読みもの
2023.01.29
川口成彦の「古楽というタイムマシンに乗って」#8

古楽器の音色は当時の音なのか? 多くの楽器を知り、真実を追い求める

第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールで第2位入賞された川口成彦さんが綴る、「古楽」をめぐるエッセイ。同コンクール第2回が開催される来年10月まで、古楽や古楽器に親しみましょう!

川口成彦
川口成彦 ピアノ・フォルテピアノ・チェンバロ奏者

1989 年に岩手県盛岡市で生まれ、横浜で育つ。第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位、ブルージュ国際古楽コンクール最高位。フィレンツェ五月音楽祭や「ショパン...

『ショパン 夜想曲&小品集』(ACOUSTIC REVIVE)のCDレコーディングより。1842年のプレイエル(修復:エドウィン・ボインク)と共に。

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古楽器の“失われた声”を蘇らせる修復家

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演奏されることがなくなって、楽器としての目的を失ってしまったような古い楽器たちの中には、時間の流れと共に音も出ないほどボロボロになってしまったものが多く見られます。世界中の楽器博物館には、ただ単に歴史を伝えるための展示物となってしまったものもあります。

そういった楽器たちの失われた声は、楽器の修復家の方々の手によって、今日にも蘇らせることができます。そして、近年の古楽の普及および修復家の方々の尽力により、時代を超えて「当時の音色」が現代人の耳と心に行き届く機会が増えていると思います。

しかし、修復された古楽器の音色を耳にした方の中には「当時の音色は本当にこうだったのだろうか……」と思う方もいるのではないでしょうか。歴史的な名画のなかには、描かれた当初はもっと色鮮やかで、今日の我々が知っているものと大きく異なるものもあるそうですが、楽器の音も同じように、作られた当初と今日の我々がイメージする音に隔たりが生じている可能性がゼロとは言えません。

僕自身、これまでヨーロッパと日本で15台以上の異なる修復家が手がけたショパン存命時のプレイエルを弾いたことがありますが、面白いことに、すべて弾き心地だけでなく、音色も同じではありませんでした(近似値のものは数台ありますが)。そうなると「果たしてどれが本当のプレイエルの音だろうか」という疑問が湧き起こります。

そのうち何人かの修復家は、プレイエルというメーカーに特別な思い入れがあり、「私が修復したものこそ本当のプレイエルの音色です」と自信たっぷりにおっしゃる方もいました。「本当の音色」を確認するためには、それこそ本当にタイムマシンに乗って音色を聴かなければなりません。もしかしたら楽器が製造された当時から、同じメーカーでも、製作時期が微妙に違うだけで1台1台の音色が大きく異なっている可能性だってあります。手作りの楽器だからこそ、楽器ごとに個性が生まれることもありえます。でも、それも結局は当時にタイムスリップしない限り正確にはわからないのです。

ショパンの魂が宿るプレイエル社のピアノ

これまで触れた複数のプレイエルの中でも、僕が特に感銘を受けたのは、ショパンが最後に手にしたと言われるピアノです。ポーランド国立ショパン研究所が大切に保管し、ワルシャワのショパンミュージアムに展示しています。ショパンは21歳でパリに移り、プレイエル社のピアノを音楽活動のパートナーとしました。ショパンが生涯で所有したプレイエル社のピアノは12台ほどで、最後に所有したのはピアノは1848年に製作されたシリアルナンバー14810のものでした。そして、ピリオドピアノの復元および修復の第一人者であるポール・マクナルティの力を借りて、そのプレイエルの音色は2021年の12月に現代にようやく蘇ったのでした。

昨年6月に、大変幸運なことに僕はショパン研究所のインタビュー企画でそのピアノを弾かせてもらう機会をいただきました。演奏しながら涙が出そうになりました。楽器とその音色の中にショパンの魂が本当に宿っているような気がしたのです。

そのピアノは、ショパンの死後、愛弟子ジェーン・スターリングによって買い取られ、1850年にポーランドにいるショパンの姉ルドヴィカの元に渡りました。大切にされてきてもともと保存状態もかなり良かったと聞きました。そして、信じられないような美しさをもった格別な音色から、パリ時代以降のショパンとプレイエルの結びつきを改めて強く感じました。

ショパンが最後に所有していたピアノ(インタビュー収録のマイクの関係で蓋の一部を閉じています)

さて、このショパンの最後のプレイエルの修復後の音色は「きっと当時もこのような音色だったであろう」と思いたいものですが、それ自体も結局は100%の確証が得られないままに心の中で信じるしかありません。しかし、ショパン最後のプレイエルをはじめとした修復状況や保存状態の異なる複数のプレイエルを実際に弾いたうえで、それらすべての楽器から共通して感じられた「プレイエルらしさ」という漠然とした楽器の特色というものがあります。

