「ソネット66番」に見る圧政下のショスタコーヴィチ〜文学、絵画、音楽それぞれの表現
文豪シェイクスピアの作品を、原作・絵画・音楽の3つの方向から紹介する連載。
最終回は、詩人としてのシェイクスピアが残したイギリス文学の金字塔・ソネット(14行詩)に着目! ショスタコーヴィチの歌曲でロシア語翻訳に加えられた“改変”から、弾圧下にあったショスタコーヴィチは生き残りをかけて何をどう表現したのでしょうか? ヒエロニムス・ボスが描く通称「音楽地獄」とともに読み解きます。
上智大学大学院文学研究科講師。早稲田大学および同大学エクステンションセンター講師。専門領域は近代イギリスの詩と絵画。著作にシェイクスピアのソネット(十四行詩)を取り上...
ショスタコーヴィチに見る政治と芸術の切り離せない関係性
あれから一年余り。まだ戦争は終わらない。集中砲火を浴び続けた東欧の街が廃虚と化し、もはや敵味方の別なく誰もが疲れ果てていて、それを世界中が知っているというのに。
どうすれば思い通りに終わらせることができるのか、もしくはどうすればもっと長引かせることができるのか。およそ戦争とは不毛なものに違いないが、個人の政治的野心と周辺国家の経済的思惑を最大限優先する21世紀の戦争は、恐らくかつてないほど不毛。さらに輪をかけるように前世紀さながら、大勢の人びとが生存の条件として「口をつぐむ」ことを余儀なくされてもいるのだろう。
たとえていうなら、今は無きソビエト連邦の時代、スターリン独裁体制下で代表的な交響曲のほとんどを書きあげた作曲家、ドミトリー・ショスタコーヴィチのように。
少なくとも彼の政治的傾向に関しては、社会主義国家に迎合し、そのまま結果的に献身したプロパガンダ的作曲家であったか、それとも心情的にはあくまで反体制主義者であったかで、専門家の見解は分かれてきた。あるいは音楽を作るうえで、国家礼賛と権力批判の「二枚舌」を巧みに使いわけていたというのも根強い通説。
生前から批判と称賛の嵐にかわるがわるさらされ、死後にあっては後世の修正主義的解釈をも避けられないのが、息の長い大きな才能の宿命ではある。けれど、体制うんぬんの話はショスタコーヴィチだから起こる議論。同じ20世紀ロシアの作曲家でも、イーゴリ・ストラヴィンスキーやセルゲイ・プロコフィエフとは異なり、共産党員となって1975年に没するまでソ連に一生とどまった彼の音楽が抱える一種の特殊事情といっていい。
この意味で、体制批判を抜きにしないかぎり、ショスタコーヴィチは永遠に烈しい毀誉褒貶にさらされ続けるしかない。ただ客観的事実として、彼の音楽を十把一絡げにソビエト政府のプロパガンダとみなすことはできないだろう。少なくとも特定の歌曲、とりわけ《イギリスの詩人による詩の6つのロマンス》に関しては、どう考えても無理である。
詩人シェイクスピアが完成させた十四行詩を味わう「ソネット66番」
先に述べたとおり、ショスタコーヴィチといえば交響曲だが、彼は生涯にわたり歌曲も精力的に書き続けている。そして、交響曲に比べれば地味で影の薄い歌曲にこそ、彼の秘密の暗号が散りばめられているといっていい。すなわち、器楽の調べにのせられた歌「詩」に注意深く耳を傾ければたちまち、ショスタコーヴィチが音楽を通じて権力へのささやかな抵抗を試みていたことがわかる仕組みだ。
そのもっとも端的な例が、全6曲から成る《イギリスの詩人による詩の6つのロマンス》の第5曲。16世紀のシェイクスピアが書いた以下の詩に基づく「ソネット66番」である。
ショスタコーヴィチ:《イギリスの詩人による詩の6つのロマンス》より第5曲「ソネット66番」
Tired with all these, for restful death I cry,
As, to behold desert a beggar born,
And needy nothing trimm’d in jollity,
And purest faith unhappilly forsworn,
And gilded honour shamefully misplaced,
[And maiden virtue rudely strumpeted]1
And right perfection wrongfully disgraced,
And strength by limping sway disabled,
And art made tongue-tied by authority,
And folly, doctor-like, controlling skill,
And simple truth miscalled simplicity,
And captive good attending captain ill:
Tired with all these, from these would I be gone,
Save that, to die, I leave my love alone.
