キュクロプス——女神ガイアと天空神ウラノスを両親にもつ一つ目の巨人
作曲家が題材にしている古代ギリシャやローマ神話の神々を、キャラクターやストーリー、音楽作品から深掘りする連載。
第10回は、キュクロプス! その不気味な容姿から不遇な生い立ちをもちますが、実は鍛冶の名手でゼウス、ポセイドン、ハデスに武器を作ってあげたこともあるのです。17~18世紀フランスのラモーと20世紀イギリスのダイソンによる作品から掘り下げます。
音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...
額の中央にひとつの目をもつ巨人で鍛冶の名手
キュクロプス(サイクロープス)といえば一つ目の巨人。怪物的なイメージがあるが、ギリシア神話では下級神として登場する。なにしろ両親は大地の女神ガイアと天空神ウラノスなのだ。ガイアとウラノスは結婚してクロノスをはじめ、たくさんの子どもを産んだが、そのうちのひとりがキュクロプスである。額の中央に丸い目をひとつ持った巨人だ。
(紀元1世紀頃、ローマのコロッセオから出土)
ウラノスはこの不気味な息子を嫌い、生まれるとすぐに縛り上げて、母ガイアのお腹に戻して地下に閉じ込めてしまう。しかし、ガイアはこの仕打ちに怒った。息子になんということをするのか。仕返しとして、クロノスに特別な巨大な鎌を持たせ、父ウラノスの男性器を切り落とさせたのである。そのときに海に落ちた男性器から白い泡が噴き出して、泡から美しきヴィーナスが誕生した話は連載第7回でご紹介した。
のちにキュクロプスは、神々の戦争のためにゼウスにより地下から救い出される。キュクロプスは鍛冶の名手だったので、ゼウスたちのために強力な武器を作った。ゼウスには無敵の雷、ポセイドンには三叉槍(連載第3回を参照)、ハデスには被ると姿が見えなくなる兜を贈ったのである。
キュクロプスにはもうひとつ、巨大で凶暴な怪物としてのイメージもある。ホメロスの『オデュッセイア』に登場するキュクロプスは、洞窟に住む一つ目の巨人で、怪力の持ち主だ。ひょいと人間をつかみ上げて、パクリと喰らう。部下を喰われたオデュッセウスは、火で熱した棒を巨人の目に突き刺して復讐を果たす。「ドラゴンクエスト」に出てくる棍棒を持ったサイクロプスはこちらのイメージだろう。怪力を誇り「痛恨の一撃」を狙ってくるが、スピードはない。
ラモーが描くのはキュクロプスのどの面?
フランス・バロック期を代表する作曲家ラモー( 1683~1764年)のクラヴサン曲集には「キュクロプス」(一つ目の巨人)と題された1曲がある。演奏にもよるが、荒々しく凶暴な音楽と言ってよいだろう。あまり速めのテンポで弾かれると、巨体をゆするキュクロプスのイメージと違ってくるものの、追いかけてくるような迫力があることはまちがいない。現代的視点からいえば繊細な音しか出せないチェンバロが、あえて巨人の音楽を奏でているところに可笑しみがある。
ラモー:クラヴサン曲集第2巻より「キュクロプス」
かねてより疑問なのは、ここでラモーが表現しているのは、鍛冶の名手としてのキュクロプスなのか、人喰い巨人としてのキュクロプスなのか、ということ。曲調からすると、せっせと休むことなく鋼を鍛える鍛冶屋のようにも聴こえるし、人間を襲う怪物のようにも聴こえる。
鍛冶職人としてのキュクロプスを描いた歌曲も
20世紀前半に名声を博したイギリスの作曲家ジョージ・ダイソンは、「サイクロープスの歌」という歌曲を残している。こちらはピアノ伴奏のごく簡潔な歌曲なのだが、勇ましさや荒々しさよりは、むしろ寂しさとユーモアが漂っている。歌詞はトーマス・デッカーによる。こちらははっきりと鍛冶屋としてのキュクロプスを題材としており、その熱心な働きぶりを描く様子はあたかも労働歌のようでもある。
ジョージ・ダイソン:「サイクロープスの歌」
ちなみに、日本書紀に出てくる「天目一箇神」(あめのまひとつのかみ)も鍛冶の神であり、一つ目である。このキュクロプスとの奇妙な一致はどういうことなのか。鍛冶師が片目をつぶって鉄の温度を見るから、あるいは長年炉の火を見続けると片目を失明しやすいからといった説明を見かけるのだが、説得力があるような、ないような……。
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