メンフィスに根付いたストリートダンスとクラシックの化学反応〜映画『リル・バック ストリートから世界へ』
ヨーヨー・マと共演した一本のビデオ以来、世界から注目を集めるダンサー、リル・バックの半生を描いたドキュメンタリー映画。彼が踊るのは、テネシー州メンフィス発祥のストリートダンス「メンフィス・ジューキン」。バレエを学ぶことで新境地を見出したリル・バックの魅力、そして彼が発信したいものとは?
東京生まれの宇都宮育ち。高校卒業後、渡仏。リュエイル=マルメゾン音楽院にてフルートを学ぶ。帰国後はクラシックだけでは無くジャズなど即興も含めた演奏活動や講師活動を行な...
ダンスは土地に根付く。
青森のねぶた、徳島の阿波踊り、沖縄のカチャーシー……日本にも無数の「ご当地の踊り」があり、それは土地の誇りと結びついている。盆踊りだって、地域によって曲や振り付けが違う。何も踊れなくたって、小さいころに夏祭りで覚えた盆踊りが踊れる人は多いはずだ。
このドキュメンタリー映画の主人公は、驚異的な爪先立ちや浮遊感のあるムーヴであらゆるジャンルに引っ張りだこのダンサー、リル・バック。今では世界有数のトップダンサーとしての名声を手に入れた彼のステップもやはり、メンフィスという土地に根付いている。
リル・バックの名は知らずとも、そのダンスを目にしたことがある方を多いかもしれない。歌手のジャネール・モネイ、マドンナとの共演、ヴェルサーチやシャネルなどハイブランドとのコラボレーション、Appleやユニクロのコマーシャルにも登場した。
そんな彼が、一躍脚光を浴びるきっかけとなったのが、世界的チェリストであるヨーヨー・マと共演したサン=サーンスの「白鳥」を、映画監督スパイク・ジョーンズがiPhoneで撮影し、YouTubeに投稿した一本の動画だった。
リル・バックが踊るのは、全米有数の犯罪多発都市である(映画の中でも、リルや彼の友人たちが、メンフィスがいかにヤバい街かを語る)テネシー州・メンフィス発祥で、つま先立ちが特徴的な「メンフィス・ジューキン」というダンス。
娯楽が少ない街にあって、厳しいストリートの日常を忘れさせてくれる存在だという。
どちらかといえば、1都市のマイナーなストリートダンスだったジューキンのダンサーが、なぜヨーヨー・マの目に留まったのだろう?
若いころ「この辺では敵なし」のダンサーだったリルは、もっとダンスが上手くなりたい一心で奨学金を得、バレエカンパニーのレッスン生となる。ストリート育ちのアフリカ系アメリカン人が、バレエを習うというのは、日本人が考える何倍もの壁があることだろう。しかし、リルはただただダンスが上手くなりたかった。毎日鍛錬を繰り返し、つま先で立ち続けるバレエ・ダンサーたちの秘密を知りたかった。
リル曰く、「俺のジューキンをバレエに取り入れたら、俺を触媒にして、ストリートとクラシックが化学反応を起こした」。芸術監督からの助言もあり創作した「白鳥」がヨーヨー・マの目に留まり、ブレイクのきっかけとなったのだ。
もちろん、リルの成功は、ダンス・アートに対する感受性、努力、柔軟性によるものなのだろう。しかし、彼の言葉からは常に、自身を育んだメンフィスのストリートへの想いが滲み出ている。映画の後半で踊られるストラヴィンスキー作曲の『ペトルーシュカ』で、バレリーナに報われぬ恋をする人形の「すごく悲しい物語」を、メンフィスの人々に重ねて語るシーンは非常に印象的だ。彼は、メンフィスという土地に根付く偉大なカルチャーを、世界に届けるメッセンジャーなのだ。
現在、社会活動家として「身体表現を通じて世界を変える」ことを目指す団体MOVEMENT ART IS(M.A.I)を立ち上げたり、ジュリアード音楽院のクリエイティブ・アソシエイツも務めるリル・バック。彼の切り開いた道は、確実に次の世代に受け継がれている。
彼の人生、そしてメンフィスが育んだ、息を呑むようなダンスを目撃してほしい。
8月20日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺他全国順次公開
原題:LIL BUCK REAL SWAN|2019年|フランス・アメリカ|ドキュメンタリー|85分
監督:ルイ・ウォレカン 配給:ムヴィオラ
公式サイト
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