、ピアノ演奏で修士号と博士号を取得。ソリスト、室内楽奏者として活躍するかたわら、アメリカ・ミズーリ州にあるサウスウエスト・バプティスト大学の名誉学部長ならびにピアノ科名誉教授でもある。ミズーリ州音楽教師連盟前会長、パークウェイ優秀教師賞受賞。『ピアノ・ギルド・マガジン』や『ペダルポイント』誌などへの寄稿も多数。

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瀧川淳
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瀧川淳 翻訳者・国立音楽大学准教授・音楽教育学者

『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』(ウィリアム・ブラウン著)訳者。 音楽教育学者。音楽授業やレッスンで教師が見せるワザの解明を研究のテーマにしている。東京芸術...

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