これらすべてに疲れ果て、求めるのは安らかなる死。
立派な人が 乞食に生まれ、
ろくでなしが 綺麗に着飾って、
純粋な信頼が 不幸にも裏切られて、
金ぴかの名誉が 不届きにも間違って与えられて、
しとやかな処女(おとめ)が 無礼にも売女と呼ばれて、
正真正銘の完璧さが 不当にも貶められて、
力強きものが 弱々しきものに阻まれて、
芸術が権力により口をつぐむのを余儀なくされて、
愚者が、学者よろしく、巧者にあれこれ指図して、
率直に真実語れば 馬鹿の汚名を着せられて、
善が囚われ 悪に服従するなんて。
これらすべてに疲れ果てて、もうおさらばしたい、
ただ、愛する人が独り残されるのがたまらない。
本連載の第1回、つまり初めから折に触れ繰り返してきたとおり、シェイクスピアは本質的に「詩人」。実際、彼の繰り出す台詞の多くは、1行の中で弱く読む母音と強く読む母音とが交互に5回繰り返される「弱強五歩格(Iambic pentameter)」で書かれているのであって、これは英詩のもっとも一般的な韻律にほかならない。
ソネットと呼ばれる14行の定型詩は、中世イタリアに端を発し、イギリスでは16世紀にシェイクスピアによって完成の域に達した。各行が英語という言語にしっくりと馴染む弱強五歩格で構成され、イタリア風とは異なるababcdcdefefggという独自の押韻方式で、前回紹介した最後の2行だけ続けて同じ韻を踏むカプレット(二行連句)形式が採られているソネットこそは、詩人シェイクスピアの面目躍如。
事実、この66番を含めて全部で154篇もの十四行詩を集めた『ソネット集』(1609年)は、彼の代表作にしてイギリス文学の金字塔のひとつ。シェイクスピアのソネットが後続の詩人や後世の芸術に与えた影響たるや、もはや測り知れないというより、底知れず空恐ろしいものがある。
ショスタコーヴィチが作曲したロシア語の「ソネット66番」で翻訳者が“口をつぐんだ”1行
その一例が20世紀ロシアのショスタコーヴィチでもあるわけだが、正確にいうと、彼の付曲は先に紹介した英語の原詩ではなく、同時代のノーベル賞作家にして詩人のボリス・パステルナークによるロシア語訳になされたもの。そして少なからぬ識者が指摘しているように、この翻訳というプロセスこそが、芸術が権力へのささやかな抵抗を試みるうえでの、当局に対する目くらましとして巧みに機能していた。
まず一見したところでも、さらに辞書片手に詩語をひもといてみても、翻訳者としてのパステルナークはシェイクスピアにかなり忠実。訳詩は基本的に弱強五歩格で、行末の脚韻もほぼシェイクスピア風。「ソネット66番」の詩形上の最大の特徴である途中からの首句反復(anaphora:3行目から12行目までがすべてAndで始まっている)もそのまま。
形式だけでなく内容も然り。全154を数えるシェイクスピアのソネット群の中でもかなり異色な原詩と概ね違わず、人生の不公平と社会の不平等に対する憤りを伝えるものとなっている。
ただ1箇所、この9行目を除いて……。
И вспоминать, что мысли замкнут рот,
そして思考が口を塞ぐということを忘れるな、
シェイクスピアの原詩ではAnd art made tongue-tied by authority=「芸術が権力により口をつぐむのを余儀なくされて」となっている箇所に、訳者パステルナークは明らかに手を入れている。
決定的なのはauthority(権力)という英語が、まったく別の意味のмысли(思考)というロシア語に変えられている点。これはもはや翻訳を超えた、意図的な一部改変といわねばならない。なぜなら「思考が口を塞ぐ」とは、有り体にいえば自分自身の意志で口をつぐむということであって、パステルナークの訳はシェイクスピアが本来行なっている権力批判を回避しているのだから。
なるほどパステルナークもショスタコーヴィチも、その才能を世にあまねく認められながら、一度ならずソビエト政府からの弾圧を受けている。パステルナークに至っては、ロシア革命を背景とする小説『ドクトルジバゴ』の作者として世界中に知られながら、同作の趣旨が革命による社会主義国家の誕生と繁栄に水をさすものとしてノーベル文学賞辞退を余儀なくされ、委員会から一方的に賞を授与されたほど。祖国で生きて創作活動を続けるためなら、余計な口をつぐむくらい当たり前だ。
ヒエロニムス・ボスの《快楽の園》に描かれる「音楽地獄」
