リストの生涯と主要作品
フランツ・リストの生涯と主要作品を、音楽学者・友利修が解説!
文―友利 修(音楽学者)
リストの生涯
ハンガリーの作曲家,ピアノ奏者。ロマン派を代表する音楽家のひとりで,卓越した演奏技巧に基づく作品でピアノ音楽に新しい境地をもたらすとともに,標題音楽の理念による交響詩で19世紀後半以降の管弦楽に大きな影響を与えた。
1.生涯
宮廷音楽家の父のもと、5歳にして神童として注目を集める
現在オーストリアのブルゲンラント州に含まれるライディングにリストが生まれた時,この地は,ハンガリー貴族として最大の領地を有しハプスブルク家に忠誠を誓うエステルハージ侯家の領地であった。父親のアーダムは,一時フランシスコ会で修道士を目指したこともあるが,20代の初めよりエステルハージ家の役人となっていた。彼と,オーストリアからやって来た12歳年下の女性アンナ・ラーガーとの結婚で生まれた唯一の子がフランツである。アーダムが侯家のアイゼンシュタットの宮廷で音楽家として仕えていたこともあり,幼いフランツは自然と音楽に親しむ環境に育った。
5歳を過ぎた頃,音楽への天分を自然と示し,ピアノの手ほどきを父親から受けるようになると急速に才能を開花させ,神童として周囲の注目を浴びるようになる。父親も息子の音楽家という天職への道に希望を託し,その実現のために手を尽くした。1820年(9歳)に公開演奏会でデビューし,ハンガリーの貴族たちからの援助によって専門的な音楽の勉強を続けられる見込みを得た息子のために,一家は22年,ウィーンへと移る。
ウィーンに滞在した1年余りの間リストはピアノをチェルニーに,作曲の基礎知識をサリエーリから学ぶ。彼の演奏はウィーンでも大きな反響を呼んだ。またこの地でのベートーヴェンとの接触は彼に終生の影響を残すものとなる。
12歳でパリ移住、ピアニストとピアノ教師としてのキャリアをスタート
1823年にはさらに広い活躍の場を求めて一家でパリへと移る。当初期待したパリ音楽院への入学は国籍の問題で実現しなかったが,パーエル,レイハという当時の名高い作曲家に学んだ。パーエルの指導のもとに完成させたオペラ《ドン・サンシュ Don Sanche》は24年にオペラ座で上演される。しかしリストが歩んだのはピアノ演奏家としての道であり,フランスのみならずイギリスへも演奏旅行を行った。この少年期の生活の中でドイツ語を失うほどにフランス語が彼の母語となっていく。
1827年に演奏旅行途上で父親が病死すると,母親と2人の生計を支えるためにパリで主にピアノ教師として生活を送ることとなった。そこで貴族のサロンに出入りして,当時のパリの芸術家や知識人たちの間に渦巻くロマン主義の息吹に触れることは,彼の芸術家としての成長に大きな影響を与える。ベルリオーズ,ショパン,F.ヒラーらは将来にわたって彼の音楽上の同志となり,アルフォンス・ド・ラマルティーヌ,ユゴー,ジョルジュ・サンドらの文学者は哲学的とさえいえる影響を与えた。またサン・シモン主義の思想に触れ,自由主義のカトリック思想家ラムネー師に傾倒したことが彼の社会的意識を明確に目覚めさせる。一方,32年に接したパガニーニのヴァイオリンの演奏は彼に大きな衝撃を与え,ピアノ演奏技術の究極の可能性を追求することを通して精神的超越の芸術を創造することが,音楽家としての課題となった。
ジュネーヴで教授職とピアノ曲の作曲に励む生活を経てコンサート・ピアニストに復帰
パリでの生活に転機をもたらすのは,6歳年上のマリー・ダグー伯爵夫人と1832年末に出会ったことである。恋愛関係となった2人は,マリーの妊娠をきっかけに35年にスイスへとひそかに逃れ,1カ月にわたるアルプス地方を含むスイス一周旅行を経てジュネーヴに居を構えた。この地で設立されたばかりの音楽院の教授に迎えられるが拘束性の強い契約ではない。39年まで2人は,短いパリ滞在を除き主にスイス,イタリアで居を変えながら過ごした。この時代の経験によって書かれたピアノ曲群は後の改訂を経て《巡礼の年 Années de pèlerinage》第1巻スイス(1848-55),第2巻イタリア(1838-61)としてまとめられる。この時期に3人の子供が生まれ,次女のコージマ(・ヴァーグナー)はビューローとの結婚,次いでヴァーグナーとの2度目の結婚によって音楽史に足跡を残すことになる。
