
タン・ドゥン:オペラ『TEA ~茶は魂の鏡~』~「茶」が世界の人々を魅了する理由

お茶についてのオペラが、こんなにも美しい愛の物語になりうるとは――。
ヨーロッパ、中国、アメリカなど世界19都市で再演が相次ぎ、今世紀に作られたオペラの中でもっとも反響の大きかった成功作の一つであるタン・ドゥン作曲『TEA ~茶は魂の鏡~』。サントリーホールが委嘱して2002年に世界初演されたこのオペラが、2006年の再演を経て、ついに20年ぶりの帰還を果たす。
7月3日、4日の上演を前に、この作品の魅力を紐解きつつ、作曲のタン・ドゥンおよび演出のシャーウッド・フーに行なった独自のメール・インタビューをお届けする。
誰もがわくわくさせられる古代日本と中国の愛のドラマ
『TEA ~茶は魂の鏡~』は、茶にまつわる愛と記憶の物語であると同時に、誰にとっても身近な茶についての哲学的な考察に満ちた、とても繊細で美しいオペラである。
音楽は親しみやすい。水や紙や石や陶器など自然の素材を楽器として用いるオーガニック・ミュージックの手法には、誰もがわくわくさせられることだろう。オーケストラと歌手たちは、優美に、ドラマティックに、観客に向かって古代中国と日本を舞台にした愛のドラマを語りかけてくる。
21世紀に書かれたアジア発の現代オペラが、初演以来24年間でヨーロッパ、中国、アメリカなど世界19都市で再演が相次いだというのは、驚くべきことである。それほど多くの劇場がこの作品に興味を示し、観客からもアーティストたちからも歓迎されたということの何よりの証拠だろう。
7月3日と4日にサントリーホールで行なわれる、オペラ『TEA ~茶は魂の鏡~』の凱旋公演は、国際的に活躍する中国の映画監督・演出家のシャーウッド・フーが新しく演出する。作曲家のタン・ドゥン自身も、「茶は自分にとっての宗教だと思うようになった」というくらいに、いまもこのオペラを大切にしており、もちろん自らタクトを取る。

京都の寺で僧の聖嚮(せいきょう)は空の茶碗で茶を飲み、僧侶たちに過去の思い出を語り始める。かつて聖嚮は日本の皇子として中国の長安を訪れ、皇帝の娘・蘭とかつて交わした結婚の約束を果たそうとする。弟の皇子が所有する知恵の書「茶経」を偽物と見破った聖嚮は、蘭とともに南へと旅する。「茶経」の著者・陸羽の娘の陸と出会い、ついに本物の「茶経」を手にするが、聖嚮と皇子との間で奪い合いとなり、止めに入った蘭が剣の犠牲となる――。京都の寺の場面へ戻り、聖嚮は苦い沈黙のうちに、茶の哲学を深い想いとともに語る。
「茶」こそが友情と平和を語るための最善の手段
以下は、サントリーホールでの上演を控え、作曲家タン・ドゥンに対して独自に行なったメール・インタビューの内容である。オペラ『TEA ~茶は魂の鏡~』をより深く理解し味わうための参考にしていただければと思う。

