海老彰子が考える理想のピアニスト像とは?~謙虚さと想像力をもって
音楽コンクールの最高峰、ショパン国際ピアノコンクール、略してショパコン。連載「じっくりショパコン」では、2021年に延期となった第18回ショパン国際ピアノコンクールをより深く楽しむべく、ショパンやコンクールの本質に迫っていきます。
第6回は、唯一の日本人審査員、海老彰子さんにインタビュー! ご自身が出場されたときの思い出から、ショパンらしい演奏とは何か、今回のコンクールでどのようなピアニストを求めているか、詳しくお話しいただきました。
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...
東京藝術大学で学んだのち、パリ国立高等音楽院に留学。パリを拠点に学んでいた1980年、第10回ショパン国際ピアノコンクールで第5位に入賞した海老彰子さん。ショパンコンクールでは、前回の2015年に続き、今度も審査員を務めます。
唯一の日本人審査員であり、かつて浜松国際ピアノコンクールの審査委員長も務めている海老さんに、審査員の立場からコンクールに寄せて思うこと、また、ショパンの音楽の真髄に近づくために大切なことについて伺いました。
1年の延期はプラスにはたらく
——パンデミックによりコンクールが1年延期されましたが、ショパンだけに向き合う特殊なコンクールがこれだけのびることは、コンテスタントにとってどうなのでしょう。
海老 私はすごく得だと思いますよ。この間にショパンのいろいろな曲はもちろん、ショパン以外の曲を勉強し、またコンクールのレパートリーに戻ってくることもできるわけですから、みなさん喜んでいるに違いないと思います。
——たしかにこれまでのコンクールでは、3次予選くらいになると若い一部のコンテスタントが、次のプログラムの用意がギリギリだなんて言い出すこともありましたね。
海老 そうそう。でも、今回はみんなそれぞれに準備万端、満を持して出ていらっしゃいますから、期待できるのではないでしょうか。だからこそ余計、審査するほうは難しい判断になると思います。
1980年、出場時の思い出
——ご自身がショパンコンクールに参加されたときのことで記憶に残っているのは、どんな出来事ですか?
海老 当時のポーランドは、鉄のカーテンの向こう側でしたから、空港についた瞬間から、暗くひなびた雰囲気を感じました。空港でお金をいくら持っているか聞かれたりして、大変な場所に来たのだなと思いました。そのままコンテスタントが宿泊するフォーラムというホテルに向かい、あとは自由もありませんし、練習に集中する毎日です。
私はそのホテルでタルタルステーキを16回食べてね。おいしかったんですよ。16回目にお腹を壊して、やめました(笑)。
——自由が限られた中でも楽しんでいらしたのですね(笑)。
海老 食べることしか楽しみがなかったから。私はパリから参加していたので、同じパリからのルイサダさんと話すことはありましたけれど、ほかの入賞者と交流する機会が持てたのは、すべてが終わってからでした。
それでも記憶に残るのは、タチアナ・シェバノワさんの演奏です。誠実で、ショパンの優雅さが自然に出ていて、音楽に真摯に向き合っていることが伝わってきました。彼女の演奏を聴いたのは、ピアノ選びのときのたった数分のことでしたけれど。
タチアナ・シェバノワが演奏するショパンのマズルカ全曲
——1980年は、審査員だったアルゲリッチさんが、ポゴレリッチさんがファイナルに進めなかったことに抗議して審査から外れるという語り継がれる出来事があった回です。参加者は当時、このことをどう受け止めていたのですか?
