2019.01.14
林田直樹のレジェンドに聞け! 第4回:高...
音の肌ざわりを生む高橋悠治の音楽に、時代のスタイルがどう影響したか
1938年東京に生まれる。柴田南雄、小倉朗に作曲を師事。
1960年、一柳慧、小林健次と「ニュー・ディレクション」を結成。この年東京現代音楽祭にピアニストとしてデビューする。
1962年クセナキスの《ヘルマ》初演(東京)。
1963〜66年ヨーロッパに在住、ヤニス・クセナキスに協力。この間ピアニストとして「ドメーヌ・ミュージカル」に出演など活躍する。
1966年クセナキス《エオンタ》を演奏したレコード(仏、シャン・デュ・モンド)がADFディスク大賞を受賞。
1966年からニューヨークに移る。バークシャー音楽祭、タングルウッド現代音楽祭に数多く出演。ニューヨーク・フィルなどのソリストとしての活動も多 数。ピアニストとして活動する一方、コンピューターを使用して作曲を行う。
1971年帰国。
1973年作曲家グループ「トランソニック」を組織し、同名の季刊誌を12号編集。
1978〜85年「水牛楽団」を組織してアジアの抵抗歌を演奏。多年コンピューターを使用した演奏と他の音楽家との即興を続け、最近では日本の伝統楽器と声のための作品も多い。
1976年から画家・富山妙子とともにスライドと音楽による物語作品の製作をつづける。また詩人・藤井貞和とは1995年以来コラボレーションをつづけ、2000年に劇場作品「泥の海」を上演。
2002年コンピューターによる音響作品の制作を始める。平凡社から「高橋悠治/コレクション1970年代」「音の静寂・静寂の音」、福音館から富山妙子 との共作CD付絵本「けろけろころろ」が刊行されている。