《霊名祝日》序曲——ロンドン進出への第一歩? 演奏会用序曲の原点
生誕250年にあたる2020年、ベートーヴェン研究の第一人者である平野昭さん監修のもと、1日1曲ベートーヴェン作品を作曲年順に紹介する日めくり企画!
仕事終わりや寝る前のひと時に、楽聖ベートーヴェンの成長・進化を感じましょう。
ウィーン会議、ナポレオンの没落......激動のウィーンで43歳になったベートーヴェン。「不滅の恋人」との別れを経て、スランプ期と言われる時期を迎えますが、実態はどうだったのでしょう。
東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...
ロンドン進出への第一歩? 演奏会用序曲の原点《霊名祝日》序曲
この作品はベートーヴェンへの師事を希望してドイツ留学をしていたイギリス人ピアニストのチャールズ・ニートと、かつての弟子でロンドンに定住していたフェルディナント・リースの計らいによって生まれました。
リースとニートはロンドンのフィルハーモニー(楽友)協会の協力者であり、ベートーヴェンのロンドン訪問を実現させるべく行動に出ました。
リースとニートはフィルハーモニー協会を説得し、ロンドンの聴衆が喜ぶような新作の序曲をベートーヴェンに委嘱するように促したのである。ニートを通してもたらされたのは「75ギニーの作曲料で新しい序曲を3曲」という作曲依頼であった。ベートーヴェンはこれに対して、旧作の《アテネの廃墟》序曲と《シュテファン王》序曲、そして最新作の《霊名祝日》序曲をニートに託してロンドンに送った。この《霊名祝日》序曲はベートーヴェンの序曲の中でオペラや演劇と全く関係ない唯一の序曲である。
——平野昭著 作曲家◎人と作品シリーズ『ベートーヴェン』(音楽之友社)150ページより
結局2人の計画、ベートーヴェンのロンドン訪問は果たされることはありませんでした。しかし、このあとフィルハーモニー協会が依頼する「2曲の交響曲」が、ベートーヴェン最後の交響曲である第9番につながることになります。
通常、序曲は何かしらの舞台作品の上演前に演奏されることを想定したものですが、この作品は続くべき作品がありません。ロマン派時代に流行する「演奏会序曲」の先駆けといえる作品です。
《霊名祝日》序曲 Op.115
作曲年代:1814年〜15年(ベートーヴェン44〜45歳)
出版:1825年シュタイナー社(ウィーン)
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