彼が故国として想うハンガリーで1838年4月に大洪水が起こったことが,こうした2人の生活に終止符が打たれるきっかけとなった。この年ウィーンでの義捐(ぎえん)演奏会の成功から,リストは本格的にコンサート・ピアニストの生活に復帰することを望むようになる。翌年11月,マリーは3人の子供を連れてパリに戻り,リストは再度のウィーンでのリサイタルを皮切りに,47年までの8年間にロシア,トルコを含むヨーロッパ中を巡る演奏旅行の生活に入った。この間,リストとマリーとの間の亀裂は大きくなっていき,44年に2人は完全に決別する。ウクライナ演奏旅行中の47年,リストは同地の大地主の相続人であり,キエフの貴族と結婚していたカロリーネ・フォン・ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人と出会い,2人の仲は恋愛関係へと発展する。同年10月から48年初頭までカロリーネの所領にて2人で過ごすことによりリストの大演奏会旅行時代は終わりを告げた。
ワイマールの宮廷楽長に就任、交響詩など多くの管弦楽曲も作曲
1848年,リストはワイマール大公から以前より申し出のあった宮廷楽長の職を受諾し,カロリーネと共にワイマール大公国に定住することとなる。当時大公国の皇太子であったカール・アレクサンダーは,この小国がかつての文化芸術の中心地として輝きを取り戻すことをもくろんでいた。リストはその考えに惹かれ,文化的な宮廷の環境の中でオーケストラを率いて創作活動を行える機会と考える。彼はワイマールでの10年余りの間,管弦楽曲を積極的に書き,自らの曲や他の作曲家の作品を指揮した。その中で,標題音楽の理念を理論付け,この地を拠点に新ドイツ楽派を組織する。
交響詩に代表される管弦楽曲のみならず,全般的に彼の創作が最も充実していたのはこの時期で,ピアノ曲ではソナタ ロ短調(1852-53)がその代表であり,かつて出版したピアノ曲の改訂版や未出版曲の決定稿完成はこの時期に集中している。また声楽曲でも,数十曲の歌曲,大規模な宗教曲《グラーンの聖堂献堂のための荘厳ミサ曲 Missa solennis zur Erweihung der Basilika in Gran》(1856-58,通称:グラーンのミサ)がこの時代の作品である。
この時期リストが最も擁護した音楽家はヴァーグナーである。政治活動から亡命状態にあった彼に手を差し伸べ,1850年には《ローエングリン》をワイマールにて自らの指揮で初演した。しかし,これに象徴されるようなリストの目指す進歩的な方向性や,既婚の貴族女性との同棲という彼自身の私生活は,保守的な気風のワイマール市民との間に緊張関係をもたらす。弟子のコルネーリウスのオペラ作品の上演が観客に妨害された事件をきっかけに彼は59年初頭に宮廷楽長の職を辞し,61年にはローマに定住の地を移した
ローマでは,カロリーネが教皇ピウス9世に出していた離婚の請願が認められ,1860年10月に彼女と結婚する手はずになっていたが,カロリーネの夫側の画策で許可が取り消され,結婚式は前日に中止を宣告される。この不運な結末に59年に長男ダニエルを,62年には長女ブランディーヌを失うという不幸が重なるだけでなく,反・新ドイツ楽派キャンペーンをはじめとして政治的なごたごたも絶えない。リストは心の平穏を求め,65年に剃髪式を受けた後,1年間の修養期間を経て66年に下級聖職者の地位を得た。こうした彼の宗教への指向は,《ミサ・コラリス Missa choralis》(1865完成),オラトリオ《聖エリーザベトの伝説 Die Legende von der heiligen Elisabeth》(1862完成),《キリスト Christus》(1866-72)のような作品を生んだ。
ブダペスト、ワイマール、ローマの三拠点生活と晩年のリスト
1869年,リストはかねてより重ねて打診されていた,ワイマールに戻ってほしいとの大公からの要請を受け入れ,市街地の外れにある緑の公園の中に彼のために用意された家に住むことになる。夏だけの滞在で,以前のような宮廷楽長の責務はなく,自由な活動に充てて良いという条件であった。
71年にハンガリーの王室顧問の地位に迎えられると春はブダペスト,夏はワイマール,秋から冬はローマという,「三叉に分かれた生活 la vie trifurquée」と自ら呼ぶ生活を送るようになる。このリズムの中,ブダペストとワイマールでの生活では教育的な活動に多くのエネルギーが割かれる。何百人というピアニストが彼の教えを乞うために集まっただけではなく,グリーグ,マスネ,アルベニス,ボロディンなど,様々な国の若い作曲家たちが彼の知遇と助言を得るために面会を求めて来た。
尊敬を集め多忙な生活の裏で,晩年の彼は肉体的にも精神的にも疲弊する。1881年の階段からの落下事故によるけがに,心臓や眼などの疾病が重なった。83年には2歳年下で娘婿でもあるヴァーグナーが亡くなるが,それは自らの死の近さをも実感させたであろう。ピアノ曲《灰色の雲 Trübe Wolken》(1881)やヴァーグナーの追悼のために書かれた《R.W.――ヴェネツィア》(1883)のような晩年の作品の無調に近づく和声法には,その醸し出す不気味さに晩年の陰鬱や死の影が重ね合わせて見られる一方で,近年ではその前衛性も評価されている。
