ベートーヴェンとインドの哲学
年間を通してお送りする連載「週刊 ベートーヴェンと〇〇」。ONTOMOナビゲーターのみなさんが、さまざまなキーワードからベートーヴェン像に迫ります。
第36回は、ベートーヴェンの日記に見られるインドの聖典や戯曲の引用に迫ります。
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...
ドイツに伝わったインドの聖典
インドでヨーロッパ列強が抗争を繰り広げた末、イギリスによる植民地支配が進んだのは、18世紀後半から19世紀にかけてのこと。これはベートーヴェンが生きた時代でもあります。
このころヨーロッパがインドから次々と持ち帰ったものは、香辛料や茶、綿織物だけではありません。インドの哲学書や宗教書が翻訳され、ヨーロッパ、特にドイツの知識人たちの間で読まれるようになりました。
ベートーヴェンも、そんなインドの叡智に影響を受けた一人。その痕跡は、彼が1812年から6年間つけていた日記に見られます。これは、交響曲では第7番、第8番、ピアノ・ソナタでは第27番〜第29番「ハンマークラヴィーア」を書いていた頃。体調もすぐれず、甥カールの養育権をめぐる訴訟で神経をすり減らしていた時期でもあります。
ベートーヴェンは実際どんなことに食いついたのか。彼が引用した文章のごく一例を見てみましょう。
己のあらゆる情熱を抑制し、ことの結果を気にせずに、己の行動力を傾注して人生の解決すべきあらゆる事柄にあたる者は、幸いである!
(「バガヴァッド・ギーター」より/1815年の日記)
美しい睫の下で今にも涙があふれ出ようと待ち構えているとき、その最初の涙の一滴を、気をしっかり保って堪えねばならない。汝が地上を遍歴する途上では、どれが本当の道か定かに見分け難く(中略)、けれども美徳が、汝をまっすぐに前に押し進めるであろう
(カーリダーサの戯曲「シャクンタラ」より/1815年の日記)
自分を強く持ち、惑わされず進めという言葉は、いかにもベートーヴェンが共感しそう。他にも、神や精神にまつわる引用が多く見られます。
1815年に作曲された「チェロ・ソナタ第5番 ニ長調」には、創作様式の転換の試みが見られる
ちなみに2つめの引用元「シャクンタラ」は、叙事詩「マハーバーラタ」の登場人物たちの祖先、シャクンタラ姫と王の物語。ヨーロッパに初めて紹介された重要なサンスクリット文学の一つで、シューベルトがオペラのスケッチ(《シャクンタラ》D701)を残しています。
そのほか、ベートーヴェンの日記にはこんなメモも。
インドの音階と音名——サ、リ、ヤ、マ、ナ、ダ、ニ、シャ
実際と少し違いますが(カタカナで表記するなら、正しくはサ、リ、ガ、マ、パ、ダ、ニ、サ)、なにせ時代はインド学黎明期。元の資料に間違いがあったのかもしれません。
《悲愴》ソナタはインドのラーガにそっくり!?
ところで以前、コルカタであるインド人のシタール奏者のお宅にお邪魔したときのこと。私が西洋クラシック音楽のライターだというと、その方は突然、ベートーヴェンの《悲愴》ソナタ終楽章の冒頭のメロディを歌いはじめました。
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番《悲愴》3楽章(1797~98年、ベートーヴェン27〜28歳の頃に作曲)
なんでも彼の師匠が、「インドのあるラーガ(音列のパターンのようなもの)にこの旋律とほぼ同じものがあるから、引用してインド古典音楽として演奏していた」というのです。
ベートーヴェンがインドのラーガを学んで作品に反映させていたかは不明ですが、もしも万が一、元ラーガのベートーヴェンの旋律がインドに逆輸入されていたのだとしたら、ちょっとおもしろい。
ちなみに、このとき驚きすぎて、どのラーガなのか聞き逃したのですが、インド在住の日本人サントゥール奏者の友人に確認したところ、「キルワニか、ジョウンプリの雰囲気」ということでした。
少しマニアックな世界ですが、興味のある方は、検索してみてください。
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