インタビュー
2025.06.29
カーネギホール ナショナル・ユースオーケストラUSAがノセダ指揮で7月に初来日公演

カーネギホール芸術監督が語るユースオーケストラの力~音楽の未来を育て人生を変える

世界に冠たるカーネギーホールが自ら主宰するナショナル・ユースオーケストラUSAは、毎夏全米からオーディションで選ばれたユース約100人に、集中トレーニングと国内外での演奏の機会を無料で提供するという一大プロジェクト。7月に行なわれる初来日公演は、指揮にジャナンドレア・ノセダ、ソリストにレイ・チェンという著名アーティストを迎え、アメリカの若手トップレベルの演奏と音楽にかける情熱を同時に味わえる貴重な機会となります。

この仕掛け人であるカーネギーホール芸術監督のクライヴ・ギリンソン氏は、前任のロンドン響時代から「芸術が社会の中心にあり、すべての人にアクセス可能であるべき」という強い信念のもと、多彩なプロジェクトを成功に導いてきた音楽界の重要人物。ユースオーケストラにもひとかたならぬ情熱を注ぐ氏に、その成功例としてのナショナル・ユースオーケストラUSAのこれまでの歩みや、参加者の人生に与える力についてお話を伺いました。

取材・文
小林伸太郎
取材・文
小林伸太郎 音楽ライター

ニューヨークのクラシック音楽エージェント、エンタテインメント会社勤務を経て、クラシック音楽を中心としたパフォーミング・アーツ全般について執筆、日本の戯曲の英訳も手掛け...

ナショナル・ユースオーケストラUSAのメンバー約100人は、毎夏全米からオーディションで選ばれる ©Chris Lee

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クライヴ・ギリンソン ©Chris Lee
クライヴ・ギリソンは、2005年にカーネギーホールのエグゼクティブ・ディレクター兼芸術監督に就任以来、同ホールをコンサートや教育プログラムにおいて大胆な新しい方向へと導いてきた。彼のリーダーシップのもと、カーネギーホールは大規模な多文化都市型フェスティバルを創出している。
氏には、「芸術は社会の中心にあり、すべての人にアクセス可能であるべき」という信念がある。この信念に基づいて実現された複数のプログラムの一つが、ナショナル・ユースオーケストラUSA(NYO-USA)である。
カーネギーホールの前に氏は、ロンドン交響楽団(LSO)で目覚ましいキャリアを築いた。1946年生まれ、チェロ奏者としてキャリアをスタートさせ、1970年にLSOに入団。1984年にはLSOのマネージング・ディレクターに就任し、21年間その職を務めた。氏のリーダーシップのもと、LSOは革新的な芸術フェスティバルを多数開始し、国際ツアーを積極的に展開。また、音楽を社会全体に届ける信念のもと、イギリスで初となる交響楽団による音楽教育プログラム「LSOディスカバリー」の開発や、受賞歴のある録音レーベルLSO Liveを立ち上げた。これまでに多数の受賞・受勲歴があり、その功績は国際的に高く評価されている

カーネギーホールの教育プログラムでも最大規模のプロジェクト

カーネギーホールというと、世界の檜舞台の一つ、多くの名演奏を送り出したコンサートホールとしてご存じの方が多いと思う。

1891年のこけら落としにチャイコフスキーも指揮台に立ち、1943年、25歳のレナード・バーンスタインがブルーノ・ワルターの代役としてリハーサルなしでニューヨーク・フィルハーモニックを指揮して大成功を収めたのもカーネギーホールだった。

クラシック音楽にとどまらず、ベニー・グッドマンやビートルズ、ジュディー・ガーランドからボブ・ディランまで、さまざまなアーティストがカーネギーホールに登場し、国際都市・ニューヨークを盛り上げてきた。

これらの演奏会はカーネギーホールが自ら制作を手掛けており、大中小3つのホールで年間200近くに上るカーネギーホール制作の演奏会に招聘されることは、世界に認められたアーティストの証だと言ってもいいだろう。

しかしカーネギーホールが、未来の観客や音楽家たちに向けた教育プログラムにもひじょうに熱心なのはご存じだろうか? カーネギホールの教育およびソーシャルインパクト・プログラムは、毎年、ニューヨーク、全米、そして世界の80万人を超える人々にリーチしているという。

これらのプログラムは、2005年からカーネギーホールのエグゼクティブ・ディレクター兼芸術監督を務めるクライヴ・ギリンソン氏のもとで大幅に拡大された。ナショナル・ユースオーケストラUSA(NYO-USA)は、ギリンソン氏の新たなイニシアチブの中でも、最大規模のプロジェクトだ。この夏のNYO-USA初来日に先立ち、ギリンソン氏にお話を伺う機会を得た。

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アメリカは何でも州単位 全国規模のユースオーケストラは存在していなかった

ロンドン交響楽団(LSO)のチェロ奏者からLSOのマネージング・ディレクターになった経歴を持つギリンソン氏自身も、16歳の時から3シーズン、英国のナショナル・ユースオーケストラに参加したという。

「それまでは地元の学校のオーケストラでしか演奏していなくて、英国内でもトップクラスの若い奏者たちと一緒に演奏するというのは、ほんとうに感動的で、興奮する、刺激的な体験でした。

最初に演奏したのはブラームスの『交響曲第2番』だったのですが、あの瞬間は一生忘れられません。あまりに感動的な響きで、最初の数分は涙が止まらないほどでした。

自分と同じように音楽に情熱を持ち、自分と同じくらい、あるいはそれ以上に優れた演奏をする人たちと一緒にいるという経験は、自分の水準を引き上げてくれるのです

その後、英国では、ナショナル・ユースオーケストラの理事会メンバーも務めたというギリンソン氏だが、2005年にカーネギーホールに移った時、米国に全米規模のユースオーケストラがないことにとても驚いたという。

「アメリカは巨大な国で、なんでも州単位で行なう国だからというのも一因ですね。多くの州にはそれぞれのユースオーケストラがあって、それは素晴らしいんです。ただ、国内を代表する『最高峰』と言えるものは存在しなかった。

アメリカの音楽家の水準はとても高く、全国規模のユースオーケストラを創るというのは並大抵のことではありません。でも、だからこそ必要だと感じました。カーネギーホールはアメリカでもっとも力のある音楽機関の一つだと思いますし、その力でこの構想を実現できる、しかも最初から最高の水準で始めることができると思ったんです」

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