詩人・木島始が描く風刺の童話が間宮芳生の幻の傑作オペラ《ニホンザル・スキトオリメ》に〜53年ぶりの再演
1月27日(日)、間宮芳生オペラ《ニホンザル・スキトオリメ》が初演から53年ぶりに公演されます(会場:すみだトリフォニーホール)。その原作と台本を手がけた詩人、木島始さんと生前に交流のあった絵本作家の本間ちひろさんがリハーサルを見学。木島始の世界は音楽を通して、どう本間さんに伝わったのか、綴ってもらいました。
1978年、神奈川に生まれる。東京学芸大学大学院修了。2004年、『詩画集いいねこだった』(書肆楽々)で第37回日本児童文学者協会新人賞。作品には絵本『ねこくん こん...
オペラ《ニホンザル・スキトオリメ》のリハーサルを見た。
帰り道、ある詩が頭の中でリフレインされた。
「見えない物を追いかける者を
狂ってると除け者にするなってば!」
これは、このオペラの台本を書いた詩人の木島始さんが、四行連詩で私に送ってくれた詩の一節だ。
詩人の木島始との四行連詩
1928年生まれの木島さんと、1978年生まれの私。半世紀の年の差の木島さんと私は、2000年から、2004年8月にお亡くなりになるまで、お手紙で、四行連詩というものをしていた。
四行連詩は、1995年に木島始さんが詩人の佐川亜紀さんやアーサー・ビナードさんと始めたもので、かつて小熊秀雄が試みた一行連詩をアレンジしたものだ。
いまは、このようなルールとなっている。
1. 先行四行詩の第三行目の語か句をとり、その同義語(同義句)か、あるいは反義語(反義句)を、自作四行詩の第三行目に、入れること。
2. 先行四行詩の第四行目の語か句をとり、その語か句を、自作四行詩の一行目に入れること。
この1か2の規則を守って連詩がつづけられる場合、最初にえらばれた鍵となる語か句が、再び用いられた場合、連詩が一回りしたとみなして、終結とし、その連詩の一回りの題名とすることができる。
先ほどの木島さんの詩の言葉は、私と木島さんの四行連詩「インクの巻」の中に出てくる。
四行連詩がどういうものかわかりやすいと思うので、その詩を引用しよう。
多すぎる 本間ちひろ
東京の黒い封筒鳥
空からまいおりてきては
生ゴミの中からまだくえそうな言葉ひろって
空の上に運んでいる しこたまためこんでいる
フロンちゅうんだって 木島始
空の上のまた上に舞いあがって
悪さするんが身近から飛び出てるとは!
見えない物を追いかける者を
狂ってると除け者にするなってば!
ここでは、「空の上」が鍵の言葉となっている。
もう少し、連詩を紹介しよう。次は、「インクの巻」の、最初の4篇から。
なめくじ 本間ちひろ
なめくじはいいね
いつも 泣いてる
涙の インクで
地球に 詩を書いている
内視鏡 木島始
胃カメラは
写しとれるのかしら
青汁のインクが
描いていた願望の抽象画を
鯛 本間ちひろ
願望の終助詞が泳ぐ
山手線の内側
非番の月が つり糸をたらす
東京タワーのてっぺん
マジシャン 木島始
修行しておきたいな
捨てられるガラクタ言葉どもを
心の井戸の底へとつり糸でたらし
キラキラ引きあげて見せられるようにと
このようにして、木島さんと私の間に飛び交った四行連詩は、全部で60篇。
私が送った最後の四行連詩は、私も編集委員としてかかわっていた四行連詩集『近づく湧泉 第二集』(土曜美術社出版販売)の「あとがき」として木島さんが書いた原稿の最後にあった詩に、連いだもの(このころは、入院中の病院名が差出人の住所として封筒に書かれていた)。
大気圏内どこででも
詩をつなぐこと始めよう
誰もが隠れた信号を
言葉の火花で見うるよう木島始
言葉をひとつ絡ませて
詩を連ぐこと伝えよう
空を星を時超えて
詩人を抱きしめる方法を本間ちひろ
私は、木島さんのこの「あとがき」の四行詩を読み、「それは違う」と思ったのだ。連詩は「大気圏内」だけじゃないでしょう? と。木島さんは太古の詩人や文学者の言葉とも連詩を作っていたのに、「大気圏内」なんて!? と。
詩人が「大気圏外」へ行ってしまったとしても、私たちは連詩でつながることができる、ということを生きているうちに伝えなければ、と。