タン・ドゥン(譚盾)は、クラシック音楽、マルチメディア・パフォーマンス、そして東西の伝統の枠を自在に越える創造的なレパートリーによって、世界の音楽界に不朽の足跡を残してきた。代表作にはアカデミー賞、グラミー賞に輝いた映画音楽『グリーン・デスティニー』をはじめ、エディンバラ音楽祭委嘱のオペラ『マルコ・ポーロ』、ヨーヨー・マとボストン響の初演による『ザ・マップ』、ドレスデン音楽祭、ロサンゼルス・フィル、ニューヨーク・フィル、メルボルン響の共同委嘱による『仏陀受難曲』など。指揮者としても活躍し、世界各地の一流オーケストラに定期的に客演指揮者として招かれている。現在、ニューヨークのバード音楽院院長、中国国家交響楽団名誉芸術顧問、メルボルン交響楽団芸術アンバサダー。ユネスコ親善大使。中国湖南省出身
――茶を飲むという行為は、このオペラで語られているように、なぜ内面的な行為たりうるのでしょうか? 酒を飲む行為もじゅうぶん内面的だと思いますが、両者の違いについてお教えください。
タン・ドゥン 酒が陽の揺るぎない精神であるとすれば、茶は陰の潤いある静けさです。酒と茶の文化は、強さと柔らかさの文化、陽と陰の文化です――これは中国の祖先が世界に与えた影響であり、私たちが受け継ぎ守り続けなければならない遺産です。
この作品が繰り返し上演されるうちに、私は自問するようになりました。「茶は自分にとって何を意味するのか」と……。その答えは「宗教」でした。
2年前のある夜、ニューヨークのタイムズスクエアを歩いていると、二人の兵士の映像を目にしました。一人はロシア人、一人はウクライナ人で、共に茶を飲んでいる映像でした。クリスマスのことで、二人はその時間だけ停戦を誓い、お茶を飲みながら語り合っていたのです。私は、茶こそが友情と平和を語るための最善の手段かもしれないと考え始めました。
日本の茶室では、狭い入口(にじり口)をくぐる際に頭を下げることで、誰もが平等になります。「宗教」というとき、私はキリスト教やイスラム教や仏教といった個別の宗教を指しているのではなく、互いを愛し、愛されることを考えるための哲学のことを言っています。今日のこの複雑な世界において、茶こそが生命の源流へと私たちを連れ戻してくれる答えを持っていると思うのです。

酒は外界への橋 茶は内面を映す鏡
タン・ドゥン それに対して、酒は情熱とひらめきをもたらします。私が指揮台に立ち、世界各地から集まった人々と中国の文化を分かち合うとき――情熱の炎、速度、詩の奔放な燃焼――まさにそれこそが、中国の精神が私に与えてくれた洞察です。酒は魅惑的な媒体です。神と人間を結び、人と人を結び、人間を自分自身とも結びつけます。
ベートーヴェン生誕250周年を記念して作曲した私の《合唱協奏曲:九》では、それを3楽章に拡張し、それぞれ「九」「酒」「時」と題しました。中国語で「九」は「ジウ」と読まれ、その音は「酒」をも意味し、「永遠」をも示唆します。私は異なる世界、異なる時代の詩人たちを求めて、台本を構成しました。
第2楽章では、1300年前の李白の詩に拠りました。月影の中の友との語らいを描いた、自然についての何と美しい詩でしょう。ここで酒は、人間と自然を、人間と詩を結ぶ媒体となります。
こうして酒は、私が外へと向かい、文化と時間と空間を越えて世界と対話するための橋となります。一方、茶は、私が自分の真の姿へと立ち返り、魂を見つめるための鏡となるのです。

水、風、火、陶器……『茶経』に書かれたすべての要素を音楽へ織り込みたかった
――第2幕では、茶についての美しい言葉がたくさん出てきます。「苦さの中に宿る緑の夢、うら若き命の上に散る赤い葉」「貴重なる緑の黄金、茶は薬となり、贈り物となり、貨幣となり、飲み物となった」。これらは何かの引用ですか、それともあなた自身の言葉ですか?
タン・ドゥン 私はさまざまな伝統から得た物語を活用しましたが、台本の言葉そのものはすべて自由で、私自身の言葉によって生み出されたものです。たとえば「音を見て、色を聴く」、これはまったく私自身の言葉です。また『金瓶梅』(きんぺいばい、明代の長編小説)の表現や自然のイメージも用いており、それらの意義を反映した二重の意味で使っています。
私は長年にわたり、水、紙、陶器を楽器として使おうとしてきました。「茶」をテーマに中国と日本でリサーチの旅をする中で、「オーガニック・ミュージック」がすでに両国に存在することに気づきました。たとえば日本では、茶室に入る前に石の手水鉢で手を洗います。その瞬間、洗われるのは手だけではなく、心と精神も清められる。このように見ると、オーガニック・ミュージックとは生そのものに関わるものです。私はこれをひとつの概念として茶のオペラへ取り込もうと決めました。
『茶経』の著者・陸羽も、水、風(紙の音)、火、陶器について書いています。それゆえ私は、茶の湯に必要なすべての要素が不可欠であるがゆえに、『茶経』に書かれたすべての要素をこのオペラの音楽へと織り込みたかったのです。

