読みもの
2020.02.20
飯尾洋一の音楽夜話 耳たぶで冷やせ Vol.18

《魔笛》の鳥刺しは絶品

人気音楽ジャーナリスト・飯尾洋一さんが、いまホットなトピックを音楽と絡めて綴るコラム。第18回は、モーツァルトのオペラ《魔笛》に登場するパパゲーノ。ユニークな扮装で登場する鳥刺しパパゲーノ、一体何者? その秘密を当時の社会情勢に探ってみましょう。

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飯尾洋一
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飯尾洋一 音楽ライター・編集者

音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...

メインビジュアル:カルル・フリードリッヒ・シンケル(1781年3月13日~1841年10月9日)による『魔笛』の舞台美術

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鳥刺しパパゲーノって何者?

モーツァルトのオペラ《魔笛》を初めて観たときに、大いにとまどうのがパパゲーノという役柄ではないだろうか。

いったい何者なのだ、この鳥人間みたいな存在は。役柄の一覧表には「鳥刺し」と書いてある。

鳥刺しってなんだ? 今ネットで検索すると、「東京で食べられるうまい鳥刺しランキング」みたいな記事が並ぶ。食中毒の危険性をうたったサイトも目に入る。画像検索すれば、ずらりと鳥刺し、つまり鶏の刺身の写真が並んでいて、食欲を刺激する。

もちろん、そいつはパパゲーノとなんの関係もない。パパゲーノの「鳥刺し」とは職業のことを言っている。鳥を捕獲する仕事なのだ。

 しかし、そう聞いたところで、「鳥刺し」という存在自体にどうも実感がわかないし、なぜ鳥刺しが道化役になるのかもピンと来ない。鳥をつかまえる姿が滑稽だからなのだろうか。「魔笛」を観るたびに、なんとなくパパゲーノという役に落ち着かない気分があった。

初演時のパパゲーノを演じたエマニュエル・シカネーダー。《魔笛》の台本を手がけた。アン・デア・ウィーン劇場を設立した人物でもある。© Printer Ignaz Alberti

「鳥刺し」は、当時の社会のはみ出し者

ところが、先日、ライアンダ・リン・ハウプト著の『モーツァルトのムクドリ 天才を支えたさえずり』(青土社)を読んでいたら、「鳥刺し」についての記述があって、いろいろと腑に落ちた。鳥の専門家である著者によれば、鳥刺しとは「社会の周縁で貧困に近い生活をしていた」ようで、野や森で鳥の巣から雛を盗んで、これを育てたうえで、鳥を売って生計を立てていたというのである。そして、仕事としてはまったく社会的に尊敬されておらず、「こうした小売商に関する情報の大半は、彼らを酩酊、強盗、軽犯罪の罪に問う裁判記録から得られている」というのだ。

モーツァルトのムクドリ

つまり、《魔笛》のタミーノは王子だが、パパゲーノは貧困層にいて普段は目に入らない社会のはみ出し者といった役柄なのだ。だからザラストロの与える試練に対しても、タミーノは真正面から立ち向かうが、パパゲーノはまったく意志薄弱で頼りない。意識高い系のタミーノとは正反対のダメ人間がパパゲーノ。そんなコントラストが描かれている。それでもパパゲーノは最後には恋人も見つけるし、子宝にも恵まれるというのがこのオペラなので、ザラストロ教団ははみ出し者に対しても寛容だといえるかもしれない。

トラックの3番目のアリア《俺は鳥刺し》がパパゲーノの初登場シーン

ちなみにパパゲーノのような鳥刺しは、育てた鳥をなんのために売っているのか。
それはもちろん、食べるためだろう、西洋人は刺身にはしないだろうが、焼き鳥だったら食べただろうし……と、これまで思い込んでいたのだが、前述書によれば、鳥はペットとして売られていたらしい。当時のヨーロッパでは鳥をペットとして買うことはごく一般的で、有名な話だがモーツァルト自身もムクドリを飼っていた。鳥刺しは、素人が飼えるほど丈夫になるまで、雛を育てあげてから売っていたのだ。だからパパゲーノは社会の底辺にあったとしても、鳥を育てるための知識や技能をしっかりと習得したスペシャリストだったわけだ。そう思えば、パパゲーノには単に道化役として以上の共感を寄せることができるかもしれない。

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音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...

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