でも同時に、そのような意味の詩を送るのに、躊躇もした。送ったあとも考えあぐねていたが、お亡くなりになったあと、ご家族から最期の日のことをきいた。
*
この詩を書いたカードを木島さんは、病室の壁に貼っていたという。2004年8月14日、編集中だった四行連詩集『近づく湧泉 第二集』にこの四行連詩を「何らかの形で掲載するよう」指示し、数時間後に息を引きとった。最後にご家族が聞きとったメモが、『近づく湧泉 第二集』に紹介されている。
「どんな形にせよ、織りつけられ、こんな感動をひきつづけたいのです。四行連詩の形態だけは、正しく。木島」(田部武光さんによるあとがきより)
木島始の思考がオペラ《ニホンザル・スキトオリメ》へ
なぜ、このような思い出話を、ここに書いているのか。
それは、木島さんと私の四行連詩を通したつながりを知っていただけたら……、オペラ《ニホンザル・スキトオリメ》への私の言葉に、すこしでも、木島始の想いを味方につけたいと思うからだ。
オペラ《ニホンザル・スキトオリメ》が、どれほど木島始の脳内宇宙を壮大に描きだしているか。生前の木島と交流していた私でも、これほど壮大な世界があることを、はじめて教えていただいたようで、まさに、驚きである。
「木島先生と作曲の間宮先生は、相当あい通うものがあったようです」と指揮の野平一郎さんに伺った。
通いあって生まれたものであるということ、リハーサルを聴いて、わたしにも存分に伝わってきた。
野平さんは、このオペラの作曲家・間宮芳生さんの東京芸術大学での教え子であり、そこにも通いあうものが、目に見えるようだ。
二つか三つ一緒に歌を作った後で、間宮芳生にわたしの童話「ニホンザル・スキトオリメ」をオペラにしたいという構想を聞かされたとき、わたしは、まるで予想外の着眼なのにまず驚かされた。わたしの作品は自分で《大人の童話》と呼んでいたものなのだが、専ら視覚の世界、画家のありかた、独裁者と芸術家と民衆の関係などを扱っており、他のものにはとにかく、オペラとは考えてもみなかった。わたしは、それから間宮芳生の粘り強い制作態度を充分に知らされることになったが、かれの読みの深さは、原作者のわたし以上であったと言えるかもしれない。
——『群鳥の木 木島始エッセイ集 出会い ポエトリー 交響』(木島始著・創樹社)~「間宮芳生 — オペラ創作の仕事を通して」より引用。
私は木島さんの知り合いだから、1945年、当時十七歳だった木島始少年が広島の原爆投下の当日、現・東広島市内の疎開工場からキノコ雲を見たこと、列車で運ばれてきた人たちを看病したことなど、木島始自身のことを想い、オペラと重ねながら聴いてしまうが、そのような書き手の背景から切り離し、芸術作品としてだけ見ても、有無を言わさぬ傑作である。
作曲家・間宮芳生さん、そして、指揮の野平一郎さん、演奏するオーケストラ・ニッポニカ、歌手、スタッフの方々が、素晴らしい、壮大な世界を、音楽で生み出す。
音楽だから、描きおおせる壮大な絵。
リハーサルで、これほどなのだから、来たる1月27日の本番はどうなるのだろう! 幻の傑作、53年ぶりの再演を私はぞくぞくしながら、待っている。
日時: 2019年1月27日(日)16:00開演
会場: すみだトリフォニーホール 大ホール
演目:
間宮芳生:オペラ《ニホンザル・スキトオリメ》(1965)
間宮芳生:「女王ざるの間奏曲」オーケストラ・ニッポニカ委嘱作品(2018)
セミ・ステージ形式/日本語上演/字幕付き
台本: 木島 始
指揮: 野平 一郎
演出: 田尾下 哲
副指揮: 四野見 和敏
キャスト:
スキトオリメ(テノール) 大槻 孝志
女王ザル(ソプラノ) 田崎 尚美
オトモザル(バリトン) 原田 圭
ソノトオリメ(バリトン) 山下 浩司
くすの木(バリトン) 北川 辰彦
男(俳優) 根本 泰彦
合唱: ヴォーカル・コンソート東京/コール・ジューン
管弦楽: オーケストラ・ニッポニカ
制作・主催:芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカ
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