『TEA ~茶は魂の鏡~』で紙・水・石が楽器として使われる場面
二人の恋人は、『茶経』を求める知の旅の中で深い愛のうちに溶け合う
――第2幕の聖嚮と蘭の場面では、知的な探求と甘い官能が一致した、共に高め合う男女の愛であるということ、そこに茶が介在するということに強く心を打たれます。このイメージはどこに由来するのですか?
タン・ドゥン 第2幕での聖嚮と蘭の場面は、私が個人的にも最も気に入っている場面のひとつです。茶という媒体を通じて、知の探求と甘い官能が完璧に織り合わされた、双方の魂を高め合う愛の表現です。
このヴィジョンの着想は、私が生まれ育った中国の古い村のシャーマン的な観念――すべての存在に魂が宿るという——から深く引き出されています。したがって二人の恋人、蘭と聖嚮が、『茶経』を求める知の旅の中で深い愛情のうちに溶け合うとき、私は彼らに演じさせるのではなく、あらゆるものと対話させたいのです。
私がヴァイオリンに語りかけるように、ヴァイオリンは水に語りかける。水は木々に語りかけ、木々は月と語り合う。自然のすべてに命と魂があるのです。このアニミズムの観念は、やがて「ホール・オペラ」という形式へと結実しました。
舞台の上ではすべての境界が解体され、音楽家たちの動き、彼らが指揮者と目を合わせ応答する様子が見えます。私は古代の演劇形式――古代ギリシャの演劇、中国の儀礼、日本の能と狂言――から着想を得て、開かれた劇場、開かれた儀礼を創造しようとしたのです。

茶の湯は人生を芸術にし、芸術を日常の一部にする
――最後の場面で、「茶を味わうことは、何よりも難しい」という言葉が出てきます。この「hard」に込められた意味を詳しくお教えください。茶を味わうことは、専門家にしか理解できない、遠い世界の出来事だというわけではありませんよね?
タン・ドゥン 実は、「茶を味わうことは、何よりも難しい」と言うとき、その「難しさ」は中国語の「品(ピン)」という文字の哲学にあります――口という字を3つ書くように――まず天を味わい、次に地を味わい、そして自己(そして他者)を味わう。
茶の湯は日本人にとって人生を芸術にするものであり、中国人にとっては芸術を日常の一部にするものです。日本の茶の湯には禅の香りが漂い、中国の茶の湯は日常生活の哲学に浸っています。これは、日本の厳格で精緻な儀礼の形式と、中国の気取りのない生活重視の哲学との間に繊細な均衡を見出すことを意味します――そして舞台を通じて、世界中の人々の心を橋渡しすることです。
この茶のオペラを作曲する際、私はこの「hardest(もっとも難しい)」という解釈を音楽そのものへと織り込みました。最優先事項はオーガニック・ミュージック、歌、言葉、物語などを統合するという概念でした。