海老 みんな自分のことで精一杯ですから、何も感じていなかったと思います。そのくらいでないと、次のステージに進むことはできないのではないでしょうか。
ただ覚えているのは、アルゲリッチさんから聞いたお話。ポゴレリッチさんがファイナル進出を逃したあと、ワルシャワに来ていたアルゲリッチさんのお母様がポゴレリッチさんと一緒に食事をしていて、「あなたはこのスキャンダルで有名になれるかもしれない」とおっしゃった、と私に話してくれました。
それにしても、ポゴレリッチさんのような特異な才能と、ダン・タイ・ソンさんやシェバノワさんのような伝統的、正統的な才能が両方存在し得るというのが、芸術のおもしろいところですね。
——両極端だけれど、両方に価値があるという。
海老 そう、それでそれぞれを好きな人がいて、嫌いな人もいる。でも、どちらにも才能があることは確かです。
謙虚にショパンの人生を研究しているか
——以前個性についてお聞きしたとき、「野菜と同じ、おいしさも栄養も一つひとつ違うけれど、それぞれが必要だ」とおっしゃっていて、なるほど野菜! と思ったのですが、好きな人も苦手な人もいるという話からすると、まさに野菜のようですね。
ただ、一般の聴衆は「好きなものは好き」で良いですが、審査員はそうはいかないのではと思います。好き嫌いと絶対的な評価の折り合いを、どうつけていらっしゃるのでしょうか。
海老 難しいところですよね。審査員ごとに考え方や感受性も違いますしね。
特にショパンコンクールのような1人の作曲家だけを取り上げる特殊なコンクールだと、いいピアニストだけれどショパンからは逸脱している場合、評価は厳しくなります。自分を無にして、謙虚にショパンの人生を研究していたら、はたしてそういう表現になるのだろうか、ただ単に自分の才能にだけ走っているのではないか、と感じられるような場合ですね。
ただそれも、演奏者のコンディション、さらには聴いているほうのコンディションも影響してその瞬間に感じることですから、判断は難しいのです。
——個性的でありつつショパンらしさを守る、そのバランスについてはいかがでしょう。
海老 そこは本当に、塩梅、ですよね。おそらく弾いているときは、バランスなんて考えられないと思いますけれど。ダイヤモンドはどうなってもダイヤモンドですから、その意味では、変に意識して塩梅を考える必要はないとも思います。
ただ謙虚であり、そして勉強の方向さえ間違っていなければ、私たちは作曲家が残してくれた音符をたどり、考え、感じることで、そのバランスを実現できると思います。
ショパンらしさを追求するのに大切な“無駄のなさ”
——先ほども少しお話に出ましたが、ショパンコンクールでは、「いいピアニストかもしれないが、ショパニストではない」という話が必ず出ます。実際、ショパンらしい演奏とは何でしょうか?
海老 ショパン独特の音楽の“あや”が聴こえてくるといいですね。例えば、ヴィルトゥオーゾなテクニックで音がガッチリと聴こえてきて、その演奏に味があるかというと、ちょっと違うかなと。
どこまで自分で自分の音楽を深く聴いているか。どこまでショパン的に無駄のない技術ができているか、ということです。
——無駄のない……?
海老 そう、ショパン自身、技術にすごく無駄がなかったと思います。だから、若くしてあれだけ難しいエチュードを作ったわけです。そういう技術を身につけていることによって、音量はどうあれ、アゴーギク、つまり音楽の呼吸がショパンの音楽にふさわしいものになり得ると思います。
——その「無駄のなさ」は、どうすると掴めるのでしょう。
海老 これは、ピアニストなら一生続く勉強ですね。ピアノを弾くうえで、無駄がなければないほど、直接、精髄にふれることができます。私も若い頃は、音を弾いて弾きまくって、それでできたと思ってしまった。でも無駄のない弾き方を身につけると、同じフレーズでも違った表現ができるようになります。
——ショパンの演奏においてはよく、楽譜のエディションのことが問題になります。とくにエキエル版(ナショナル・エディション)が推奨とされたときなど、音さえ異なる部分もあるので、どう判断するのが適切か議論になることもありました。審査員の先生たちはどのくらいその辺りを気にされているのでしょう。
海老 それはあまり気にしていないと思いますよ。審査員も演奏する身として、若い演奏家が向き合う問題がよく理解できますので。
——では、細かい判断については、自分なりの研究でそちらを選んだのだろうなという感覚で聴いていらっしゃるという?
海老 そうですね。そのあたりはおおらかではないでしょうか。
マズルカも自分なりに勉強してうわべだけでない演奏を
——あとはやはり、マズルカなどポーランドの民族的要素の正しい理解も求められると思います。特にアジアなど文化圏が異なる人がそれを理解するには、何が必要でしょうか?
海老 どこの国の人でも、ポーランドやショパンのマズルカを自分なりに勉強して、感受性を信じながらこれだと思うところに向かえば、たどりつくことができると思います。
例えば、フー・ツォンさんの演奏もそうです。彼の演奏で興味深いのは、文化大革命で祖国に戻れなくなる大変な人生を通じて味わった痛みが、マズルカにあらわれているであろうこと。もしかしたらそういう経験が鍵になるのかもしれません。幸せな人生を送ってきたんですねとしか感じられない、うわべだけの演奏では不十分なのです。
1955年の第5回ショパン国際ピアノコンクールで第3位に入賞した中国人ピアニスト、フー・ツォン(1934~2020)によるマズルカ
海老 ただ以前、ウィルヘルム・ケンプが「ベートーヴェンを弾くには、ベートーヴェンと同じように耳が聴こえなくなる経験をしなければいけないのか」と聞かれて、「そこはイマジネーションで補うことができる」と答えていたことがありました。
ショパンのマズルカについても同じところがあります。そのためには、自分なりの勉強が必要なんです。マニュアルはありません。
——悲劇を全部経験するわけにいかないですもんね。そんな人生は……。
海老 つらいですよ。しんどい(笑)!
