4つのマズルカ Op.17――楽譜の3社同時出版契約を獲得!
ショパンの作品を全曲聴いてみよう! ショパン自身がつけた作品番号順に聴くことで、ショパンの“設計図”が見えてきます。
東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...
4つのマズルカ Op.17
社交界で注目される音楽家となり、弟子たちから憧れのまなざしを受けるようになったショパンは、その生活の糧を楽譜出版でもしっかりと手にするようになっていく。
(中略)
楽譜出版にたいする批評も増えたが、《ルビュー・ムジカル》はショパンの歩みは独自のもので、その音楽はふつうの語法ではけっして到達しえない詩の領域にあると絶賛した。
ドイツではシューマン編集の『新音楽時報』、イギリスでは『ミュージカル・スタンダード』が、ショパンを熱心にとりあげた。
——小坂裕子著 作曲家◎人と作品シリーズ『ショパン』(音楽之友社)81,82ページより
1833年末、ショパンはフランス、イギリス、ドイツにある3つの音楽出版社と、自作の楽譜が3ヶ所で同時出版されるという契約を結びます。特に、ドイツのキストナー(現在のブライトコプフ・ウント・ヘルテル)は大きな市場をもっており、世界中でショパンの楽譜が売れることになりました。
これは当時横行していた著作権侵害を防ぐ最良の方法であり、ショパンは自作を演奏する形で宣伝することなく、楽譜が売れる音楽家になったのです! 大勢の人の前で演奏することを好まなかったショパンにとっては、これほど嬉しいことはなかったもしれませんね。
1832年から翌年にかけて書かれたこのマズルカも、契約を結んだあと、次々に出版された作品のひとつ。作品は声楽教師で、ショパンの友人だったマダム・リナ・フラッパに献呈されています。
4つのマズルカ Op.17
作曲年代:1832-33(ショパン22〜23歳)
出版:1834年
献呈:Lina Frappa
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