私にとって重要なのは、このオペラの音楽が聴衆の心に直接届くこと
タン・ドゥン 次に重要なのが旋律です。旋律を生み出す技、歌を作り出す技――それこそがオペラを作曲することの本来の目的です。誰でも歌え、誰の口からでも生まれてくるような旋律が重要であるがゆえに、私は歌いやすくすることに集中しました。
しかし、この種の「歌いやすさ」を実現することこそが、実はもっとも難しいのです。オーガニック・ミュージック、東洋の儀礼的要素、そして歌の伝統――古代日本やチベットの僧侶たちの歌、中国詩の吟誦様式、能・狂言・京劇での言葉の語り方、初期イタリア・オペラからプッチーニに至るまでの歌唱伝統――これらすべてを、身体から自然に湧き出す振動としてのメロディーの線へと変容させなければなりませんでした。
美しい旋律は、時代、国、場所を問わず、誰の心にも訴えかけるものだと信じているからです。その意味でこのオペラは、前衛でも伝統的でもなく、西洋でも東洋でもなく、革命的でも保守的でもありません。そのような概念や考え方はまったく重要ではないのです。私にとって重要だったのは、このオペラの音楽が聴衆の心に直接届くということでした。
人は変わり、文化も変わります。しかし茶は常に茶です。茶は国境を越えて人類をつなぐ文化です。そしてこのオペラが最終的に行なうことは、茶を鏡として、世界が自分自身を、お互いを、そしてすべての人類の共通の起源と最終的な故郷への帰還を見ることを可能にすることなのです。

シャーウッド・フーが語る、サントリーホールのための「儀式的」な演出
こちらは演出家のシャーウッド・フーへのメール・インタビューの内容である。映画監督としての経験を活かしつつ、スペクタクルな儀式性を強調したスリリングな舞台が期待できそうだ。

「中国から登場したもっとも刺激的でダイナミックな演出家の一人」(『ハリウッド・リポーター』誌)。ニューヨークのパブリック・シアターにてジョセフ・パップのもとで舞台演出を学ぶ。映画監督としては、初の長編映画『蘭陵王』が中国古代神話を題材とした叙事詩的作品として数々の賞を受賞。その他、代表作に『喜瑪拉雅王子(ヒマラヤ王子)』『上海キング』など。2010年には上海万博の上海館総合クリエイターを務めた。舞台演出においても幅広く活躍し、代表作には、新作京劇『新龍門客棧』、影絵と映像を融合させた『マジック・パペッツ』、タン・ドゥン作曲のオペラ『TEA』などがある。新作影絵芝居『九色の鹿』は、第25回セルビア国際芸術祭にて最優秀作品賞受賞。最新のプロジェクトでは映像と交響曲を融合させた『女神』、そして26年には『旧円明園 馬首』の上演を予定している。また、フランシス・F・コッポラ制作映画『Lani Loa-The Passage』の初中国人監督でもある。上海交通大学教授
撮影:各務あゆみ
――記者懇親会ではサントリーホールをギリシャの古代劇場のように円形に使いたい、タン・ドゥンには指揮者だけではなくシャーマンとしての役割を演じてほしい、舞台上の人々には白い服を着せて映像をそこに投影するという話がありましたね。その後アイディアはどう発展しましたか?
シャーウッド・フー 昨今の演劇作品のほとんどは、1618年にイタリアのパルマに建てられたテアトロ・ファルネーゼを最初期の一つとするプロセニアム式劇場*で上演されています。しかし私は、サントリーホールの空間をそのまま使いたいと思っています。
*プロセニアム式劇場:客席から見て、舞台が「額縁」で区切られた形式の劇場のこと
観客はアリーナ舞台を四方から取り囲む形で座り、古代において演劇的な出来事がすべて神々に捧げられていたギリシャ劇場の環境を想起させるものとなります。
タン・ドゥンと話し合い、私たちは『TEA』が儀式的な上演であると確信しています。したがって、音楽家を含むすべての演者が、この特別な儀式的事象に臨む存在として――茶、愛、生命、信仰を祝うために――集います。タン・ドゥンは指揮者であると同時に、その夜の儀礼の主宰者でもあります。舞台上のすべての人と映像が、この儀式的上演の一部となるのです。

