夢を抱く紛争地の子どもたちに、音楽家は希望を与える〜紛争調停官・島田久仁彦
18歳からウィーンを拠点に活動するソプラノ歌手の田中彩子さん。新たにスタートする対談連載「明日へのレジリエンス」では、音楽家として、子どもたちや途上国の人々の力になる活動ができないかと模索する田中さんが、世界に向けて働きかけている方や、明るい未来へとつながる活動をされている方と対談し、音楽の未来を考えていきます。
初回は、紛争調停官、国際交渉人の島田久仁彦さん。紛争地の子どもたちへの活動や交渉のプロとしての仕事を通して、音楽の可能性を語っていただきました。
3歳からピアノを学ぶ。18歳で単身ウィーンに留学。わずか4年後の22歳のとき、スイス ベルン州立歌劇場にて、同劇場日本人初、且つ最年少でソリスト・デビューを飾る。ウィ...
ぬいぐるみへの恐怖心を癒す活動
田中 私が、SDGsや途上国の活動に興味を持ったのは、実は、島田さんのお話をお聞きしたことがきっかけでした。初めてお目にかかったときに伺ったユーゴスラビアでのご活動が、印象的だったのです。
島田 ぬいぐるみの活動のことですね。私が国連紛争調停官として、コソボを担当していた頃の話です。
紛争地では、対立する勢力が殺し合いを続け、罪のない子どもまで犠牲となります。食料もなく、外で遊ぶこともできない。そんななか、道端にキャンディやぬいぐるみが落ちている。子どもがそれを拾いに近寄ると、その瞬間、仕掛けられていた爆弾が爆発し命を落とすということが、しばしば起きていました。そして、自分のきょうだいが吹き飛ばされる瞬間を見た子どもたちには、キャンディやぬいぐるみへの恐怖心が植え付けられてしまうのです。
島田 当時のコソボでも、こうした行為が蔓延していました。そこで子どもたちの心の傷を癒す試みとして、ぬいぐるみを贈る活動を始めました。いわゆるショック療法のようなもので、厳しい反応が出る可能性もありました。
私たちは、用意したぬいぐるみを子どもたちの目の前でしっかりと揉み、安全だということを見せて、一つ一つプレゼントしていきました。普通、プレゼントのぬいぐるみを目の前で揉まれたらイヤだと思いますが、想像を絶するような体験をした彼らにとっては、これがとても重要な行為になるわけです。今度のぬいぐるみは大丈夫なのだとわかると、一生離さず大事にしてくれました。
この活動を、コソボから、イラクやシリアなどに広げ、これまで18〜19万体のぬいぐるみをプレゼントしてきました。初期の子どもたちはもう20歳を越えています。
2年ほど前、紛争調停の現場のスタッフが、私を知っているといって一枚の写真を出してきました。そこには、今より少し若い私が、少女にぬいぐるみを渡している様子が写っていたのです。この子がこんなに大きくなったのかと、感動しましたね。
私自身、ぬいぐるみが好きで、小さなころからずっと大事にしていました。一方で、ぬいぐるみが原因で命を落としたり、悲惨な記憶に苦しむ子どもたちがいる。自分の好きなもので何かできることはないかと思ったことが、活動を後押ししました。大量のぬいぐるみを店に調達しにいくことは、単純に楽しかったですね。
「最後の調定官」と呼ばれるまで
田中 島田さんは、なぜ紛争調停官の仕事に興味を持たれたのですか?
島田 はじめから目指していたわけではありません。自然とそちらの道に入り、あとからこの仕事に熱中したというのが実際のところです。
高校生の頃は、国連に入りたいと思っていて、そのためにはどうすべきか道筋を描いていました。私、昔から変わった習性があって、思い詰めると手紙を書くんです。14歳の頃には宇宙に行きたいという気持ちが高まって、マサチューセッツ工科大学の宇宙工学の先生に突然手紙を書いたこともありました。
それと同じように、大学2年生の頃、ユーゴスラビア紛争について、国連は何をやっているんだ! との想いをつのらせ、突然、国連宛てで、自分ならこうするという考えをしたためた手紙を書いたのです。それに予想外にもお返事をいただき、ニューヨークの国連本部を訪ねたところ、そのままリクルートされ、紛争調停官のいる部署に配属されました。
そこで紹介されたのが、のちに私のボスになる、セルジオ・デメロ(1948〜2003/国連人権高等弁務官。国連事務総長特別代表としてイラク赴任時、トラック爆弾テロに遭い殉職。ドキュメンタリー『セルジオ テロに死す』、映画『セルジオ: 世界を救うために戦った男』はNetflixにて)でした。出会った翌週にはセルジオが、「お前はおもしろい、これからコソボに行くから一緒に来い」と言うので、わけもわからないままついていきました。まだ22、3歳の頃のことです。セルジオは本当にかっこよかったので、こういう人になりたいと憧れました。
島田 現地に着いて、もちろん怖いけれど、なぜか自信だけはあったので、失敗しながらも突き進んでいきました。しばらくは成果が出ませんでしたが、1年半ほどたったころ、突然合意がまとまったんです。
ニューヨークに帰る飛行機の中では、ほぼ眠ることもなく、なぜうまくいったのだろうと考え続けました。そのあたりからこの仕事にハマりましたね。そして、自分が役に立てるのは、この場所なのかもしれないと思うようになりました。
経験を積んでいくうち、不可能だといわれた案件でも合意を得られることが続き、結果、あるときから「最後の調定官」と呼ばれるようになりました。私が行ってまとまらなければ、あとは戦争しか残されていない、ということだそうです。
和平プロセスのために当事者と対話する
田中 交渉中に危険な思いをされたことはありますか?
