プレイリスト
2021.04.01
おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—第45回

《マタイ受難曲》第5日(十字架につけよ)——洗足木曜日

音楽の父ヨハン・ゼバスティアン・バッハが生涯に約200曲残したカンタータ。教会の礼拝で、特定の日を祝うために作曲されました。
「おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—」では、キリスト教会暦で掲載日に初演された作品を、その日がもつ意味や曲のもととなった聖書の聖句とあわせて那須田務さんが紹介します。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

19世紀ハンガリーの画家ムンカーチ・ミハーイ作『ピラトの前のイエス』。

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受難週にバッハの《マタイ受難曲》をお送りしています。

本日は第5回、第2部の第41曲から聴きましょう。ユダヤの最高法院での裁判のあと、祭司長や議員らはイエスを連れてローマ総督ポンテオ・ピラトのもとへ行きました。福音書記者のテノール、イエスとピラトのバスが、福音書の聖句(文中太字)をレチタティーヴォで語り、議員や群衆の言葉はオーケストラとともに合唱が担います。

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福音書記者夜が明けると、祭司長たちと民の長老一同は、イエスについて相談し、彼を殺そうとした。そして彼を縛り、引いていき、総督ピラトに引き渡した。イエスを裏切ったユダは、イエスに死罪が下されたのを見て後悔し、銀貨30枚を祭司長と長老に返そうとして言った。ユダ私は罪を犯しました。無実の人の血を売り渡したのです。福音書記者彼らは言った(第41a曲)。合唱I・Ⅱ我らに何の関係があるのだ? 勝手にするがいい(第41b曲)。福音書記者そこでユダは、銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、自分で首を吊って死んだ。しかし、祭司長たちは銀貨を拾い上げて言った。祭司長Ⅰ・Ⅱ(バスⅠ)これを神殿の金庫に入れるのは不適切だ。血の代価だから(第41c曲)。

酷い話になりました。バスⅡが「私のイエスを返してくれ!見よ、殺しの報酬である金を、戻ってきた放蕩息子はお前たちの足元に投げ出した!」と歌います。独奏ヴァイオリンを伴う力強いアリアです(第42曲)。

福音書記者「彼らは協議の上、その金で『陶器職人の畑』を買い、外国人の墓地とすることにした。このため、この畑は今日まで『血の畑』と言われている。こうして預言者エレミアを通して言われたことが成就した。彼は言う。『彼らは銀貨30枚を取り、それによって彼らがイスラエルの子らから贖ったもの、即ち値踏みされたものの代価を支払った。そして、彼らに主が命じられた通りに、陶器師の畑を与えた。さて、イエスは総督の前に立たれた。総督がイエスに訊ねて言った」。ピラト(バスⅠ)「お前がユダヤ人の王なのか?」。イエス(バス)「あなたがそう言っている」。福音書記者「そしてイエスは、祭司長や長老達に訴えられている間、何もお答えにならなかった。そこでピラトは言った」。ピラト「聞こえないのか。どんなに激しく彼らが訴えているか」。福音書記者「それでもイエスは何もお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った」(第43曲)。

コラール「あなたの道を、あなたの心を痛めているものを、永遠に変わらない誠実な守り手に委ねなさい。天を導き、曇や空気や風に大路を与えたもう者は必ずやあなたの足が行くべき道を見つけ出してくださるでしょう」(第44曲)。

福音書記者「ところで祭りの度に、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することになっていた。その頃彼は、ひときわ特別な囚人を抱えており、その名をバラバと言った。ピラトは人々が集まってきたときに彼らに言った」。ピラト「どちらを釈放してほしいのか。バラバか、それともキリストと言われるイエスか?」福音書記者「ピラトには、人々がイエスを引き渡したのは、妬みのためと分かっていたからである。一方ピラトが裁判の席についている時、妻が伝言を送って言わせた」。ピラトの妻(ソプラノⅠ)「あの正しい人に関係しないでください。彼のことで、今日夢の中で随分苦しんだのです」。福音書記者「しかし祭司長や長老たちは、民を説き伏せ、バラバを釈放してイエスを殺すように求めさせた。そこで総督は答えて彼らに言った」。ピラト「二人のうちのどちらを釈放してほしいのだ?」。福音書記者「彼らは叫んだ」、合唱Ⅰ・Ⅱ「バラバを!」。この「バラバを!」は和声でいう減七の和音というすさまじい不協和音です。福音書記者「ピラトは彼らに言った」。ピラト「では、キリストと呼ばれるイエスは、どうしたらよいか?」。福音書記者「彼らは皆言った」(以上第45a曲)。

