読みもの
2022.12.05
ジャケット越しに聴こえる物語 第5話

建築と音楽のマリアージュ〜16世紀に花開いた器楽曲とイオニア式柱頭

配信だけではもったいない! 演奏が素晴らしいのはもちろん、思わず飾っておきたくなるジャケットアートをもつCDを、白沢達生さんが紹介する連載。12cm×12cmの小さなジャケットを丹念にみていると、音楽の物語が始まります。

白沢達生
白沢達生 翻訳家・音楽ライター

英文学専攻をへて青山学院大学大学院で西洋美術史を専攻(研究領域は「19世紀フランスにおける17世紀オランダ絵画の評価変遷」)。音楽雑誌編集をへて輸入販売に携わり、仏・...

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ジャケット写真のモチーフになるのは、必ずしも人物ばかりとは限りません。歴史的建造物や古都の情景を、さながら絵画のように配した写真が出てくる場合もあります。

その好例として、1600年前後のイタリアに花開いた、ヴァイオリン独奏のための音楽の黎明期に光をあてた比較的最近の古楽アルバムを一つ紹介しましょう。

ヨーロッパでは、人間の声で何かしらの詩(歌詞)を歌う音楽、つまり声楽こそが重要とされていた時代が長く続いてきました。16世紀頃から徐々に、言葉ぬきに楽器だけで演奏される器楽が独自の発展をみせはじめますが、それでもしばらくのあいだは、知識人たちの関心はあくまで何筋ものメロディを同時進行させる多声音楽にあったため、器楽もおのずと合奏することが前提になっていたり、一人で弾く時には鍵盤楽器をはじめ、多声を同時に奏でられる楽器が使われる場合がほとんどでした。

16世紀前半のアントウェルペンで活躍していた逸名画家(通称「女性半身像の画家」)による音楽演奏の図(1530年頃/ロサンジェルス市立美術館所蔵)。17世紀もかなり後になるまで、音楽の場面を描いた絵は誰かが歌っているか踊っているか、さもなくば楽譜に歌詞があり、人々の思い描く音楽とは声楽か舞曲ばかりだった様子を想像させる。

しかし16世紀も終わり頃になると、古代世界への関心が高まった末「古代の演劇では、俳優たちが台本を歌うように詠み上げ演技していた」との説が注目されたことから、まずは声楽で多声を絡ませ合うのではない、特定の歌い手が詩句をわかりやすく聴かせられるよう独唱する新しい音楽作法が模索されはじめます。

すると、声楽を手本にしていた器楽の世界でもおのずと、ヴァイオリンやリコーダーのような単独では単旋律しか出せない楽器にまで主役格の活躍ができる可能性が出てきました。こうして、腕前巧みにヴァイオリンを奏でられる音楽家たちが、その技芸を極限まで突き詰め、広く知られたメロディを「こうも弾ける、こんな感じにも彩れる」と、さまざまな装飾音を添えながら変奏していったり、あるいはまったくの空想(ファンタジア)を自由に羽ばたかせて、声楽家向けの音楽では考えられない、独特の自在な演奏を披露できるソナタのような新しい曲種を追求、西洋音楽は新たな局面を迎えました。

レンブラントと同門の同世代画家ヤン・リーフェンスが描いたヴァイオリンを持つ人の図(1625年頃/レイデン・ラーケンハル美術館所蔵)。楽譜には歌詞が見当たらないため、17世紀ならではの器楽作品と思われる

そんな器楽発展の黎明期に花開いた音楽を、バロック・ヴァイオリンの名手オリヴァー・ウェッバーが、鍵盤楽器奏者スティーヴン・デヴァインとの緊密なデュオであれこれ聴かせてくれるアルバム――その表紙には、当時の印刷物の多くと同じくモノクロームの、美しい写真が使われています。

ヴァイオリンの棹の先にあるスクロール部分を思わせる、シンプルな一筋の渦巻が一つ。

その下には唐草模様のような、もしくは花のような装飾的図案も見えます。どうやらこの写真、古代風にしつらえた近世ヨーロッパの建築物の細部、柱の上端をクローズアップしたものだとわかります。

形状をよく見てゆくと、いわゆるイオニア式の柱頭装飾だと気づきます。古代建築の主要な柱頭様式の中では、ごくシンプルで装飾要素の少ないドリス式の柱頭と、さらに細かな彫刻に彩られた複雑なコリント式の柱頭のあいだをゆく、発展段階の途上ともいえる様式がこのイオニア式です。アテネのアクロポリスに残る神殿エレクテイオンに典型的な残存例がありますが、古代風を模したルネサンス以降の建築でも北欧や英国から地中海沿岸諸国までヨーロッパ各地で幅広く使われており、このアルバムに登場する作曲家の多くが活躍したヴェネツィアにも、マルチアーナ図書館が入っているゼッカ宮殿など印象的な使用例をそこかしこで見つけることができます。

紀元前5世紀末に建てられたアテネ・アクロポリスにある神殿エレクテイオンの柱。イオニア式建築の代表的例。
1537年に開館したヴェネツィアのサン・マルコ広場の一角にある国立マルツィアーナ図書館の2階ファサード部分。
19世紀末のドイツ語社交会話事典に示された古代建築の柱頭変遷図(1892年)。上にイオニア式柱頭の拡大図もいくつか見える。

装飾様式の発展途上にあって、それ自体が完成された美をそなえたイオニア式柱頭。

声楽曲を手本に手さぐりで発展を始めながら、すでにそれ独自の魅力も芳しく放ってやまない、1600年前後のイタリアのヴァイオリン音楽。

艶やかな一筋の旋律美を、細やかに耳をくすぐる装飾音型を、ジャケットに映る渦巻や唐草模様になぞらえながら、古代世界を手本にしつつ自分たちの「今、ここ」の新たな芸術を模索した、昔日のイタリア人ヴァイオリン奏者たちに思いを馳せてみる……さりげない視覚と聴覚のマリアージュの妙を楽しめる古楽の名盤、探せばまだまだありそうですね。

CON ARTE E MAESTRIA  ~イタリア・バロック黎明期における超絶技巧ヴァイオリンの装飾技法~  〔ロニョーニ、マリーニ、ダッラ・カーザ、ボヴィチェッリ 他〕
今回のCD
CON ARTE E MAESTRIA ~イタリア・バロック黎明期における超絶技巧ヴァイオリンの装飾技法~ 〔ロニョーニ、マリーニ、ダッラ・カーザ、ボヴィチェッリ 他〕

オリヴァー・ウェッバー(バロック・ヴァイオリン)

スティーヴン・デヴァイン(オルガン&チェンバロ)

Res Musica(英国)2021年8月発売

RES10282(原盤)※日本語解説なし輸入盤のみ日本流通

白沢達生
白沢達生 翻訳家・音楽ライター

英文学専攻をへて青山学院大学大学院で西洋美術史を専攻(研究領域は「19世紀フランスにおける17世紀オランダ絵画の評価変遷」)。音楽雑誌編集をへて輸入販売に携わり、仏・...

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