火災でオルガンが全焼したナント大聖堂と「ラ・フォル・ジュルネ」
ONTOMOエディトリアル・アドバイザーの林田直樹さんによる連載コラム。
オルガンが火災によって全焼したとニュースになっている、フランス西部の都市、ナントの大聖堂。今回は、そこでの音楽体験について振り返っていただきました。
1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...
フランス西部の港町ナントの街のシンボルでもあるナント大聖堂(サン・ピエール=サン・ポール大聖堂、1434年創建、1891年完成)で7月18日に火災があり、約400年の歴史があるオルガンが全焼した。
このナント大聖堂には、4年前に一度訪れたことがある。
2016年2月7日、日曜日の朝のことだった。
東京国際フォーラムでゴールデンウィークに開催される「ラ・フォル・ジュルネ」に先駆けた、本場ナントでの取材の最終日。私は音楽祭をいったん抜けて、一度は訪ねてみたいと思っていた、街の象徴でもあるナント大聖堂の日曜日の朝の礼拝に参加してみたのである。
「ラ・フォル・ジュルネ」のナントのメイン会場、シテ・デ・コングレから旧市街までは、歩いて10分もかからない。
引きずり倒されるのを防止するために高い塔の上に鎮座しているルイ16世の像の近くを通り、中世の雰囲気を残すブルターニュ城の前を通って広場に抜けると、そこには見上げるようなナント大聖堂の威容が姿を現す。
シテ・デ・コングレ〜ナント大聖堂
朝10時頃だったろうか。大聖堂の鐘が街中に鳴るなか、建物の中に歩いていくと、突然、壮麗な音色のオルガンが響きわたった。
バッハの傑作のひとつ、「幻想曲とフーガ ト短調BWV542」だった。
それはまるで、暗く宿命的な何かを告知しているようでもあり、天から不意に降りそそいでくる恩寵の光のようでもあった。
誰が演奏しているのか、その姿は見えない。コンサートのように「さあ開演です」と言って始まるわけでもない。どんな曲が演奏されるか告知されているわけでもない。
ステンドグラスを通して神聖な空間を満たしている光とともに、まるで神の意志であるかのように、バッハのオルガン曲が、いきなり轟然と鳴り響き始めたのだ。
それは、大伽藍のなかでちっぽけな一人の人間を、心底震えるような気持ちにさせるに十分な体験だった。
あのときのオルガンの音を思い出してみると、じんわりと聴く者を包み込むような暖かさと、音色の潤いと、世界全体へと広がっていくような残響の豊かさがあった。
6000本以上のパイプ、74のストップを持つ、フランスでも屈指の規模の歴史的オルガンとともに、ナント大聖堂の自慢だったのが美しいステンドグラスである。それは、パリのノートルダム大聖堂よりもさらに高い位置にある大きなものなのだ。そして、各所に吊り下げられている大きなシャンデリアは、ナントの金物細工師が1870年に作った、銀作りの上に金箔をかぶせた豪華なものである。
今回の火事ではオルガンのみならずステンドグラスも損傷したと報じられている。ナント市民はさぞ悲しみに暮れていることだろう。
この大聖堂は、建築に取りかかってから完成するまでに457年もかかっているが、工事に何世紀かかっても、創建当初のルネサンス様式を守り続けてきた。その間にはヴァロワ朝からブルボン朝へ、さらには大革命もあればナポレオン戦争もあった。王政、帝政、共和政と目まぐるしく政治が変化しようとも、時代の荒波を越えてなお、様式を統一させたこと、それもまたナント大聖堂の美しさの秘密なのだ。
バッハの演奏が終わると、朝のミサに集まっていた会衆が讃美歌を歌い出し、厳かに着飾った神父がマイクを持って、静かにこう語り始めた。
「今年のラ・フォル・ジュルネのテーマは《ナチュール 自然》です……」
驚いて、ミサの式次第の紙を見てみると、この日は「ラ・フォル・ジュルネ」の演奏家たちが特別参加する曲目が組まれていた。演奏家の名は記されていなかったが、バッハ、オケゲム、ジャヌカン、フォーレ、デュリュフレなどが演奏される多彩な内容だった。
つまり、今回焼けたナント大聖堂は、「ラ・フォル・ジュルネ」とも精神的につながりの深い教会だったのである。
これまでナント大聖堂は、空襲による破壊や火災を幾たびか経験してきた。1985年には大修復が完成されたところであった。今回の火事も、きっと乗り越えて、オルガンやステンドグラスも復元されることを願わずにはいられない。
※2021年のテーマは「バッハとモーツァルト」であることが既に発表されている
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