ピッチと調性格論~同じ作品もさまざまなピッチで聴き比べると印象が変わる
第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールで第2位に入賞された川口成彦さんが綴る、「古楽」をめぐるエッセイ。同コンクール第2回が開催される2023年10月まで、古楽や古楽器に親しみましょう!
1989 年に岩手県盛岡市で生まれ、横浜で育つ。第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位、ブルージュ国際古楽コンクール最高位。フィレンツェ五月音楽祭や「ショパン...
もともとピッチは多様なもの
数年前に友人が「藤井風って知ってる?」とYouTubeで彼のピアノ演奏や歌を僕に聴かせてくれました。そのときから僕は彼の音楽、歌詞、PV、ライブ映像などに魅了されているのですが(ライブはいつかぜひ行きたい!)、「まつり」や「grace」といった彼の楽曲がA(ピアノの中央のドの上のラの音)=432Hz(ヘルツ)で創作されていることには驚きました。
藤井風「まつり」
世界中のあらゆる民族が音楽を奏で、音律(音高の相対関係)やそれに起因するピッチ(周波数)への感覚も多様に生まれました。しかし、欧米文化が世界中に浸透した近現代以降、1939年にロンドン国際会議で定められた国際基準A=440Hz(以下「モダンピッチ」とも記す。また「A=」や「Hz」も省略する)があらゆる社会に根付き、今日は440、または441や442など少し高めのピッチに基づく音楽や演奏にあふれています。だからこそ藤井さんの432のピッチの楽曲は、今日のポップスにおけるピッチの柔軟性を提示する良い例となります。
しかし、もともとピッチに対して柔軟だったのは、国際基準を定めるに至った西洋音楽そのものでした。17世紀から19世紀を俯瞰しても、地域や時代によってさまざまなピッチが用いられていました。例えば、バロックピッチとも言われる415(モダンピッチより半音低い)、古典派はロマン派の古楽器での今日の演奏でよく用いられる430、ヴェルサイユピッチとして知られる392(モダンピッチより全音低い)は歴史的ピッチとして有名なものです。
1711年には、イギリスの宮廷トランペット奏者ジョン・ショアによって音叉が発明されますが、音叉のピッチも歴史を辿るとさまざまです。1740年にヘンデルが所有した音叉は422.5で、1800年頃にベートーヴェンが友人にプレゼントしたと言われる音叉(大英図書館所蔵)は、当時のイギリス基準の455.4です。また1830年代に434の音叉を使用していたパリの盲目の調律師クロード・モンタルの弟子がショパンのピアノを調律していたと言われており、それゆえにショパンは434に慣れ親しんでいた可能性が高いです。
僕は小学生の頃からずっとピアノを続けていたので、モダンピッチに基づく絶対音感が身についていたのですが、古楽器と共にあらゆるピッチに触れるようになってからは、それがある程度崩れてきました。
2023年に東京・春・音楽祭の「東博でバッハ」でモダンピッチより全音低いヴェルサイユピッチでのリサイタルに初挑戦し、何の違和感もなく演奏できたことは本当に嬉しく、今の自分のピッチ感覚の柔軟性に少し自信を持てました。430のフォルテピアノや415のチェンバロに触れるようになったばかりの20歳の頃は、指が触れているキーと聴こえてくる音が一致しないで弾けなくなる経験もありました。今ではとても懐かしいです。
調性と人間の感情を結び付ける調性格論
さて、ピッチが多様に存在した西洋芸術音楽の歴史を思うと、「調性」というものに疑問を抱く方もいるのではないでしょうか。モダンピッチでのハ長調の響きはバロックピッチでは嬰ハ長調、ヴェルサイユピッチではニ長調となるように、同じ響きでもピッチが変わることで認識される調性が変わってしまうのですから、もはや「調性」って一体何? って思われても仕方ありません。
それにもかかわらず、18世紀には調性格論というものも存在しました。これは調性一つひとつに人間の感情に結びつくキャラクターがあるという考えで、バロック音楽における情緒論にもつながるものです。バロックの時代には、マッテゾン(1681~1764) 、古典派の時代にはシューバルト(1739~1791)の調性格論があらゆる音楽家に影響を与えました。そのほか、クヴァンツ(1697~1773)、ミツラー(1711~1778)、ズルツァー(1720~1779)、ホフマン(1776~1822)などの調性格論も知られています。
調性格論を知ると、作品の調性から作曲者の当時の心境まで考察できる場合があります。
例えば、1785年にモーツァルトがウィーンのアリタリア社から「幻想曲とソナタ op. 11」として出版した「幻想曲 ハ短調K. 475」(同年5月20日に完成)と「ソナタ 第14番 ハ短調 K. 457」(同年10月14日に完成)は、彼の最初の弟子とも言われるテレーゼ・フォン・トラットナー(当時26歳)に献呈されました。彼女はモーツァルトの楽譜の写譜をしていた出版業者ヨハン・トーマス・トラットナー(当時67歳)の後妻ですが、モーツァルトはテレーゼに叶わぬ恋心を抱いていたとも言われています。
シューバルトの調性格論では、ハ短調は「愛の告白、愛する魂の渇望、苦悩・憧れ・ため息」を象徴しており、もしかするとモーツァルトがハ短調という調性にそのような意味合いを内包させた可能性も考えられるのです。
モーツァルト:幻想曲 ハ短調K. 475、
ピッチの多様性と調性格論の関係
ここまで調性というものが奥深いのならば、ピッチが多様であることはますます問題であるように思われます。絶対音感ががっちりしていた頃の自分だったら、ヴェルサイユピッチでのハ短調はモダンピッチでは変ロ短調であり、ヴェルサイユピッチでハ短調の曲と向き合うとなると「変ロ短調」の性質を感じることになったでしょう。
しかし、面白いことに今のようにピッチ感覚が柔軟になると、モダンピッチでハ短調の作品を弾いても、ヴェルサイユピッチで同じハ短調の作品を弾いても、同じ「ハ短調」のキャラクターを感じ、いずれのピッチでもその調性感に心が問題なく寄り添えるのです。
すなわち「調性」というものは絶対的な周波数で語られるものではなく、演奏する際に用いることになるピッチの中での音高の相対関係によって繰り広げられるものなのだろう、と僕は最近さらに確信をもてるようになりました。
けれど同じ作品をさまざまなピッチの演奏で比較してみると、聴こえてくる作品の印象がガラリと変わることは忘れてはなりません。例えば、モダンピッチで明るく聴こえたショパンの作品が、彼の親しんだ434で演奏するとグラデーションが少し暗くなり、明るい曲調に憂いがより感じられるようになったりします。将来、古楽器に限らずモダン楽器においても、「表現」のために多くの奏者がピッチにこだわる時代がきたら面白いだろうなと思います。皆さんはどんなピッチで何の作品を聴いてみたいでしょうか。
ショパン:《舟歌》1843年製プレイエルでの演奏とモダンピアノでの演奏
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