そもそも、圧政が文化にとって黙ってやり過ごすべき災厄でしかないことは、20世紀どころか大昔から芸術家にとっては常識だった。なかでも文学や絵画のように目に見える形を持たず、まるでテレパシーのように目に見えないところで人びとの心を深く揺さぶり、時に強く結びつけてそのまま大きく動かしもする音楽は、圧政者にとって実に便利で厄介。ナチス・ドイツや太平洋戦争当時の日本政府を新たに例に挙げるまでもなく、その並々ならぬ潜在的影響力ゆえに、音楽はとかく扇動の道具もしくは弾圧の対象になりやすかった。
だからこそ、16世紀のはるか昔から、ヒエロニムス・ボスの《快楽の園》のような寓意的名画が、音楽にことよせた一部地獄絵図が存在してもきたのだろう。
左から右へ、天国・現世・地獄の様子がそれぞれ3枚のパネルで連続的に描かれている《快楽の園》は、全体としてエロティックでエキセントリック。裸の人間や異形の生き物たちが所かまわず歓喜と苦悶にあえぐという、一見わけのわからないシュールな三連祭壇画だ。しかし、通称「音楽地獄」と呼ばれる右パネルの寓意そのものは、実にわかりやすい。
リュートやハープ、笛といったお馴染みの楽器類が拷問の道具として登場しているのは、音楽が人間をうっとりとさせるから。何も逆説的なレトリックを弄しているわけではない。陶然と酔いしれてしまうというその一点において、甘美な音楽は酒や麻薬と同じで、人間を堕落させる悪徳ともいえるからである。
左:右パネル
上:右パネル「音楽地獄」部分
圧政下で生きのびるためにショスタコーヴィチがしぼった創作上の知恵
この偏狭な極論が現実にまかりとおっていた例は、歴史上決して少なくない。たとえば17世紀の一時期、徹底的な禁欲主義を政策に掲げるピューリタンなる左派率いる共和政国家となっていたイギリスでは、あらゆる娯楽は人間を堕落させるものとして罪悪視され、禁止されていた。
昔から飲んで騒いで何にでも賭けるお国柄なのに、酒盛りも賭け事も御法度。お祭りのダンスはおろか、お葬式のバグパイプですら禁止。嘘みたいな本当の話で今となっては笑うしかないが、クリスマスのお祝いまで禁止されたのだ。純粋な信仰を守るために。
ことほどさような本末転倒の世の中となれば、当時最大の娯楽だった芝居なんて滅相もない。劇場は軒並み閉鎖され、せっかく華麗に花開いていたイギリスの演劇文化は徹底的に弾圧された。特に卑猥な話がゴロゴロ出てくるシェイクスピア作品など、当局の目の仇。こっそり目を盗んで上演すれば、間違いなく投獄ものだった。せめてもの救いは、シェイクスピア本人がとうの昔に亡くなっていたこと。そして国民の不満がつのり、わずか11年で共和政体が崩壊したことか。
不幸にも、まったくもってシェイクスピアのようなわけにはいかなかったのが、20世紀のショスタコーヴィチである。実際、労働者のための道徳的な芸術を奨励するスターリン体制下で、暴力的な激しい性行為に骨抜きにされる人妻の不倫を扱った彼のオペラ《ムツェンスク郡のマクベス夫人》は、共産党の機関紙『プラウダ』の社説欄で「荒唐無稽」とこき下ろされた。
ショスタコーヴィチ:《ムツェンスク郡のマクベス夫人》
いくらオペラの途中でスターリンが席を立ってしまったからといって、わざわざ社説でするようなことでもないだろうが、この時点で誰にもわかっていたことがひとつある。
それはもはや、ショスタコーヴィチがいつ粛清されてもおかしくないということ。彼は画家ボスの描いた「音楽地獄」の世界さながら、自らの音楽で自らの首を締める地獄に落ちてしまったのであり、そのなかで生き続けるために(表向き)国家のための交響曲作家になるしかなかった。これは当局が個人の音楽にターゲットを絞り転向を促した、ひとつの歴史的事例といっていい。
「プラウダ批判」として知られるこの出来事はほんの一例に過ぎず、シェイクスピアと違ってショスタコーヴィチは確かに、生きている間に直に弾圧を経験している。そんな彼にとっては、圧政下で生きのびることが自身の才能のために生きることと同義だったはずで、弾圧の嵐をやり過ごすための創作上の知恵を色々と養っていたのは当然だ。
したがって問題は結果。当局の目を逃れるため、不都合な部分を一部改変するなどした後の創作全体としての結果である。パステルナークの訳詩にショスタコーヴィチが付曲した完成状態の歌曲「ソネット66番」に最初から最後まで注意深く耳を傾けた場合、何がどう浮かび上がってくるか。
愛を語るためにソネットの構造を一部犠牲にしたシェイクスピア、ロシア語訳で当局の目を逸らしつつも転調で注意喚起するショスタコーヴィチ
ショスタコーヴィチがこの歌曲に付けている速度記号は「レント(lento)」。ピアノとバス声音だけの音楽で、イメージや雰囲気の話ではなく、現実に演奏と歌唱自体を遅くせよというレントの指示はなかなか意味深長だ。もっとも遅いテンポということで、音のひとつひとつ、言葉のひとつひとつを、否が応にも意識せざるを得なくなる。
