スメタナが青春時代を過ごしたピルスナービールの聖地、チェコのプルゼニュ
京都産業大学外国語学部助教。専門は18世紀の文学と美学。「近代ドイツにおける芸術鑑賞の誕生」をテーマに研究し、ドイツ・カッセル大学で博士号(哲学)を取得。ドイツ音楽と...
ビールといえば、「黄金色のほろ苦い飲み物」をイメージするかもしれない。実は普段飲んでいるビールは、ほとんどがピルスナーというスタイルに分類される。ドイツ語で「ピルゼンの」を意味するピルスナーは、チェコ西部の町プルゼニュ(ドイツ語名:ピルゼン)で生まれ、19世紀にラガービールの1種として広まった(ラガービールについて詳しくは「R.シュトラウスのオペラ《薔薇の騎士》が献呈されたプショル家が作るヘレスビール」参照)。
なかでも、1842年に誕生したピルスナーウルケルは、元祖ピルスナー、そして現代ビールの雛型と呼べるものだ。醸造所は今でもプルゼニュ市内にあり、世界中からビール好きが集まる聖地になっている。
ビールを作るには、まず麦芽を煮沸して糖化する必要がある。ピルスナーウルケルでは、通常1、2回の糖化作業を3回行なうことで、麦の豊かな甘みを引き出している。
さらに、チェコ北西部ザーツ産のアロマホップでスパイシーな香りを加えることで、奥深い味わいと飲みやすさを両立させている。
ピルスナーウルケルができた頃、作曲家ベドルジハ・スメタナは、プルゼニュで青春時代を過ごしていた。ピルスナーの故郷は、チェコ国民学派ゆかりの土地でもあるのだ。
1840年、プラハの学校に馴染めなかったスメタナは、教師である従兄弟を頼って、プルゼニュの学校に転校した。卒業までの3年間、同地のサロンでピアノを演奏し、好評を博していたようだ。
また、のちの妻カテジナ・コラージョヴァーともこの地で出会い、恋い慕うようになった。音楽活動においても、私生活においても、充実した日々を送っていたようだ。
この頃の幸せな生活は、ピアノ曲《プルゼニュの思い出》、《学生生活より》、弦楽四重奏曲第1番《我が生涯より》などに描かれている。1878年4月12日の手紙で、スメタナは《我が生涯より》の第2楽章でプルゼニュの夜会の舞踏を、第3楽章で当地での妻との出会いを描いたと語っている。
上:スメタナが通っていた学校。現在は、プルゼニュの州立図書館になっている。
《プルゼニュの思い出》、《学生生活より》、弦楽四重奏曲第1番《我が生涯より》
スメタナの青春時代の思い出がつまったプルゼニュ。この地で生まれた元祖ピルスナーを味わう際には、若き日のスメタナを思い起こしてみたい。
ピルスナーウルケルの醸造所〜スメタナが通っていた学校(現プルゼニュ州立図書館)
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