プレイリスト
2021.05.30
おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—第60回

《おお、聖なる霊と水による洗礼よ》BWV165——三位一体主日

音楽の父ヨハン・ゼバスティアン・バッハが生涯に約200曲残したカンタータ。教会の礼拝で、特定の日を祝うために作曲されました。
「おはようバッハ—教会暦で聴く今日の1曲—」では、キリスト教会暦で掲載日に初演された作品を、その日がもつ意味や曲のもととなった聖書の聖句とあわせて那須田務さんが紹介します。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

バロック期フランドルの画家ヘンドリック・ファン・バーレン作『三位一体』。

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おはようございます。本日は三位一体(トリニティ)の教えを祈念する祭日です。三位一体とは、神は唯一の神でありながら、同時に父と子と聖霊という3つの独立した主体、すなわち位格として現れているという意味です。そして、この日からアドベント直前までのおよそ6ヶ月半、三位一体節が続きます。

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そこでヴァイマール時代の1715年の三位一体主日(6月16日)に初演され、その後、ライプツィヒ時代の1724年のこの日に再演されたと考えられている165番を聴きましょう。作詞者はザロモン・フランク。当日朗読されたのは、「ヨハネによる福音書」第3章1~15節です。

さて、《わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る》BWV74は、1725年の聖霊降臨日(5月20日)に演奏されました。当日の福音書はヨハネの第14章23から31節です。受難を前にしてイエスと弟子たちが交わした会話のひとつです。

03:01さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。 03:02ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」03:03イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」 03:04ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」 03:05イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。 03:06肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。 03:07『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。 03:08風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」 03:09するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。 03:10イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。 03:11はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。 03:12わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。 03:13天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。 03:14そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。 03:15それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。

新共同訳聖書より「ヨハネによる福音書」3章1〜章15節

ユダヤの律法に厳格なファリサイ派のニコデモとの会話のなかでイエスは、神の国に入るには新たに生まれ変わる必要があり、それは「水と霊によってなされる」と説いています。洗礼ですね。

18世期イタリアの画家ピエトロ・アントーニオ・ノヴェッリ作『洗礼の儀』。

そこでバッハは洗礼を讃えるカンタータを作曲しました。管楽器を用いず、ソプラノ、アルト、テノール、バスに合唱、弦楽と通奏低音のみのシンプルな編成です。

弦楽のフーガ風の前奏が美しい第1曲。ソプラノ(アリア)が「おお、聖なる霊と水による洗礼よ。それは神の国をわたしたちに送り、生命の本に書き入れてくれる。あらゆる悪行を洗い流し、その不思議な力で溺れさせ、わたしたちに新しい命を贈ってくれる」と歌います。続いてバス(レチタティーヴォ)が「アダム以来その子孫は罪に生まれ、神の怒りや死を受けるようになってしまった。なぜなら肉から生まれた者は罪に感染し、汚れているから。でも霊と水で洗われ、幸いと恵みの子となるキリスト者は幸い。穢れのない白い絹であるキリストを身にまとう。洗礼の水でキリストの血と栄誉の緋色の衣を着る」と述べます。

アルト(アリア)がバスのレチタティーヴォの憂いを帯びた調子を受け継ぎ、短調で洗礼を授けてくれるイエスへの祈りを歌います。「イエスよ、大いなる愛の洗礼によって、わたしに生命と救いを与えてください。生涯を通してその喜びと慈悲の絆を新たなものになるように助けてください」。バス(レチタティーヴォ)も言います。「イエスよ、わたしの魂の花婿よ。あなたはわたしを新しく生まれ変わらせてくださった。永遠に忠実であることを誓います。いとも聖なる神の小羊よ。でもわたしは洗礼の絆をしばしば破り、約束を果たしませんでした。その罪を赦してください。わたしの神よ、どれほどの痛みを老獪な蛇の攻撃に感じているかを。罪の毒がわたしの体と魂を堕落させるのです。助けてください。信仰とともにあなたを選べるように……」。続いてテノール(アリア)は自分の死を思い浮べ、罪を消してくれるように祈ります。「わたしの死の死であるイエスよ。わたしの人生で、最後の時の苦しみの際にもあなたを思い浮かべさせてください。あなたはわたしの罪の毒を消してくれる癒しの小さな蛇であることを。イエスよ、魂と霊を癒し、生命を見出せるように」。うねうねした器楽の主題が蛇の動きを象徴しています。そして最後に慰めに満ちた簡素なコラールが歌われます。「イエスの御言葉、洗礼、晩餐はあらゆる災厄に立ち向かう心強い味方。信仰において聖霊がわたしたちにそれらを信頼することを教えている」。

那須田務
那須田務 音楽評論家 

ドイツ・ケルン音楽大学を経てケルン大学で音楽学科修士修了(M.A)。専門はピアノ曲やオーケストラ等クラシック全般だが、とくにバッハを始めとするバロック音楽、古楽演奏の...

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