インタビュー
2021.05.30
田中彩子の対談連載「明日へのレジリエンス」Vol.4

茂木健一郎「ビジネスで人間が欲するものを理解するには、芸術を知ることが近道」

子どもたちや途上国の人々の力になる活動ができないかと模索するソプラノ歌手の田中彩子さん。対談連載「明日へのレジリエンス」では、サステナブルな明るい未来のために活動されている方と対談し、音楽の未来を考えていきます。
第4回は、クラシック音楽にも造詣が深い脳科学者の茂木健一郎さん。脳科学の見地から、音楽の本質、生き方や相性、教育、ビジネスなどのテーマについて語り合いました。

サステナブルな音楽活動を模索する人
田中彩子
サステナブルな音楽活動を模索する人
田中彩子 ソプラノ歌手(ハイコロラトゥーラ)

3歳からピアノを学ぶ。18歳で単身ウィーンに留学。わずか4年後の22歳のとき、スイス ベルン州立歌劇場にて、同劇場日本人初、且つ最年少でソリスト・デビューを飾る。ウィ...

取材・文
高坂はる香
取材・文
高坂はる香 音楽ライター

大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...

写真:蓮見徹
取材協力:エイベックス

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脳の意識にある質感——クオリアが細やかに芸術を捉える

田中 私がはじめて茂木さんのご本を拝読したのは高校生の頃のことで、『脳とクオリア』でした。まず、茂木さんのご研究の対象であるクオリアについて、簡単にご説明いただけますか?

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茂木 中学生でいきなり『脳とクオリア』っていうのが、さすが田中彩子さんという感じでおもしろいですけれど(笑)。

クオリアとは、人が感じる独特の質感のことです。例えば、ヴァイオリンの音や、コロラトゥーラの声の質感、「夜の女王のアリア」にしかない感覚なども、クオリアです。

僕が物理を勉強していた大学生の頃、東京文化会館がキャンパスから近かったのでよく通っていましたが、そこで音楽を聴いていると、まったく違うモードに入ることができました。当時、物理・数学の世界と音楽はどこかで結びつくのだろうかとよく考えていましたが、のちに脳科学を研究するようになって、それがクオリアだとわかりました。

音楽だけでなく、例えばウィーンのシュテファン大聖堂の屋根の質感だとか、カフェ・ハヴェルカのざわざわした雰囲気に感じるものも、クオリアです。意識は脳から生まれますが、その意識の中において、クオリアはもっとも大事なものです。

クオリアは科学上の概念でもありますが、人間の経験を一つにまとめるものでもあると僕は思っています。

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)
1962年東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現職。専門は脳科学、認知科学。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに、作家、ブロードキャスターとしても活動。2005年、『脳と仮想』で、第四回小林秀雄賞を受賞。2009年、『今、ここからすべての場所へ』で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。
茂木健一郎『脳とクオリア なぜ脳に心が生まれるのか』(講談社学術文庫)。私たちの心の中で起こっていることは、すべてニューロンの発火である。しかし、それが複雑に影響し合うことによって、心の中には熱帯雨林のように豊かで、唯一無二のクオリア(質感)が生じる。自然科学としての「因果的自然」と、クオリアが表す「感覚的自然」――「脳」と「心」は、どのように結ばれるのか? 意識の謎に正面から挑む、科学者の主著。

田中 クオリアが増えると、人の中で変わることはありますか?

茂木 世界の捉え方が豊かになると思います。例をあげると、パウル・クレーがチュニジア滞在中の日記に、“私は色に目覚めた、私は画家なのだ”と書いている。彼はそれまでにも色を知っていたはずなのに、ある瞬間、色との向き合い方が変わったということ。これこそが、クオリアです。

田中 つまり、より芸術的感性が敏感になるのでしょうか?

茂木 そうですね。例えばコンサートは、その時間の流れの中でしか体験できません。クオリアに関心を持っていれば、捉え方が細やかになっていくと思います。舞台で歌っていらして、そういう感覚ってありませんか?

田中 確かにあるかもしれません。そして同じ演目を繰り返しているうちに、より立体的に見えてくるというか……。

茂木 立体的!? それ、どういうことですか?