島田 たくさんありますよ。例えば、中東のとある国の中央銀行のビルを訪問したときのこと。小さなテーブルを挟んで、先方のボスが座っている。そこでコーヒーを出されたのですが、何が入っているかわからないので、飲みたくない。しかし飲まないわけにはいかない。というのも、テーブルの下で銃をかまえられていて、断ったら撃たれる可能性があったからです。
飲み物に変なものが入っている場合、口に含んだ瞬間、刺激があるんです。そこで私は、ちょっと汚い話ですけど、少し口に含み、飲んだふりをして戻すことにしました。すると相手が、なかなか勇気がある、ちょっと庭園を散歩しようといいだしました。席を外している間に新しいお茶が運ばれ、話もまとまって、先方のボスと握手を交わして無事に戻ることができました。
島田 また、スリランカ内戦の和平プロセスを作っていたときのこと。「タミルの虎(タミル・イーラム解放のトラ。タミル人がスリランカからの分離独立の獲得を主張して設立した組織)」のボスに会って話をすれば早いのではないかと思った私は、スタッフと出向くことにしました。
相手は何百万人もの人間を殺したと豪語するリーダーです。彼と対面して座ったところで、私はどちらが沈黙に耐えられるか、我慢比べをすることにしました。途中その場でうとうとすることもありながら、2日間、黙りっぱなし。
そして3日目の朝、リーダーがついに口を開き、「お前は本当に私と話をしに来たんだな」といったのです。私は、あなたが何を望み、何を嫌がっているのか、それを教えてほしい、それがクリアになったら、責任をもってその希望を叶えるといいました。そのかわり、一つだけお願いがある、私を無事に帰してくれ、と。
このときの対話をきっかけに、ようやくこの和平プロセスは動いたのでした。今思えば自殺行為でしたけれど、何をやっても攻撃が止まないなか、直接会って当事者の話を聞くこと以外、私には思いつかなかったのです。
狙撃兵に狙われることもよくありますが、実は私、ものすごく方向音痴で。路地をまっすぐに来たところで撃とうと敵がかまえていたとしても、突然、曲がっていなくなってしまう。以前、あとから狙撃兵の側の映像を見たことがあるのですが、コントでもやってるかのように、本当にキュッと曲がってどこかに行くんですよ(笑)。何か察知して避けているように見えるんですが、本当にただ迷っていただけ。そうやって、いろいろなピンチをぎりぎりでかわしてきました。自分でも、信じられないですけれどね。
大きな夢をもつ子どもの、大きな希望に
田中 紛争調停官はリアルなスーパーヒーローですね……。私はよく、紛争や貧困の中にいる子どもたちのために、音楽家ができることは何か考えています。
でも、明日食べるものもない場所で歌うことが、果たして彼らのためになるのかと、どうしても思ってしまいます。聴いて元気になるとか、自分も歌いたいと思ってくれるなど、ポジティブな効果があれば嬉しいですが、実際、どうなのでしょうか。現場をご覧になっている島田さんは、どう思われますか?
