第7回ワーグナー《ニュルンベルクのマイスタージンガー》〜古い靴を脱ぎ捨てて
音楽ライターの飯尾洋一さんが、現代の日本に生きる感覚から「登場人物の中で誰に共感する/しない」を軸に名作オペラを紹介する連載。第6回はワーグナー唯一の喜劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》。主要登場人物の中で、飯尾さんが共感するのは誰?
音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...
名作オペラについて「心の主役」を探す連載第7回は、ワーグナーの《ニュルンベルクのマイスタージンガー》。前回のヴェルディ《ファルスタッフ》と同じく、この作品も事実上作曲者唯一の喜劇だ。殺人事件も起きないし、決闘も起きない。こんなにも音楽が充実していて、しかも血が流れない。貴重な傑作である。
そして、この物語はとてもよくできている。オペラにありがちな荒唐無稽さがなく、歴史ドラマながら古びることのない人生の真実が描かれている。音楽だけではなく、こんな台本まで書いてしまうワーグナーの偉才、恐るべし!
一方で、これは問題作でもある。女性が自分の人生に選択肢を持っていないのは歴史ドラマだから仕方がないのかもしれないが、だからといって歌合戦の賞品として扱われていいものなのか。そして主人公がドイツ文化を賛美するにとどまらず、外国文化への不信を口にする。喜劇といっても、ハッピーエンドでは済まない要素がある。
若い娘エーファに一目ぼれをした騎士ヴァルターは、マイスタージンガー(職匠歌人)による歌合戦の勝者がエーファを花嫁にできると知る。歌合戦に参加しようと試験に臨むが、ヴァルターの歌は規則違反ばかりと非難される。しかし、靴屋の親方ハンス・ザックスはヴァルターの可能性を認める。ザックスは妻を亡くし、エーファに好意を持っていたが、駆け落ちしようとしたエーファとヴァルターを引き留め、若いふたりが結ばれるために力になろうと決意する。いよいよ迎えた歌合戦で、エーファとの結婚を目論む書記ベックメッサーは失敗し、ヴァルターが見事に勝利を収める。ザックスはふたりを祝福し、伝統の重みを説き、ドイツの芸術を称える。
発表! 《ニュルンベルクのマイスタージンガー》のキャラクター別 共感度
ハンス・ザックス ★★★☆☆
靴屋の親方にして、思慮深いマイスタージンガー、そして男やもめ。若いエーファに慕われ、自分も惹かれているのだが、ふたりは親子ほどの年齢差。もしザックスが歌合戦に出場してしまったら、楽々と勝者となり、エーファを花嫁に娶っていただろう。だが、ザックスはエーファへの思いを断ち切り、エーファと騎士ヴァルターを結びつけるためにひと肌脱いで、若者たちの未来を切り開いた。ザックスは孤独を受け入れたのであり、立派である。
ザックスの迷いのモノローグ
と、ザックスに尊敬の念を抱いていると、第3幕で排外主義的な大演説をするので、この人物がよくわからなくなる。えっ、進歩的な人だと思っていたのに、実はこんな人だったなんて。でもこういう人はたしかにいるし、よくあることとも言える。尊敬できる人はしばしば理解できない人。人はみな二面性を持っており、この演説こそがザックスという人物像にリアリティをもたらしているのかも。
ハンス・ザックスの最終演説
ヴァルター ★★☆☆☆
若い騎士であり、古いしきたりで凝り固まったマイスターたちの世界に新風を吹き込む人物。ヒーローだ。近年の日本において、地域活性化をもたらすのは「よそ者、若者、変わり者」などと言ったりするが、古きドイツにおいても事情は似たようなものなのか。ヴァルターはそのすべての条件を満たしている。とはいえヴァルターの成功はひとえに細かなルールを超越した見事な歌を披露したからであって、才能が大前提。なんの弱みもない優秀な若者なので、共感よりも羨望の対象か。
歌合戦に勝ったヴァルターが月桂冠を戴いて歌う「優勝の歌《朝はばら色に輝きて》」
エーファ ★★★★☆
自分が歌合戦の勝者の花嫁として差し出されるというのはどんな気分だろうか。拒否権が与えられているのが救いだが、もし拒否した場合は、第2回歌合戦の開催があるのかどうかが気になるところ。意中の人が勝つまで待ち続けるという戦略はありえるのだろうか。
エーファがザックスに歌合戦の出場を促す場面が印象的だ。ヴァルターに勝ってほしいんじゃなかったの? あるいはザックスは現実的な選択肢としての「保険」? それとも変化を恐れる気持ちのあらわれなのか。
エーファは自身が「賞品」になってしまった時点で窮地に立っており、このピンチからどう逃げ出すかという脱出劇をくりひろげているともみなせる。
ポーグナー ★☆☆☆☆
エーファの父。自分の娘を歌合戦の賞品にしようなどと、なぜ思いついたのか。
自分の娘を賞品に、と宣言するポーグナーの演説
ベックメッサー ★★★★☆
演出次第でずいぶんと印象が異なる役柄だが、ベックメッサーは凡人を代表している。芸術的な才能はないものの、細かなルールはしっかり理解しており、市の書記を務めているのだから、むしろ優秀な部類の人材だろう。エーファには相手にされていないし、歌合戦では恥をかいて、散々な目にあう。でも、ベックメッサーはなにかを失ったわけではないし、歌合戦の翌日からきっとルールに従った規律のある暮らしを営み、そこそこ出世して、いずれ似合いの相手を見つけそうな気がする。ザックスやヴァルターよりもハッピーな人生を送れるんじゃないかと予想している。
ザックスが採点の「相槌」を打ちまくるベックメッサーのセレナーデ「新しい日が現れる」
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