手順を踏むことより、いきなり本質に迫ろうとするのがアーティスト

田中 音楽が物理や数学に近いといわれる理由として、数式と楽譜という平面にあるものから、立体にするという共通点があると思います。

歌について私の経験からいうと、はじめの2、3回は自分の中でどこか薄っぺらいというか、立体面が少ないように思います。繰り返し歌うほど、細かい部分も作られてより立体的になると感じることがあるんです。

田中彩子(たなか・あやこ)
ソプラノ歌手(ハイコロラトゥーラ)。京都府出身、ウィーン在住。22歳のときスイス ベルン州立歌劇場にて最年少ソリスト・デビュー後、オーストリア政府公認スポンサー公演『魔笛』や、日仏国交樹立160周年のジャポニスム2018、UNESCOやオーストリア政府の後援で青少年演奏者支援を目的とした『国際青少年フェスティバル』などに出演するほか、音楽や芸術を通した教育・国際交流を行う一般社団法人「JAPAN ASSOCIATION FOR MUSIC EDUCATION PROGRAM」を設立。代表理事として次世代のためのプロジェクトを推進している。Newsweek『世界が尊敬する日本人100人』に選出。

茂木 立体的というのは、脳科学的におもしろいですね。

リズムなどの知覚には、ブローカ野が関わっています。一方でシンフォニーの響き合いは空間的にイメージされていて、これには頭頂葉が関わっています。音の配列、時間、空間的な並び方を、一つのパターンとして見る状態です。

これらの働きから、音楽がだんだん精緻なモデルとして脳の中に浮かんでくるのでしょうね。

田中 ただ、音楽の場合難しいのは、この場面はこうしようとあらかじめ組み立て過ぎてもよくないところです。とくに、感情面を考えた通りにコントロールしようとすると、自然でなくなってしまいます。考え過ぎないけれど、考えることが必要なんです。

茂木 一聴衆として、歌を聴いて感動するのは、何かを超えている瞬間です。僕、今日はその話がしたいと思っていたんですが、田中さんって、もとはピアノを勉強していたけれど、手の大きさの問題もあって声楽に転向し、すぐウィーンに片道切符で留学されていますよね。行動パターンからして、“いきなりやってしまう”方なんだろうと思うのですが、なんとなくそんな生き方が歌から伝わってくる気がするんです。その“超えてしまっている”感じに、聴衆は感動するのではないかと。

田中 ……そういうとき、私の脳はどうなっているんでしょうか?

茂木 逆に聞きたいですよ(笑)。主観的には、どんな感じになっているのですか?

田中 “今日はきてる”っていうときは、意識が体から出ている感じがします。自分を上のほうから見ているというか。

茂木 時間の知覚は?

田中 わからないです。“無”な感じ。

茂木 やはり古代ギリシャ以来、人が芸術の何に感動するかというと、神が降りてくるとか、インスピレーションによって何かが出るとか、そういう瞬間なんですよね。田中さんのようなレベルの歌手は、そんなさまざまなすごい瞬間が重なって、今の場所にいるんでしょう。

田中 いえいえ、いろいろなご縁があってのことです。

茂木 いずれにしても、いきなりウィーンに行ってしまうところからすごいですし。普通、不安が先に立って思いとどまるものなのに。日本ってわりと、手順を踏んで進んでいこうとする傾向があるじゃないですか、進学や留学に関しても。

田中 脳がウィーンに反応したのかもしれませんね。私はそれがなぜそういう順序でないといけないのか、自分の中で納得がいかないと、やらなくていいと思うほうなんです。あとは、危機感を司る脳の一部に欠陥があるのかも(笑)。

茂木 そんな(笑)! でも、手順を踏むことより、いきなり本質に迫ろうとするところがないと、舞台で映えるアーティストにはなれないのではないでしょうか。そこで直接何かと結びつくものを見せられるから、私たちは感動するわけでしょう。

“望ましい困難”が人の才能を開花させる

田中 ところで、天才が生まれるのは、左脳があまり動かず右脳が発達する現象によるという話を読んだことがあります。それは本当なのでしょうか。

茂木 左脳の能力が何らかの理由でおとろえたとき、抑えられていた右脳の能力が目覚める例はあります。それで、年齢がいってから音楽や絵の才能が開花するという。脳の能力には、抑えられている部分がたくさんあるんです。それをいかに脱抑制するかは、大きなテーマです。

人間って本来、安全な人生を生きようとする傾向があります。抑制するものを外してしまったらどうなるのか恐れるところもある。だからこそ、それを乗り越えられた人だけが行ける世界があるのでしょう。

その意味で、田中さんは脱抑制状態ですよね。何番目のお子さんでしたっけ?

