ピアニストにとっての調律師の存在。そしてシューベルトの音楽と「感情」について
人気実力ともに若手を代表するピアニストの一人、牛田智大さんが、さまざまな音楽作品とともに過ごす日々のなかで感じていることや考えていること、聴き手と共有したいと思っていることなどを、大切な思い出やエピソードとともに綴ります。
私にとって4月は、ワルシャワに戻って勉強する期間となりました。ここではすっかり春めいたあたたかな風が吹き(たまに気温が下がって5度くらいになりますが)、連日穏やかな青空を見上げてから楽譜に目を落とす日々が続いています。
調律師との大切な出会いとMo.プレトニョフのお守り
いまワルシャワの自宅に調律師の方が来てくださっていて、隣の部屋から聞こえる調律の音に耳を傾けながらこの原稿を書いています。ピアニストでもある調律師の彼が、自宅に来てピアノを触ってすぐに私が感じている楽器の問題を察知してくれたので、安心して仕上がりを楽しみに待っているところです。
ピアニストにとって調律師の存在はとても大切なものです。もちろんスヴャトスラフ・リヒテルの有名な「悪いピアノは存在しない、悪いピアニストがいるだけだ」という言葉のとおり、ピアニストはどんなに癖の強いピアノでもそこそこ自分の音楽を実現できるだけの技術を備えていなければなりませんが、ただ公演数をこなすだけならともかく良い音楽を追求しようとするなら、ppの弱音を出すのにタッチやペダルを全力で駆使しなければならない楽器と少し指先のコントロールを変えるだけでよい楽器があれば、誰だって後者を望むというものです。それはもちろん楽器の個体差によるところもありますが、
10代のころ、私は初台にある東京オペラシティのピアノ庫を訪れる機会が何度かありました。そこにはホールが所有するピアノが保管されているのですが、ときどき公演を間近に控えた巨匠が持ち込んだ「専用の」ピアノが置いてあることがありました。見た目は我々がいつも弾いている典型的な楽器なのですが、弾いてみると完全にそのピアニストの音がするように、あるいはそのピアニストの音楽的な方向性がもっとも生きるように調整されているのです。ラフマニノフを弾くには厳しそうなもののシューベルトやドビュッシーを弾くにはまさに理想的な状態に調整されていました。名だたる巨匠たちが作り上げるハイレベルな次元の音楽は、こうして調律師との共同作業によって成り立っているのだ、とそのとき妙に納得したものです。
各地で出会う楽器にはさまざまな特徴があります。それぞれ美点と欠点があり、作品との相性があるわけですが、基本的にはピアニスト自身が、自らが望む方向に楽器を引き寄せていかなければなりません。しかしごくたまに、奇跡的に楽器に対する私の志向を調律師の方が共有してくださることがあり、そうすると演奏するうえでの大変な工程を大幅にスキップできます。そんなとき自分自身の音楽的なアイデアがアップデートされるような感覚を持つのです。私のこれまでの人生のなかでも、そんな出会いがいくつかありました。例えば、
ほかにも例えば新しい楽器を納入したときからずっと同じ調律師の方がメンテナンスとほとんどの公演調律を担当し「楽器を育てている」事例もあります。納入されたばかりのときと比べ、調律師の方が長い時間をかけて楽器の方向性を変えてくださったことで(もちろん私のためというわけではなく)、いまではとても好きな楽器のひとつになりました。
調律の話で思い出すのはMo.ミハイル・プレトニョフと初めて共演した15歳の時のことです。とある地方のホールだったのですが、ピアノの音がとても華やかで、ppのコントロールにいくらか難がありました。ゲネプロが終わって開場まであと5分ほどという時刻になって、マエストロが「A4用紙を3枚持ってくるんだ。それを縦半分に切って、アクションの後ろに挟めばppはもっと出るようになる」と突然仰ったのです。そのときは確かにppが出しやすくなったような気がしたものです。いまでもピアノの扱いがどうしようもなく不安な時だけ、お守りのように使うことがあります。
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