それは非常に感覚的なものですが、言葉にするならば「音が楽器からではなく天から降ってくるよう」で、さらには「聴覚だけでなく嗅覚をも刺激するよう」といった特色です。今まで実際に弾いてきたプレイエルは、1台1台すべて異なり、極論を言ってしまえば、どれが本当のプレイエルの音色か断言できません。けれど、すべての楽器から自分自身が感じ取った「プレイエルらしさ」というものは、きっとショパンも同じように感じていたものだと強く信じてみたいと思っています。

このように、古楽器に対して「自分自身の中で強く信じてみたいもの」を心の中に持つためには、同じメーカーのものでもやはり多くの楽器に触れるべきだと思っています。古楽器の中には、オリジナルを修復したものでなく、当時新しく楽器が作られたように一から「復元」されたものもあります。復元楽器のほうがオリジナルよりも楽器の本来のコンディションを再現できると考える方や、オリジナルのほうこそが本来の音色に近いと考える方もいます。

ちなみに僕は、18世紀や19世紀の木材と今日の木材の質が地球環境の変動などにより大きく異なるので(昔のほうが質が良い)、オリジナル楽器を修復するほうが「当時の音」に近づけるのではないかと思っています。

世界中の古楽器を知り尽くしたい!

楽器を深く知ろうとする好奇心の重要性について、これまでさまざまな古楽器奏者から学んできました。なかでも、『チェンバロ・フォルテピアノ』(東京書籍、2000年)の著者で歴史的鍵盤楽器奏者である渡邊順生先生には、頭が下がる思いです。2017年に順生先生がオランダにタンゲンテンフリューゲルの調査でいらしたときに同行させてもらったのはとても良い思い出で、1791年にドイツのレーゲンスブルクにてクリストフ・フリードリヒ・シュマール(Christoph Friedrich Schmahl, 1739〜1814)が製作した貴重な楽器を、デン・ハーグ市美術館の倉庫にて見せてくださいました。

タンゲンテンフリューゲルは、特殊なピアノで、ハンマーではなく鍵盤の後方部に乗った木製のタンジェントが弦を打つ仕組みです。現存するオリジナルの楽器は、世界に20台ほどしかないと言われています。僕は順生先生に付き添ったときに、初めてオリジナルのタンゲンテンフリューゲルを見ることができました。その楽器は修復されているわけではなく、実際の音色を聴くことはできませんでしたが、オリジナル楽器を目にすることができて、このうえない貴重な経験でした。

左:1791年のシュマール製作のタンゲンテンフリューゲル(デン・ハーグ市立美術館所蔵)
下:打弦するタンジェント(木製の棒状のもの)

オランダに滞在する数日前には、フランスのヴェルサイユ宮殿に所蔵されるチェンバロの調査にも同行させていただきました。休日の無人の宮殿にて、1728年のヨハネス・ルッカース(Johannes Ruckers)と1746年のニコラ・ブランシェ(Nicolas Blanche)を先生が試奏されているのを聴き、贅沢なひとときでした。宮殿の一室に鳴り響く300年前に製作されたチェンバロの音色はとても豊かで、「え、何この音色!?」と大きな衝撃を受けました。

ヴェルサイユ宮殿

そして、僕も楽器を弾かせていただいたのですが、鍵盤を下ろすと楽器の中から音風が湧き起こるような感覚でした。そのときの感動は今でも覚えています。古楽器奏者として「当時の音」に対する想像力のレベルが更新されたような気がしました。18世紀以前のオリジナル楽器の音を知ることのできる機会は、僕にとって本当に特別なものでした。

順生先生の楽器調査への熱心さを間近に感じながら、素晴らしい楽器に巡り会う経験ができて、「世界中の古楽器を知り尽くしたい!」と思うほど楽器に対して積極的でありたいと思うようになりました。

渡邊順生先生とオリジナルのチェンバロたち

過去に戻れない限り「当時の音」は今日の我々にとって「現代の視点から見た仮説」に過ぎないかもしれません。しかし、それゆえに、古楽器の世界はロマンにあふれていて面白いと僕は思っています。真実は現代に鳴り響く音色の中にも感覚的に見出せるものだと僕は信じているので、実際にいろいろな楽器を弾いてみたり、演奏会に足を運んだり、自分が行き着けない楽器の音色は録音で聴いたり……古楽器を聴くことにまつわることすべてが楽しくて仕方がないのです。修復家、演奏家、聴衆問わず、古楽器を愛する人々の中にはこの気持ちに共感してくださる方がいるのではないでしょうか。

川口成彦
川口成彦 ピアノ・フォルテピアノ・チェンバロ奏者

1989 年に岩手県盛岡市で生まれ、横浜で育つ。第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位、ブルージュ国際古楽コンクール最高位。フィレンツェ五月音楽祭や「ショパン...

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