ゆっくり重たいテンポに導かれるまま耳を澄ませば、はたと気づくのは、ところどころで詩のフレーズを締めくくるピアノの高音。シェイクスピアのソネットは4行ごとに意味の切れ目が訪れて、いわゆる「起(1~4行)・承(5~8行)・転(9~12行)・結(13、14行)」の構造になってもいるのだが、ピアノの高音はちょうど4行目と12行目の切れ目部分に置かれている。文学全般、英語や英文学にも造詣の深かったショスタコーヴィチのこと、とても偶然とは思えない素敵な符合で、実に印象的。
しかしもっとも印象的なのは、7行目から9行目にかけての転調だろう。伴奏とともに暗く厳かな響きを増すバスの低音が告げるのは、例の「思考が口を塞ぐということを忘れるな」。シェイクスピアの原詩から逸脱したロシア語訳独自の警句である。ソネットの構造と一致するピアノ高音の配置と併せて考えれば、ショスタコーヴィチが音楽によってこの部分への注意喚起を促しているのは、もはや火を見るより明らか。
ソネット転回部の始まりにあたる9行目は、もともと特別に「ターン(turn)」と呼ばれる詩の重要部分。実際ここで話をガラリと変えるのがシェイクスピアの得意技でもあるのだが、「ソネット66番」では詩人は例外的にその得意技を封印し、かわりに先に紹介した首句反復を披露しているといっていい。
しかし、ソネットの名手シェイクスピアがナントカの一つ覚えみたいに、本来使うべき技を抑えてまで10行もの行頭で同語の繰り返しを行っているのは、いささか腑に落ちない。ある種奇異ですらある。何か特別な理由があるとすればただひとつで、恐らくは先に待ちうける最後2行の結論部を強調するため。このくだらない世の中で、自分を生かし続けるのは「愛する人」だけ、ただひとりあなたのために自分は生き続けているのだと、最後にさりげなく愛を語るためだ。
愛を語るために、ソネットの本来あるべき構造を一部犠牲にし、大事な9行目のターンをも無視する。それがシェイクスピアのしたことなら、詩の9行目をあからさまに一部改変することで逆に意識させ、当局の目を欺くと同時に冷ややかな諷刺を行なう——それがパステルナークとショスタコーヴィチのしたことではないだろうか。
芸術家たちがポーカーフェイスで作品に込めた皮肉
詩全体をよく読めばわかる。たとえ9行目を「修正」したところで、66番そのものが社会を弾劾する内容で、今の世の中の何もかもに疲れ果てたといっていることに何ら変わりはないのだ。実はソネットにおける9行目のターンとは、それが劇的であればあるほど往々にして皮肉や諷刺となっているのだが、翻訳上の劇的な「改変」によってこんな人を喰った皮肉、お国のために気のきくふりしたポーカーフェイスの諷刺にもなるとは驚き。
振り返ってみれば、ボスの描いた「音楽地獄」が実のところ決して怖くも恐ろしくもなく、割れた卵の殻の中では居酒屋が目下営業中であるなどむしろ楽しそうで、完全に地獄を笑い飛ばしているのと一緒。つまるところ、きちんと部分を修正しながら全体としては社会批判の詩のままとなっているショスタコーヴィチの歌曲「ソネット66番」は、体制側をほとんどコケにしているのである。検閲する側にそれがわかれば、の話だが。
後年、1971年になってからショスタコーヴィチが新たに加えたオーケストレーションでは、ピアノの高音のかわりにトランペットがソネットのフレーズの意味の切れ目に置かれ、聴く者を導いてゆく。導かれる先がポーカーフェイスを決め込んだ高度な諷刺であることに変わりはないが、室内管弦楽のために増やされたいくつかの音は、決して耳にうるさいことはなく、暗くともどこか懐かしくて慕わしい。
ショスタコーヴィチ:《イギリスの詩人による詩の6つのロマンス》より第5曲「ソネット66番」(作曲者によるオーケストラ編曲版)
それはもはや戦時中ではなく戦後の響き。世に憤りながらも最後には愛を語るシェイクスピアの詩と同じく、社会や国家という大袈裟なものを通り過ぎて、個人の苦悩のために深いところで奏でられるささやかな調べだ。
21世紀の戦争はまだ終わらない。もしもこの先、それぞれの事情で「口をつぐむ」ことを余儀なくされたなら、黙って頭を捻り手を尽くし、あくまで自分のために生きることもまた、ひとつのささやかな抵抗となる。自身の才能のため、音楽に暗号を散りばめながらスターリン時代を生き抜いたショスタコーヴィチのように。
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