肖像の背景に宿る魂〜作曲家アルヴォ・ペルトと「磔刑図」
配信だけではもったいない! 演奏が素晴らしいのはもちろん、思わず飾っておきたくなるジャケットアートをもつCDを、白沢達生さんが紹介する連載。12cm×12cmの小さなジャケットを丹念にみていると、音楽の物語が始まります。
英文学専攻をへて青山学院大学大学院で西洋美術史を専攻(研究領域は「19世紀フランスにおける17世紀オランダ絵画の評価変遷」)。音楽雑誌編集をへて輸入販売に携わり、仏・...
磔刑図の前に佇む作曲家のポートレート
この連載の第3回で、肖像写真の背景には物語が秘められていることがある……という件について書きました。
今回のアルバムも、まさにそのような一枚です。
教会堂のような空間に佇む、年齢を重ねた一人の男性。
横に示された文字で、それが誰であるかはすぐにわかります。
アルヴォ・ペルト、1935年生まれのエストニアの作曲家。同世代のシュニトケやシルヴェストロフなどと同様、ソヴィエト連邦があった時代に紆余曲折のキャリアを辿り、冷戦構造の崩壊前夜から西側で広く名声を博しはじめた大御所ですね。
幸いなことに私たちは、彼が21世紀を生き、新たな作品を紡ぎ出し続けてゆくのをリアルタイムで認識できます。ペルトは間違いなく私たちの同時代人なのです。
同時代人の肖像写真はつい、単なる記号のように「顔」を認識したところで眺めるのをやめてしまいがちですが、ここはひとつ、背景にも視線を移してみましょう。
ジャケットのキートーンは、茶色がかった陰翳が美しい背景の壁の色からとられているのでしょう。どこかの古びた壁に、よい風合で古びた額縁に入れられた縦長の絵も見えます。
奥に掲げられた絵の左下には、手前で俯くペルトと同じように下を向いて立っている人の姿が……絵の反対側の人物と向き合うように立ち、その両者の間には十字架にかけられた半裸の男性の姿が見えます。
磔刑図。キリスト教信仰の中心人物、ナザレのイエスが十字架にかけられ、その傍らに聖母マリアと福音書記者聖ヨハネがたたずんでいる、伝統的な宗教美術の構図です。
「聖母は立ち尽くす、悲しみにくれて」……これはみずからの胎から生まれた最愛のイエスが処刑されて苦しんでいるのを見て、絶望にうちひしがれている聖母マリアをうたった有名な祈り「スターバト・マーテル」の冒頭行で詠われている言葉。
古くからある磔刑図の多くがそうあるように、悲しみながら(Dolorosa)も頽(くずお)れることなく、凛と立ち尽くしていた(Stabat)聖母(Mater)の様子が、この祈りに示されているのです。
聖地イェルサレム奪還保護の使命感からキリスト教社会が十字軍を中近東に派遣していた13世紀、おそらくイタリアで作られたと考えられているこの祈りの言葉は、ルネサンス期以降に多くの作曲家たちにより多声音楽の歌詞に使われてきました。ジョスカン・デ・プレ、ペルゴレージ、ドヴォルザーク……そしてアルヴォ・ペルトもまたこの詩句による音楽を書いていて、それが当該アルバムの中心曲になっています。
場所、画家にも深い意味が込められている
それにしても、これは誰が描いた磔刑図で、どこの教会にあるのでしょう?
ブックレットによると、撮影したのはカウポ・キッカスというエストニアの写真家。セルフポートレートを含む人物写真を多く手掛けていて、エストニアが誇る世界的音楽家パーヴォ・ヤルヴィやエストニア祝祭管弦楽団、ペルトを世界的に有名にしたECMレーベルの創設者マンフレート・アイヒャーなどのポートレートも撮っています。
作曲家も写真家もエストニア人なら……と同国の教会に目星をつけて探ってゆくと、すぐに見つかりました。
タリンの聖ニコラオス教会(エストニア語では「ニグリステ教会 Niguliste Kirik」)の宝物群に、19世紀に描かれたこの磔刑図があるのです。
制作者は1830年、帝政ロシア支配下でレヴァルと呼ばれていた頃のタリンで生まれた画家カール・ヴェーニヒ。第一次大戦終結頃までバルト海沿岸地域に数多くいたバルト=ドイツ人の一人で、宗教画のほかには歴史画を得意とし、イヴァン雷帝や偽ドミートリーの絵などロシア史にかかわる作品も残しています。
ペルトが佇んでいる聖ニコラオス教会が創建されたのは、記録によれば13世紀、まさに「スターバト・マーテル(立ち尽くす聖母)」の詩句が綴られたのと同じ頃。
現在の教会堂はその少し後、14世紀初頭に完成しています。エストニアは18世紀初頭の北方大戦争でロシア領になるまで長くスウェーデン領で、16世紀にはバルト海沿岸の多くの地域と同じように、この教会もルター派の会堂に転じました。
第二次大戦ではソ連軍の空爆で教会堂がひどく壊れてしまいましたが、1953年から復旧工事が進められ、1981年には無事、今の姿を取り戻しました――ちょうどペルトがベルリンに移り、現在知られる彼ならではの作風を見出しはじめた頃のことです。
『スターバト・マーテル』はその完成から間もなく、1985年に完成しました。14世紀から16世紀にかけての教会音楽を徹底的に学んだペルトは、この曲を弦楽三重奏と3声部のために書いていましたが、2008年に弦楽合奏と合唱のための楽譜も作り、このアルバムではその版で演奏されています。
画家ヴェーニヒがバルト海沿岸のドイツ人だったとすれば、ペルトもまたドイツ起源のルター派信仰の徒として生まれ(のち正教に改宗)、1980年にソ連を離れドイツで新たな活路を見出しました。
このアルバムはバイエルン放送のレーベルで制作されていますが、その本拠ミュンヘンは伝統的にカトリック優勢の土地で、ルター派教会のように宗教美術を否定せず、ヴェーニヒが描いたような宗教画も多く受け入れられてきた場所でもあります。第二次大戦の惨禍と縁深い場所ということも、改めて思い起こされます。
さまざまな人々が何を信じ、何を大切にしつづけてきたのか。
祈るように俯くペルトの横顔を見ながら、その後ろにあるタリンの教会と磔刑図にも目を向けつつ、空間と心に沁み入るような弦楽合奏と合唱の響きに身を任せるひとときをおくれたらと思います。
イヴァン・レプシッチ指揮
バイエルン放送合唱団、ミュンヘン放送管弦楽団
BR(ドイツ)2021年9月発売
900335 ※日本語解説なし輸入盤のみ日本流通
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