長い期間聴き続けると、作品や演奏がしゃべり始めるときがある
——結局審査員は、どんな要素をどんなバランスでみて審査されているのでしょう。ショパンとして正しいか正しくないか、完成度が高いか可能性があるか、好きか嫌いか、性格が良いか悪いかなど、いろいろあるかと思いますが。
海老 まず、性格が良いか悪いかはわかりませんから、まったく関係ないです!
——では、あとから少し暴れん坊だということがわかったとしても、仕方ないと。
海老 そう。むしろ若いときは暴れん坊でないとだめですよ(笑)。
そして、正しいか正しくないかという基準は必要ないと思います。音楽において、正しい正しくないということはないと思うので。
自分がその音楽を感じられているかどうか、というほうが適当でしょう。ただコンクールというのは、その瞬間の演奏で判断されますから、そのときにこちらが感じられるかどうかにかかっているのが難しいところですけれど。
——一方で、聴き手がショパンらしい演奏を見きわめるために必要な心構えはなんでしょう。
海老 そこはひたすら好きなものを追って、長い期間聴き続けていくことではないでしょうか。そうすることで、少しずつ理解できると思いますよ。そして、一般に良いと言われているものでも、自分がしっくりこないと思うならそれでいいんです。そうして聴いていたら、作品、演奏が、しゃべりはじめるときがあるんです。
想像力と謙虚さをもち、人の心に残る演奏を
——今回も日本からたくさんのピアニストがエントリーしています。やはりショパンコンクールは特別なのでしょうか。
海老 なにか魅力があるのだと思います。アジアの中でも日本からはまだ優勝が出ていないので、がんばってもらいたいです。今回エントリーしている日本の方々にも、優秀な人がいっぱいいます。みんな弾けるので、それに加えてメッセージが伝わるといいですね。ただ、それで“感動させるぞ!”という感じになってもだめなんです。
ショパンは、自分に対してとても純粋だったと思います。だからこそ、自分なりに純粋に音楽を深め、考えて、それをみんなに聴いてもらうことが大切です。その際に何が必要かといったら、想像力でしょう。脳にはいろいろ使っていない部分があるそうですから、その部分を活用できたらいいですよね! あとやはり、謙虚さを持ち続けることも大切です。そのほうが、人ののびしろは大きくなると思います。
コンクールに出て優勝できれば一番いいですが、今は配信もありますし、自分の音楽を聴いてもらえるだけでも意味があります。この機会を通じて、自分の演奏をそれ以降も聴いてもらえるようになれいいのです。
例えば、1955年に10位をとられた田中希代子さんのことは、ワルシャワでしっかり記憶されているようで、日本人の私が現地に行くとかならず「キヨコ・タナカ」という名前を耳にしました。そういう、人の心に残る演奏ができたらいいのです。自分を信じて進んでほしいです。
1955年に開催された第5回ショパン国際ピアノコンクールで10位に入賞した田中希代子さんが入賞者コンサートで演奏したショパンのノクターン第15番
——次のコンクールでは、どんなピアニストを求めていますか。
海老 歴史に残るアーティストが出てくるといいなと思います。
今や月に行けるような時代になりましたが、そんな時代が来ることを知らなかった昔の人が作った文化が今も残っているのは、やはりそこに何か良いものがあるからだと思います。そういう良いところを吸収して、機能主義の現代社会に生かしていく、いわゆる温故知新です。それが伝えられる、本物の人が出てきてくれたらいいなと思います。
ただ、コンクールで選ばれた人がそういうアーティストだったかわかるのは、20~30年先のこと。いわば希望的観測で選ばれるのですから、優勝する人は責任重大です。コンクールのときだけ光っているのではなく、その後に訪れるかもしれない人生のいろいろな負の時期も乗り越え、力にしていける人であってほしい。
そこで大事になるのは、周りの人がその若いアーティストを勇気づけていくことです。人は人によってつくられていくもの。私たちも、広い視野をもって見守ってあげることが大切だと思います。
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