――京都と長安という二つの都市が出てきます。日本と中国の文化の違いをどのように表現しますか。
シャーウッド・フー 劇場とは象徴的な空間です。私は京都も長安も再現しようとは思っていません。そのかわりに、登場人物たちの心の状態に焦点を当て、観客が物語と登場人物の旅を私たちの表現の中でたどっていけるようにしたいのです。
――最近は世界中のオペラ上演で、映像の最新技術が競うように使われています。あなたが映像を扱う際の基本的な考え方をお教えください。
シャーウッド・フー 私は演出家であるだけでなく映画監督でもあります。すべてのテクノロジーは、正しい目的のために機能してこそ良いものだと信じています。演劇と映画は、美学、テーマ分析、人物描写など多くの点で共通していますが、異なるメディアです。しかし監督として私はつねに自分に言い聞かせています――演劇は演劇、映画は映画と。
映画の魅力は、象を蟻にし、蟻を象にすることができること。演劇の魅力は、常に観客と「対面」していることです。それが本質です。芸術は純粋であろうとします。それは容易ではありませんが、力強い。
――茶を味わうということについて、あなたがこのオペラからもっとも学んだことは?
シャーウッド・フー 来るものを受け入れるために、命を敬わなければならないということ。そして私たちの周囲にある小さなものすべてに感謝することです。時として、自分がどこにいるかは重要でなく、むしろ自分がどこを向いているかの方が重要です。

撮影:各務あゆみ
ホール・オペラ® タン・ドゥン:『TEA ~茶は魂の鏡~』予告動画(2023年上海公演ダイジェスト)
十数年前、タン・ドゥンの楽屋で、少しの時間だがインタビューしたときのことは忘れられない。
「お待たせしてすみません」と言いながら、楽屋の備え付けの急須で、自らお茶を淹れてくれたのである。
ティーバッグだったにもかかわらず、その淹れ方がとても丁寧だったので、「そうだ、お茶を淹れるということは心の表現であり、歓迎の気持ちであり、ゆっくりとした時間を持とうという儀式なのだ」と思い当たった。
まず話をする前に、一杯のお茶を――。
そんな誠実な気持ちが伝わるお茶だからうれしかったし、実際とても甘くおいしく感じた。
今回のメール・インタビューでは、タン・ドゥンがどれほどお茶にまつわるすべての事柄を大切に思っているかが伝わって来たし、その思いがいかにオペラへと結実しているかを改めて知ることができた。
『TEA ~茶は魂の鏡~』の中では第2幕の愛の場面が私は大好きである。
『トリスタンとイゾルデ』が夜の世界の熱狂的な愛だとすれば、『TEA』は知的な探求と甘い官能が一致する、共に高めあう愛である。それは茶の感覚なのだ。
林田直樹
サントリーホール開館40周年記念
日時: 2026年7月3日(金) 19:00開演・4日(土)17:00開演
予定上演時間:約2時間15分(休憩1回)
会場:サントリーホール 大ホール
出演&クリエイティブ
指揮:タン・ドゥン
演出:シャーウッド・フー
聖嚮(日本の高僧):マーテー・ヘルツェグ(バリトン)
蘭(唐の皇女):ルーシー・フィッツ・ギボン(ソプラノ)
唐の皇子:石井基幾(テノール)
唐の皇帝:アポロ・ウォン(バス)
陸(陸羽の娘):イン・デン(メゾ・ソプラノ)
僧侶たち:新国立劇場合唱団
3人の打楽器奏者:チェンチュー・ロン/稲野珠緒/神田佳子
東京フィルハーモニー交響楽団
曲目
タン・ドゥン:オペラ『TEA ~茶は魂の鏡~』(全3幕・日本語&英語字幕付)
台本:タン・ドゥン、シュ・イン
料金:S席 24,000円 A席 18,000円 B席 12,000円 U25席 3,000円
※U25席は字幕が見えない可能性があります。サントリーホールチケットセンター(WEB・電話・窓口)のみ取り扱い。25歳以下、来場時に身分証提示要。お一人様1枚限り
公演詳細はこちら
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