ローマ賞とは?19世紀フランスで絶大な権威を誇った作曲家の登竜門の歴史と審査方法
2020.06.27
136年前の今日、ドビュッシーのカンタータ《放蕩息子》初演!
1912年撮影のラヴェル
1902年4月5日、ラヴェルの《亡き王女のためのパヴァーヌ》が初演されました。サル・プレイエルで開催された国民音楽協会のコンサートで、リカルド・ビュニスが演奏しました。
ビュニスはパリで活躍していたカタルーニャ出身のピアニストで、この作品以外にも、《古風なメヌエット》や《水の戯れ》など、数多くのラヴェル作品を初演しています。
《亡き王女のためのパヴァーヌ》は、1910年にラヴェル自身によって管弦楽版に編曲され、その年の12月に初演されています。
ラヴェル自身のこの曲への批評はなかなかきびしい。「私は欠点を大いに認めている。あまりにも明白なシャブリエの影響と、かなり貧弱な形式と」。若い頃のラヴェルにはシャブリエに傾倒した一時期があった。
『作曲家別名曲解説ライブラリー ラヴェル』(音楽之友社)109-110ページより
代表作のひとつとして広く知られる作品ですが、作曲当時22歳だったラヴェル本人の評価は辛口だったのですね。
パヴァーヌは、16〜17世紀にヨーロッパの宮廷で楽しまれていた舞踏の一種。ラヴェルはほかに、《マ・メール・ロワ》の第1曲「眠れる森の美女のパヴァーヌ」も作曲しています。