読みもの
2018.08.07
音楽ことばトリビア ~フランス語編~ Vol.5

タンマ!

藤本優子
藤本優子 文芸翻訳者

東京都出身。桐朋女子高等学校音楽科を卒業後、マルセイユ国立音楽院に入学。パリ国立高等音楽院ピアノ科を卒業。ピアノは中島和彦、ピエール・バルビゼ、ジャック・ルヴィエ各氏...

イラスト:本間ちひろ

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Temps mort!

タン・モー!

タンマ!

昨年9月、仙川にある母校……と言っても、私が通ったのは高校の3年間だけだったが、桐朋学園の音楽科の新校舎が完成した。年に数回、マスタークラスの通訳に呼んでもらうので、いちはやく(?)立派な真新しい建物を訪問。レッスン室で仕事をしていると、かつての高校時代の記憶がふとよみがえる。

人見知りだが人が好き、と当時も今とほぼ同じ性格だったので、私は休み時間でも地下教室のかたすみでボーッと1人でいることが多かった。高校の時点でオーケストラ活動を義務づけられていた弦楽器のひとたちが、昼休みに楽器を取り出して「少しだけさらう」のを見るのが大好きだった。中にはプロ級の腕前のクラスメイトも何人かいて、いつかこの人たちと一緒に弾くことがあるかしら、と夢みたものである。

なのでパリでの学生時代、せっかくなら新しい挑戦をする気分で、管楽器との室内楽レパートリーを勉強しようと思い、フルーティストであるクリスティアン・ラルデのクラスに入れてもらった。

このクラス、ハープ奏者は多いがピアニストがほんの数人。おかげで協奏曲の伴奏から現代曲の初見まで、身体さえ空いていれば「いつでもレッスンにおいで」と言われた。ピアノが必要な場面では必ず声がかかる、そんな売れっ子気分を味わうことができた。

いちど、五重奏だったかのレッスンを受けた際、弾く前にそれぞれ譜面台の準備をしている横で、ラルデが「鉛筆の準備はどうだ」と声をかけた。
「Pas de crayon, pas de carrière(パ・ド・クレヨン、パ・ド・キャリエール)!」
このコトバ、ラルデ師匠いわく、語呂合わせっぽく咄嗟に口をついて出ただけ。だが、鉛筆なしのキャリアはない、という文言は何やら洒落ていて、忘れがたい。

クリスチャン・ラルデ(1930-2012)はパリ生まれの名フルーティストにして、長くパリ音楽院で室内楽科の教授を務めた名教師。妻であるハープ奏者マリ=クレール・ジャメとのデュオは大変人気があった。

さて、ラルデのクラスでずっと組んでいたデュオの相手のひとりがシルヴィー・ユーというクラリネット奏者で、彼女とは日本でも何度か一緒に弾いている。シルヴィーが首席クラリネット・ソロを務めるギャルド・レピュブリケーヌ(通称パリギャルド)のツアーに参加させてもらい、オケピアノで『火の鳥』や『ローマの松』を弾いたこともある。音楽院の卒業後も、2人で日本国内の演奏旅を何回か企画。いい思い出ばかりだ。その旅先であるとき、音楽ネタではないのだけれど「日本では運動会でフランス語が使われている」という話をした。

たとえば綱引きのときの「オーエス!」の掛け声はOh, hisse!(引張れ!)だし、「タイム」と言わずに「タンマ!」と言うのもTemps mort! だ。

ギャルド・レピュブリケーヌ管弦楽団
フランス国家憲兵隊の共和国親衛隊に所属の、1848年創設の軍楽隊。世界最高峰の吹奏楽団
上から2列目、右から2番目がシルヴィー・ユー
写真提供:Japan Arts

それを聞いてシルヴィーはすぐさま「海軍か陸軍かはわからないが、日本が開国して西洋式の軍隊を整備しようとした時代、雇われて日本にきたフランスの軍事顧問の『置き土産』ではないか」と仮説を唱えた。綱引きと言われてすぐに軍事鍛錬(娯楽も兼ねていたのかもしれぬが)と思いつくのはさすがである。

本当のところはわからない。私も、今回このコラムのテーマを何にしようかと考えているうち、ふと思い出したトリビアである。ラルデの鉛筆の話とあわせて思い出したということは、どこかにメモしておいて継続案件にせよ、という自分への「宿題」なのかもしれない。

ストラヴィンスキー:《火の鳥》組曲
ロジェ・ブートリ指揮 ギャルド・レピュブリケーヌ管弦楽団

藤本優子
藤本優子 文芸翻訳者

東京都出身。桐朋女子高等学校音楽科を卒業後、マルセイユ国立音楽院に入学。パリ国立高等音楽院ピアノ科を卒業。ピアノは中島和彦、ピエール・バルビゼ、ジャック・ルヴィエ各氏...

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