田中 一番下です。上に二人います。

茂木 なるほど。統計的にいうと、革命家や起業家になるのは、第二子以降という傾向があるようです。僕なんて長男ですから、真面目でしょ(笑)。

あと脳科学では、“望ましい困難”が人の才能を開花させるという理論もあります。田中さんがピアノの道を断念されたのって、いつ頃ですか?

田中 高校2年生のときです。まるで、今までの人生が全部否定されたような、存在理由さえ失った気持ちになりました。

茂木 それ、まさに脳科学でいう“望ましい困難”にあたるんですよ。

田中 なるほど。困難があったときにも、そう思えば勇気をもらえますね。

共通点もあるけれど、新鮮で触発される相手に、もっとも魅力的に感じる

茂木 オーケストラと共演しているとき、指揮者はいますけれど、他の演奏家たちの音も聴いているわけですよね。一人で歌うときとは気持ちが違いますか?

田中 そうですね。やはり音が増えるほど、脳の動きは活性化されるのでしょうか。

茂木 はい、脳ってひとつで機能していると思われがちですけれど、実際にはもっとソーシャルに動いていることがわかっています。

例えば、リーダーとフォロワーの関係において、前頭葉の活動には違いがあります。リーダーの前頭葉は統合されていて、自分で何かをしようとしている。一方でフォロワーは、自分がリーダーだとみなすカリスマ性のある人が目の前にあらわれると、前頭葉の活動を自然とオフにしようとするんです。カリスマ指揮者を前にしたオーケストラなどに現れやすい現象かもしれません。

ところで昔、ベルリンフィルの取材にいったときにこんな話を聞きました。オーケストラのリハーサル中、突然音が変わったと思ったら、フルトヴェングラーがリハーサル室の入口に寄りかかって聴いていたというんです。みんながその存在に気づく前にですよ。そんなこと、あるんでしょうかね(笑)。

田中 あると思います(笑)。誰か一人でも存在に気がついたら、そこから全体が変わっていくのではないかと。

茂木 なるほど。ある芸術哲学者によると、感情は、唯一脳の壁を超えていくといいますからね。例えば、田中さんが見ている景色を僕は直接見ることができませんが、感情は、相手につながって変わっていくことがある。

音楽家の共演においても、そういうところがあるのかもしれません。鏡のように自分と他人を映しあう、ミラーニューロンという神経細胞がありますが、その働きで、感情が全部つながってしまうのかもしれない。

田中 長く一緒にいるほど、ニューロンが似てくるのでしょうか。

茂木 そう思います。例えば、クルレンツィスとムジカエテルナなんて、長時間一緒に練習していると聞きましたが、そうしているうちに何かがシンクロして生まれる表現があるのではないでしょうか。

田中 逆に、何回共演しても合わない相手もいますけれど、それはニューロンが反応しないということなんですかね。

茂木 相性ってすごく不思議なもので、それはあると思います。脳科学的立場からいうと、同じところと違うところが両方ある相手を、もっとも魅力的に感じるといわれています。全部同じだとつまらない。共通点もあるけれど、新鮮で触発されるものがある相手にこそ、魅力を感じるわけです。

田中 脳に刺激を与える上で、新しいものを見ることは有効ですか?

茂木 そうですね。その意味では、現在の状況を刺激ととらえることもできます。イタリアのルネサンスも、パンデミックのあとに起きました。だから私は、この後新しい文化が生まれるのではないかと期待しているんです。

新しいものという意味では、ボカロP(音声合成ソフトのボーカロイドで楽曲を作る人)が作った曲を田中さんが歌うとか、おもしろそうですね。ボーカロイドって、コロラトゥーラっぽくないですか?

田中 そうですね。私最近、歌うときには人を捨てようと思っていて(笑)。なんで人の声の範疇にないといけないのか、人の声という観念を捨てようと思っているんです。その第一段階が、アルバム『ヴォカリーズ』だったのですけれど。

器楽のための曲を歌っている田中彩子さんの3rdアルバム『ヴォカリーズ』

茂木 その先には驚くような展開がありそうですね。すごく楽しみ。

田中 脳の抑制を外したときに、新たなクラシック音楽の道が開けるかもしれませんね。

人間を理解し、創造的な仕事をするために芸術を

田中 先ほど、リーダーは前頭葉が発達しているという話がありましたが、前頭葉を意識的に発達させる方法はありますか?

