マネの代表作に描かれたバス・ペールエールとパリの華やかな音楽文化
京都産業大学外国語学部助教。専門は18世紀の文学と美学。「近代ドイツにおける芸術鑑賞の誕生」をテーマに研究し、ドイツ・カッセル大学で博士号(哲学)を取得。ドイツ音楽と...
画家エドュアール・マネ(1832〜1883年)の後期の代表作《フォリー・ベルジェールのバー》は、かつて作曲家エマニュエル・シャブリエ(1841〜1894年)が所有し、ピアノの上に飾られていた。
シャブリエは、官吏として働きながら作曲とピアノを学び、《スペイン狂詩曲》やピアノ曲《絵画的小曲集》を残した。絵画好きとしても知られる彼は、マネやモネ、セザンヌと交流をもっており、特に、パリで近所に住んでいたマネからの影響は、特別なものだったのだ。
この絵に描かれているのは、パリ9区にあるフォリー・ベルジェール劇場内のバーで、この劇場では、オペラやオペレッタ、バレエの上演なども行なわれていた。19世紀後半の都市改造で様変わりしたパリにおいて、この劇場はさまざまな階級の人が集まる社交場としてにぎわっていた。マネにとっては、新たな時代の息吹が感じられる場所だったといえる。
この絵では、カウンターの上にバス・ペールエールというビールが描かれている。
写真提供:ビア&カフェおれんじcorn
バス醸造所は1777年にイギリスで創業した。同社のペールエールは、世界初の商標登録「赤い三角形」で知られており、豊かなモルトの甘みと程よいホップの香りが特徴である。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、このビールは世界中に輸出され、パリでも広く親しまれていた。キュビズム時代のピカソも、題材に選んだほどである。
バス・ペールエールの隆盛は、ベル・エポック(19世紀後半から第一次世界大戦にかけてパリで芸術が花開いた「良き時代」)と重なっている。シャブリエやマネも、バス・ペールエールを嗜みながら、芸術談義に花を咲かせていたかもしれない。
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