リヒャルト・シュトラウスの鬼嫁?! パウリーネ〜実は作曲家を支えた良妻賢母
「鬼」特集にちなんで、作曲家の鬼嫁?!
ドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウスの妻パウリーネ、かなり強烈なんです。恐怖の八つ当たりエピソードと、その裏に隠れた夫婦の愛の物語を、リヒャルト・シュトラウス研究者の広瀬大介さんが紹介します。
青山学院大学教授。日本リヒャルト・シュトラウス協会常務理事・事務局長。iPhone、iPad、MacBookについては、新機種が出るたびに買い換えないと手の震えが止ま...
リヒャルトとパウリーネのなれそめ
リヒャルト・シュトラウスが、ソプラノ歌手パウリーネ・デ・アーナと結婚したのは1894年のこと。ドイツ・ヴァイマールの歌劇場で、自身がはじめて作曲した歌劇《グントラム》のヒロインを歌ったのがこのパウリーネでした。
残念ながらこのオペラは大失敗してしまい、いまに至るまでもっとも上演されないシュトラウス・オペラのひとつになってしまったのですが、シュトラウスにとっては生涯の伴侶を得たきっかけとなった作品でもあるわけで、痛し痒しといったところでしょうか。
また、前半生に作曲された数々の歌曲は、パウリーネ自身が歌うことを念頭に作られており、そのひとつひとつに、夫妻にしかわからない想い出が込められているのでしょう。《ツェツィーリエ》《明日に》などの有名曲を含む作品27の歌曲(1894年作曲)は、結婚の記念にパウリーネに贈られたと言われています。
衝撃の鬼嫁エピソードとリヒャルトの神対応
このパウリーネは、あらゆる音楽家の妻のなかでも最強のキャラクターの持ち主です。20世紀のプリマ・ドンナ、ロッテ・レーマンがシュトラウス家にお茶に呼ばれた際の夫妻のエピソードをご紹介すれば、一事が万事、2人の関係をすぐに察することができるでしょう。
私たちは庭でコーヒーとケーキの寛いだおやつを楽しんでいた。そこへにわかに嵐が襲ったのである。ケーキ片手に自分の身を屋根の下へ運ぶ暇もあらばこそ、恐るべき洪水の雨となった。パウリーネは楽しいひとときをこのように乱暴に邪魔されたことを、自分に対する侮辱であると受け取った。怒りを露わに、彼女独特の雷がリヒャルトの頭上に雨霰と降り、彼は可能な限りの従順な態度で、妻のあらゆる八つ当たりをやり過ごしていた。私は思いきって口をはさんだ。「でもパウリーネ。どうしてご主人に雨をとめることができましょう。」このときはじめて、シュトラウスは私を不安げに振り向いた。「ぼくを庇わないでくれたまえ。そんなことをされると、必ず事態を悪化させるのでね。」
ロッテ・レーマン『歌の道なかばに』(野水瑞穂訳、白水社、1984年)555ページより
筆者によって一部改稿
夫の鑑?! 妻を客観的に見て夫婦生活を作曲に活かす
パウリーネは軍人の家庭に生まれています。数々のエピソードが伝えるその気の強さは、家父長的な家庭観が支配的だった当時はもちろん、現代の基準に照らしても相当なものであったと想像されます。そんなパウリーネに対して、リヒャルトは単に耐え忍んでいただけなのでしょうか。どうやらそうではなさそうなところが、夫婦というものの不思議さ、面白さを感じさせます。
シュトラウスはそんな妻の在り方を、そして自分自身をも客観的に、突き放して眺めることができるひとでした。夫婦生活から得た作曲上の霊感をもとに、1890年代以降、いくつもの「自分」「妻」を題材とした作品を生み出し続けるのです。
交響詩《英雄の生涯》(1899年初演)では、自身を英雄に擬していることは有名ですが、ヴァイオリンの独奏によって登場する「伴侶」は、あきらかに妻パウリーネを範に取ったものでした。喜怒哀楽が激しく、同時に愛情深い夫婦の様子が、そのまま伝わってくるかのような音楽です。
リヒャルト・シュトラウス:《英雄の生涯》より「英雄の伴侶」
家族愛を音楽で描き、永遠に残る芸術作品に
やがて、2人はフランツという一人息子に恵まれます。《家庭交響曲》(1904年初演)においては、夫、妻、息子のモティーフがそれぞれに登場して絡み合い、あらゆるシュトラウス作品のなかでももっとも複雑で、日々の生活の歓びが爆発する傑作が生まれました。
リヒャルト・シュトラウス:《家庭交響曲》より第4楽章
その後、シュトラウスは、言葉のない交響詩だけでなく、言葉を伴う歌劇《インテルメッツォ》(1924年初演)で、自分たち夫婦の姿を芸術のかたちで永遠に留めました。夫婦喧嘩とその和解を扱ったこのオペラのなかで、作曲家の夫は妻について、「いつも活き活きとした生命を感じていたい」と語ります。みずからを臆面もなくさらけ出すことで、永遠の真実を描こうとする。これほど心に触れる、真実の愛情表現がほかにあるでしょうか。
リヒャルト・シュトラウス:歌劇《インテルメッツォ》第1幕冒頭「アンナはどこ?」
この2人は半世紀以上をともに添い遂げ、1949年にリヒャルトがこの世を去ると、その後を追うかのように翌50年、パウリーネも亡くなります。「婦唱夫随」でありつつも、互いの存在を必要とした、稀有のカップルだったのです。
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