「弦楽四重奏曲第4番 ハ短調」——ベートーヴェンが行なった弦楽四重奏作曲の学習方法
生誕250年にあたる2020年、ベートーヴェン研究の第一人者である平野昭さん監修のもと、1日1曲ベートーヴェン作品を作曲年順に紹介する日めくり企画!
仕事終わりや寝る前のひと時に、楽聖ベートーヴェンの成長・進化を感じましょう。
1792年、22歳のベートーヴェンは故郷ボンを離れ、音楽の中心地ウィーンに進出します。【天才ピアニスト時代】では、ピアニストとして活躍したウィーン初期に作曲された作品を紹介します。
東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...
ベートーヴェンが行なった弦楽四重奏作曲の学習方法「弦楽四重奏曲第4番 ハ短調」
昨日は、ベートーヴェンにとっての弦楽四重奏曲は崇高な音楽表現であり、着手までが慎重だったとご紹介しました。いざ書き始めるまで、彼はどのように勉強し、準備をしていたのでしょうか。
ハイドン、モーツァルトの弦楽四重奏曲の傑作を知りながら、ある意味で弦楽四重奏の作曲を回避していた。しかし、それまでに完成させたピアノ四重奏曲(WoO36の3曲)、ピアノ三重奏曲(作品1の3曲)や弦楽三重奏曲(作品3、作品9の3曲)さらにはチェロ・ソナタ(作品5の2曲)やヴァイオリン・ソナタ(作品12の3曲)等の作曲実践を通して室内楽の伝統的な古典的表現語法とスタイルを学習し吸収、消化していた。
しかし、弦楽四重奏曲に対する学習とハイドン、モーツァルトの克服方法は全く別の方法をとっている。それは先人たちの傑作をスコアとして写譜することであった。18世紀中に出版されたハイドンやモーツァルトの弦楽四重奏曲の初版譜は、すべて演奏用パート譜の束であった。スコアでの出版は19世紀の声を聞くころになって、ごく限られた特別な作品だけがスコア譜として出版され始めるが、初版譜と言えばパート譜というのが当たり前であった。そうしたパート譜を四重奏スコアとして書き写すことは、四重奏曲の様式や形式構成さらには表現法を学習するには最適最良の手段であった。
——平野昭著 作曲家◎人と作品シリーズ『ベートーヴェン』(音楽之友社)223ページより
ベートーヴェンは、1人用の楽譜である「パート譜」を、全員分のパートが1枚に書かれている「スコア譜」に書き写すという方法で勉強をしていたようです。
彼にとって1作品目の弦楽四重奏となったこの作品18の完成を、彼自身も待ち望んでいたのではないでしょうか。
「弦楽四重奏曲第4番 ハ短調」Op.18-4
作曲年代:1799年夏〜秋(ベートーヴェン28歳)
出版:1801年10月モロ社(ウィーン)
Op.18-6
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