《サロメ》の戯曲を書いたオスカー・ワイルドの名言とその人生
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...
先日、ブラジル人ピアニスト、ジョアン・カルロス・マルティンスの人生を描いた映画『マイ・バッハ 不屈のピアニスト』についての記事を書きました。
そのなかで、映画の冒頭にオスカー・ワイルドの言葉が示されていたことがきっかけで、なんとなく、彼のそのほかの名言を検索してみたんです。
普通、まとめサイト的なもので紹介されている偉人の名言一覧を見ると、いやいや、それ名言っていうか……というものが入っていることがほとんどですが、ワイルドはとにかくすごい。どれもこれも、人間や人間関係の本質を言い当てていたり、世の中に理解されない天才の心理を粋に表現していたりして、いちいち唸りそうになります。みなさんもぜひ「オスカー・ワイルド 名言」でググってみてください。
ワイルドは1854年、アイルランドのダブリン生まれ。若き日から文筆活動をし、世紀末が刻々と迫る1890年ごろには劇作家としても成功をおさめます。前回のバーンスタインの話と重なりますが、ワイルドもまた、妻と子どもがいながら、同性の恋人もいた人です。
そして41歳の頃、同性との猥褻行為を理由に逮捕、投獄され、服役を終えた頃には世間から見向きもされなくなっていたといいます。晩年は困窮のなかパリで放浪生活を送り、1900年、46歳で世を去ったのでした。
ワイルドの作品といえば、何が思い浮かぶでしょうか。私自身が初めてワイルドという作家を意識して読んだのは、『ドリアン・グレイの肖像』でした。子どもの頃に読んだ『幸福な王子』がワイルドの作品だったと、後から知った方もいるかもしれません。
オペラ好きの方は、リヒャルト・シュトラウスがオペラにした戯曲『サロメ』を思い浮かべるでしょう。王女サロメは、継父ヘデロ王の前で妖艶な舞を踊り、褒美として預言者ヨカナーンの首を求めます。サロメが生首に口づけし、その様子を見た王が、サロメを殺すよう命じるという、グロテスクなラストが印象的な作品です。
リヒャルト・シュトラウスのオペラ《サロメ》/2020年6月に上演予定だった新国立劇場のダイジェスト映像(2011年公演より)
常人に見えないものを見ることができる美しい人間は、陰惨な最期を迎えなけらばならないと言わんばかりの作品が多く、ワイルド自身の人生を思わずにいられません。
ところで、ワイルドは、森鴎外、夏目漱石、谷崎潤一郎や三島由紀夫など多くの日本人の作家にも影響を与えました。戯曲『サロメ』を最初に日本語に訳したのは、森鴎外だったそうです。森鴎外といえば、「シンフォニー」を「交響曲」と訳したことでも知られていますね。
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