島田 まず、私自身はクラシック音楽が大好きで、紛争調停の仕事でヨーロッパに行ったときには、時間を見つけては歌劇場にオペラを聴きにいきます。クラシックといわれていても、作られた当時はトレンドの音楽で、それが世代を越えて愛され続けている。古き良きものでありながら、同時に常に新しくありつづけているわけです。心の琴線に触れるという意味で、もっとも優れた音楽ではないでしょうか。
音楽の力は絶大です。宗教や文化、言語の違いがあっても、一緒に何かを感じ、同じ時間を分かち合うことができます。
紛争地や途上国の子どもたちは、実は夢にあふれています。実際に聞いてみると、男女関係なく、パイロット、ダンサーやミュージシャンなど、大きな夢を持っている。ただ、彼らの身近にはロールモデルとなる存在が、ほとんどいません。その意味で、プロの音楽家が訪ね、芸術の域に達した音楽を届けることは、大きな希望になると思います。
それに、音楽を聴いてるときって、心が落ち着くものですよね。紛争地でも、音楽が演奏され、みんながそれに耳を傾けている間は、戦闘が止むこともある。……もちろん、逆に悪用されて、そこに爆弾が仕掛けられるケースもないとはいえませんけれど。
音楽家は、希望を与えられる存在です。この世界で、大きな役割を担っていると思います。
自分に制限をかけないでほしい
田中 ウィーンで教会コンサートをするときは、お気持ちでお金を入れていただく形をとっているのですが、あるとき移民の方が、1ユーロしか持っていないけれど聴きたいといらしたことがありました。彼女はその1ユーロでパンを買おうと思っていたけれど、どうしても聴きたいと立ち寄ったそうです。私にとっては、その方がパンをあきらめ、お腹の足しにならない音楽を選んだことが、衝撃的でした。なぜ自分が音楽をしているのか考えるなか、誰かのためになることがあるのかもしれないと感じる、一つの出来事でした。
一方で、最近はコロナ禍で音楽家自身も暮らしていくのが簡単ではありません。芸術は必要不可欠なものではないという風潮も増しているように思います。
そんななか、芸術へのリスペクトが保たれ、音楽家も収入を得て自分の足で立てる世の中のために、どうしたらよいのでしょうか。
島田 音楽に関して、一般的には、3つの考え方があると思います。不要不急だから、我慢すべきだというものが一つ。心が下を向いてしまうこういうときには、芸術が救ってくれるのだから必要だというのが一つ。そして、その中間……音楽は好きだけれど、我慢もできるというのが一つでしょう。
3つめのスタンスの方が多いのではないかと思いますが、実際にコロナ禍が長引いてみると、家の中で自分を楽しませてくれるものは、音楽やゲームだったわけです。
私が演奏家のみなさんに望むことは、ご自分に制限をかけないでほしいということ。今の技術をもってすれば、「こんなことができたらいいのに」ということの多くが、実現できます。もちろん、対人に勝るものがないにしても、それができないなら考え得るセカンドベスト、いま使える技術の最高レベルを使ってパフォーマンスする機会はあると思います。
コンサート会場に行けないもどかしさを抱えている人たちは、とくにコンサートの疑似体験ができるようなサービスにお金を出すはずです。
理想は好きなことを当たり前にできる世界
田中 みなさんが普段の仕事や生活でなにかを交渉するとき、どうすればうまくいくか、交渉のプロとしてアドバイスはありますか?
島田 一つは、自分のしゃべりたいことをしゃべるのでは、ダメだということですね。交渉相手が何を聞きたいのかを探り、それをお話しします。ただし、願いを叶えるのは、自分のほうでなくてはいけません。聞くと安心することを伝えてあげると、相手は希望を持ち、前向きになります。そうして話を引き出しながら、そこに自分の意見を足し、ストーリーは自分の望む目的に進めてゆく。すると、相手はなかなか Noと言いにくくなるわけです。
まずは相手の望みを叶えようとする。そのうえで、最終的に自分の夢を叶えればいいのです。
島田 これはおそらく、音楽にもつながる話ではないでしょうか。聴き手が求めることを想像することによって、音楽家の表現も少し変わってくるはずです。
交渉官たるもの、自分の理論で相手を言い負かさなければと思っているうちは、失敗します。私もはじめのころはそうでしたけれど。
田中 島田さんのソフトなお人柄は、さまざまな相手と戦い、それを乗り越えるなかでできあがったものなのですね。
島田 たくさんの失敗を経て、身につけました(笑)。私はもともと我が強いですし、出たがりなのですが、紛争調停官というのは、常に影の存在でなくてはなりません。
「最後の調定官」だなんて呼ばれているので、人を寄せ付けない雰囲気のいかつい人間だと思われがちです。でも、話をしにくい相手であってはいけないのです。溜め込んでいた気持ちや情報を吐き出してもらうことで、問題解決につながります。涙を分かち合うことでつながり、一緒に乗り越えていくこともできる。
紛争調停官はそれを言葉でやっていますが、音楽家のみなさんは、音楽で同じようなことをされているのではないでしょうか。
田中 なるほど、深いですね……。島田さんにお聞きしたいことはまだ山のようにあるのですが、最後に、理想の世界とはどのようなものだとお考えか、お聞かせください。
島田 とても大きくて難しい質問ですが、“各人が好きだと思うことを、当たり前にできる世界”ですね。特に、子どもたちがやりたいということは、とことん伸ばしてあげたい。しかし、ひとたび紛争が起きてしまえば、できないことが一気に増えてしまうんです。
自分はこれが大好きだ、幸せで時間を忘れてしまうということに、誰もが打ち込める。それが当たり前になっている世界を、私は見たいです。
——田中彩子
対談の一部を動画で公開!
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