群衆はもう手が付けられないほど狂暴になっています。そして2群の合唱が厳めしい対位法の二重合唱で口々に「十字架につけよ」と叫ぶのです(第45b曲)。この曲からコラールやアリアを経て再び群衆の「十字架につけよ」(第50b曲)までを、古くから研究者や演奏家たちは、《マタイ受難曲》全体の心臓部と位置付けてきました。劇的構成的面でも音楽面でも、最も重要な場所だということです。

「イエスを十字架につけよ !」と叫ぶ群衆。それを見聞きした合唱がコラール(第46曲)を歌います。「なんという驚くべき刑罰でしょう。よい羊飼いが羊に代わって苦しみを受けるとは」。福音書記者「総督は言った」。ピラト「彼はいったいどんな悪事を働いたというのか」(第47曲)。

これを受けて、ソプラノⅠが「彼らは私たちすべてに、ただ良いことをされた。盲人の目を開き、歩けない者を歩ませ、私たちに御父の言葉を告げた。サタンを退け、悲しむ者を元気づけ、罪人を受け入れてその身に受け入れた、その他には何もされなかった」(第48曲)と言い、「愛によって私の救い主は死のうとされる。どんな罪さえ知らないのに。永遠の破滅と裁きの日に下る罰が私の魂に留まらないように」とアリア(第49曲)を歌います。これに寄り添うのはフルートです。18世紀の横笛はイタリア語でフラウト・トラヴェルソといいますが、木製か象牙製のこの上なく繊細で柔らかな響きは、まさにイエスの愛の心を歌う甘美なアリアにぴったりです。

しかし、状況はさらに逼迫しています。福音書記者「彼らはますます激しく叫んで言った」(第50a曲)。合唱Ⅰ・Ⅱ「十字架につけよ!」(第50b曲)。

福音書記者「ピラトは、もはや自分にはなすすべがなく、群衆がますます騒ぎ立てるのを見て、水を取り、群衆の目前で手を洗って言った」ピラト「私はこのよい人の血について、何の責任もない。お前たちが責任を取れ」福音書記者「群衆は答えて言った」(第50c曲)。合唱Ⅰ・Ⅱ「彼の血は我らと我らの子孫の上に来たれ!」(第50d曲)。福音書記者「そこでピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打たせ、十字架につけるために引き渡した」(第50e曲)。

このことを知ったアルトⅡが悲痛な思いで「神よ、憐れみたまえ、ここに救い主が縛られて立っておられる。おお鞭打ち、おお打擲、おお傷よ。お前たち思考人ども、とどまれ! お前たちには心の痛みはないのか、このような惨事を前にして」と器楽付きのレチタティーヴォ(第51曲)で訴えます。弦楽の付点音符はまたもや鞭打ちの様子を表しています。そこから音楽は穏やかな舞曲風になってアリアに移行します。「私の頬の涙が何も役立たないのなら、おおどうか私の心を取ってください! けれども主の御傷から血があふれ出るときにその捧げ物の受け皿としてください」(第52曲)。

福音書記者「総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。そしてイエスの着ているものをはぎ取り、紫の外套を着せ、茨で冠を編んで頭に乗せ、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、嘲って言った」(第53a曲)。もはや群衆は手が付けられません。合唱Ⅰ・Ⅱ「こんにちわ! ユダヤの王様」(第53b曲)福音書記者「そしてイエスに唾を吐き、葦を取って彼の頭を打ち叩いた」(第53c曲)。

ここでこれまで何度か聴いてきた「受難コラール」が再び歌われます。コラール合唱Ⅰ・Ⅱ「おお、血と傷に覆われ、痛みと辱めにまみれた御頭よ。嘲られるために、茨の冠がのせられた御頭よ。本当ならば最高の栄誉と飾りで美しく飾られるべきなのに」(第54曲)。

本日はここまでにしましょう。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

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