茂木 それは、自分で決めていく、ということでしょうね。まさに田中彩子さんの人生そのものだと思いますけれど、そうすることで、前頭葉の機能が鍛えられると思います。

その意味で、より多くの音楽家が教育にかかわって、例えば、子どもたちが自分で舞台を作る経験をさせることができたら、有意義ではないでしょうか。シアター・エデュケーションといわれるものですけれど。

僕の高校時代を思い前すと、3年間で受けた最高の教育は、自分たちでオペラを上演する機会でした。たまたま東京藝大出身の先生が顧問としてついてくれて、ウェーバーの《魔弾の射手》を日本語に訳して上演しました。僕は照明を担当したんですけれど、とても大きな経験でしたね。

ウェーバーのオペラ《魔弾の射手》ダイジェスト(ウィーン国立歌劇場/2018年)

田中 それによってニューロンがはじけて、前頭葉が発達し、トップに立つとか、クリエイティブなことをするうえで大事な部分が鍛えられる。先生のいうことを聞いて練習するだけでは、成長しない部分ですよね。例え芸術の道に進まなくても、ビジネスの道で成功する脳を鍛えるために、有効なのではないでしょうか。

茂木 はい、日本の子どもたちがこうした経験をすると、いろいろ変わっていくと思います。まさにレジリエンス、困難に勝ち、持続可能な社会をつくることにつながるのではないでしょうか。

田中 未だ芸術分野の教育は、芸術家になるわけではないんだからと省かれてしまうことが多いように思います。でもそうすると、脳が活性化しませんよね。

茂木 そう思います。アインシュタインも“感動することが、生きているということだ”と言っています。彼はモーツァルトが大好きで、ヴァイオリンを弾きながら物理学のことを考えていました。おそらく、モーツァルトの音楽がなかったら、相対性理論を発見してなかったのではないでしょうか。

アルベルト・アインシュタイン(1879-1955)。5歳からヴァイオリンを弾き始め、生涯にわたって演奏していたという。

茂木 芸術ってそれぐらい、人を豊かにし、創造性を助けるものだと思います。もっと大事にしてほしいですよね、芸術、そして「音楽の友」を(笑)。

田中 私はいつも、音楽界とビジネス界の人が分けられている状況を崩したいと思っているんです。どちらの世界でも、両方の脳が必要だと思って。

茂木 今、クリエイティブ・クラスといわれる、創造的な仕事に関わる人が増えていますよね。ビジネスと芸術が直結する時代になっている。感性の面に付加価値を認め、人を感動させるものをつくることが、ビジネスにおいても大切だといわれるようになりました。

つまり、ビジネスにおいても人間を理解することが大事なわけです。今流行している、仮想通貨や暗号資産も、結局、人間が何を欲しているのか理解していなくてはうまくいかない。

茂木 人間が欲するものを理解するためには、芸術を知ることが一番の近道のような気がします。

田中 やはり人間にとって、芸術は不可欠ですね。今日は興味深いお話を、どうもありがとうございました。

対談を終えて

「クオリア」「前頭葉」「脳のリミットの外し方」この対談中に私の脳内のニューロンは一体どれくらいはじけたでしょうか。今回のお話で、きっとたくさんの方々の脳内クオリアが生み出され、何かが覚醒した方もおられるかもしれません。脳は不思議!

今後私も新たな挑戦をし続け、より自分自身の脳の使用率を広げたいと思います。シアター・エデュケーションもぜひ、全国の学校でお考えいただきたいです。茂木先生、刺激的な楽しいお話をどうもありがとうございました!

 

田中彩子

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サステナブルな音楽活動を模索する人
田中彩子
サステナブルな音楽活動を模索する人
田中彩子 ソプラノ歌手(ハイコロラトゥーラ)

3歳からピアノを学ぶ。18歳で単身ウィーンに留学。わずか4年後の22歳のとき、スイス ベルン州立歌劇場にて、同劇場日本人初、且つ最年少でソリスト・デビューを飾る。ウィ...

取材・文
高坂はる香
取材・文
高坂はる香 音楽ライター

大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...

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