キース・ジャレット29年前の録音。C.P.E.バッハのダイナミズムに浸る新名演
林田直樹さんが、今月ぜひCDで聴きたい3枚をナビゲート。8月はキース・ジャレットが自宅で録音した大バッハの次男の作品、日本とも縁の深い作曲家ヴィトマンがクラリネット奏者として参加するディスク、オーストラリアの人間国宝でもあるトネッティが日本のファンに向けた自主制作盤が選ばれました。
1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...
DISC 1
グールドの名演とは対極の瞑想の世界
「C.P.E.バッハ:ヴュルテンベルク・ソナタ集」
収録曲
C.P.E.バッハ:ソナタ 第1番 イ短調、ソナタ 第2番 変イ長調、ソナタ 第3番 ホ短調、ソナタ 第4番 変ロ長調、ソナタ 第5番 変ホ長調、ソナタ 第6番 ロ短調
[ユニバーサルミュージック UCCE-2104/5]
大バッハの次男カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714-88)の作品は、古典的で明朗な様式美のなかで時折見せる暗い情熱と激しいダイナミズムが魅力的で、ハイドンやベートーヴェンらの音楽を先取りするものとして、近年ますます注目されている。
かつてグレン・グールドが録音した名演で知られるこれらの作品群を、ジャズとクラシックの両方をまたぐ自在なレパートリーを持つピアニストのキース・ジャレット(1945年生まれ)が、1994年に自宅スタジオで録音していたものが新譜として発表された。
29年間も熟成のときを待っていたこの演奏は、いかにも名門ECMレコードらしい静寂と瞑想の雰囲気をたたえており、グールドの才気あふれる演奏とはまったく別の、まろやかな音の粒が心地よい。ゆったりとした気分で響きに浸ることができる。ちなみにキースは、これらの作品をピアノで演奏する可能性を、チェンバロによる他の演奏をきっかけに感じたのだそうだ。
イギリスの音楽学者・作家ポール・グリフィスによる、父と息子との関係についての詩的な文章も印象深い。
DISC 2
注目の作曲家ヴィトマンが一気に身近になる1枚
「モーツァルト&ヴィトマン:クラリネット五重奏曲」
収録曲
モーツァルト:クラリネット五重奏曲 イ長調 K581
イェルク・ヴィトマン:クラリネット五重奏曲(世界初録音)
[キングインターナショナル KKC-6697]
2018年にサントリーホール・サマーフェスティバルのテーマ作曲家として来日、2026年には武満徹作曲賞の審査員として東京オペラシティ文化財団が「コンポージアム」で招聘する予定があるなど、いまもっとも注目される作曲家のひとり、ミュンヘン出身のイェルク・ヴィトマン(1973年生まれ)の存在が一気に身近になる1枚が登場した。
クラリネット奏者でもあるヴィトマンは、まずはモーツァルトの名作を柔らかな音色で、ときにハッとさせるような装飾音を入れつつ演奏している。室内楽の世界ではいまや大御所のハーゲン四重奏団との呼吸もぴったりで、生き生きとしたアンサンブルが楽しめる。
ぜひとも耳を傾けたいのが、そのハーゲン四重奏団から委嘱されたヴィトマンの新作のクラリネット五重奏曲。作曲家自身もクラリネット奏者として加わったこの演奏からは、霧のような響きの彼方からのモーツァルトの甘い余韻、その後のウィーンの音楽の記憶とノスタルジー、さらにはそれを破壊するかのような悪夢が聞こえてくる。最後はブラームスの雰囲気を漂わせるなか、闇を引き裂くような不吉な叫びが暗示的だ。
この2つの作品をセットで聴いてこそ、いまの室内楽の面白さが味わえる1枚だ。
DISC 3
知る人ぞ知るカリスマが長年率いるエキサイティングなアンサンブル
「リチャード・トネッティ&オーストラリア室内管弦楽団~J.S.バッハ、ベートーヴェン、ブラームス」
収録曲
J.S.バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲 二短調 BWV1043〔リチャード・トネッティ(第1ヴァイオリン)、ヘレナ・ラスボーン(第2ヴァイオリン)〕
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 変ロ長調 作品130より 第5楽章 カヴァティーナ(弦楽オーケストラ編曲:リチャード・トネッティ)、大フーガ 変ロ長調 作品133(弦楽オーケストラ編曲:リチャード・トネッティ)
ブラームス:交響曲第3番 ヘ長調 作品90
[東京エムプラス ACOJP1]
去る7月14、15日に紀尾井ホール室内管弦楽団の定期演奏会に登場し、チェロ以外は全員立って演奏するスタイルを持ち込んで大成功を収めたヴァイオリニスト・指揮者のリチャード・トネッティ(1965年生まれ)。特にモーツァルトの《ジュピター》第4楽章の輝かしく熱気あふれる演奏は、今も強く印象に残っている。
知る人ぞ知るカリスマであるトネッティは、オーストラリアの人間国宝(National Living Treasure)でもあり、彼が33年にもわたって率いるオーストラリア室内管弦楽団は、各奏者が集団の中に埋没せず、独立した自由な個人として積極的にアンサンブルを作っていくことに大きな特徴がある。
そんな彼らが、長年にわたって親愛な思いを抱き続けている日本の音楽ファンに向けて、いまの充実したアンサンブルを知ってもらうべく特別に自主制作したのがこのCDである。
切れ味鋭いバッハの「2つのヴァイオリンのための協奏曲」はトネッティとヘレナ・ラスボーンの2人がソロを担当(2005年セッション録音)。内省的で深みのある響きのベートーヴェン「カヴァティーナ」「大フーガ」は、「弦楽四重奏曲第13番」からの弦楽オーケストラ編曲版(2017年ライヴ録音)。壮大なスケール感と求心力を兼ね備えたブラームス「交響曲第3番」は、規模の大きな楽曲への彼らの適応力を物語る(2020年ライヴ録音)。
この10月に予定されている来日公演も楽しみである。
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