86年,生誕75年が各地で祝われる年,リストは自ら演奏旅行に赴きイギリス,ベルギー,フランスを訪れる。帰途,バイロイトに寄ってコージマのもとを訪れ,既に悪化していた健康状態を押して《トリスタンとイゾルデ》のバイロイト初演に出席した。終演後に肺炎で寝込み,6日後の1886年7月31日の夜に亡くなった。
2.作品
リストの作品の全貌は決して自明ではない。LW番号(3. に後述)の数字に依拠すれば,完成した764の作品は,多寡を問わなければ当時の1人の作曲家が書く創作ジャンルのほぼ全種に及び,その中には例えば,あまり顧みられることのない20曲余りの室内楽も含まれている。全作品に実際に触れられるようになるにつれ,彼の音楽についての見方も時代とともに変化するであろう。
ピアノ
ピアノ音楽は全作品の中であらゆる意味で最も重きをなしており,独奏だけの作品に限っても,完成された作品の半数を占める。ピアノ曲は大別して2つの系列に分かれる。1つの系列がオリジナルな楽曲で,《超絶技巧練習曲集 Études d’exécution transcendante》のような通常は技巧のためと見られる作品,《巡礼の年》のような標題的作品,形式的に大規模なソナタ ロ短調にまたがる。これらの多様な作品群は,相互に入り組んだ関係を持っており,それぞれに形式上,和声上の大胆な革新が見られる。もう1つの系列は他人の曲を基にしたもので,さらに技巧上の効果を狙った自由な変奏(主にパラフレーズの名で呼ばれる)の系列と,原曲に忠実な編曲(トランスクリプション)の系列に分かれる。
ピアノとオーケストラのための作品では2曲のピアノ協奏曲が有名だが,1989年に新発見として発表された未完のピアノ協奏曲を含め13曲ある。鍵盤楽曲にはまた,彼の宗教的な側面を象徴するようにオルガン曲が40曲以上ある。
管弦楽
管弦楽曲は,彼の音楽史上の貢献においてピアノ曲と並ぶもう1つの柱である。約40曲のうちほとんどが,1847年からのワイマール宮廷楽長時代に作曲された。特に彼の標題音楽の理念を具現化する13曲の交響詩は,次世代のロシア,ドイツ,オーストリア,フランスの作曲家たちの管弦楽創作に決定的な影響を与えた。標題音楽そのものの美学的評価が20世紀に次第に低下していく中で,これらの作品の歴史的重要性も過小評価されがちであったが,その形式的な先見性と共に近年その見直しが計られつつある。
声楽
声を伴う作品のうち舞台作品は最も手薄の部分で,完成したオペラ作品は10代半ばに書いた1曲のみである。語りと伴奏のためのジャンルであるメロドラマの6曲では大胆な実験を行っている。宗教声楽曲は合唱曲が60曲以上,独唱曲が10曲あり,合唱曲のうち10曲は管弦楽を伴う。このジャンルは彼の創作においてピアノ曲,管弦楽曲と並ぶ3本目の柱ともいうべきもので,2曲のオラトリオ,5曲のミサ曲などは全作品の代表作と言っても過言ではないが,いまだ再評価の途上にある。世俗合唱曲は50曲以上で17曲が管弦楽を伴い,宗教曲に劣らぬ豊かさを持っている。
100曲近い歌曲はドイツ歌曲,フランス歌曲にまたがるだけでなく,イタリア語,ハンガリー語,ロシア語を歌詞に用いるもの,複数の言語で歌う可能性を考慮して作られたものもあり,言語の表層の拘束性から自由に発想されている。
3.楽譜,資料,文献
彼の全作品について,主題付きの完備した作品目録は未出版で,楽譜の全集版も完結していないことが,その全貌を知るための障害となっている。作品目録としてはペーター・ラーベ(1931,最終改訂68),ハンフリー・サール(1954,最終改訂85)のものがこれまで一般的に用いられ,それぞれR番号,S番号を与えている。また,《ニュー・グローヴ音楽事典》第2版(2001)の「リスト」の項目に付された,マリア・エックハルトとリーナ・チャーニン・ミュラーの作品表はその後の新情報に基づいたもので,そこで用いられているLW番号(E/M番号とも呼ばれる)が整理番号として普及しつつある。これを核にした主題付き全作品目録の作成も進行中で刊行が待たれている。しかし現段階のLW番号も,作品を網羅しきれてはおらず,マイケル・ショートとレスリー・ハワードにより2004年に出版された《リスト作品目録 Ferenc Liszt: List of Works》はそこに含まれない作品や新情報を追加している。
批判的校訂による楽譜全集の企画は,ハンガリーのEMB社で国家的事業として1970年に開始され,2011年に全9シリーズのうち独奏ピアノ作品を扱う最初の2シリーズが補遺を含め全57巻で完結した。重要なピアノ曲については,その間に出版されたヘンレ原典版の批判校訂版が新しい情報に基づくこともある。他のジャンルの作品については,種々の企画で個別に新版が出されたものを除けば,1907-36年にブライトコプフ・ウント・ヘルテルから出版され37巻で未完のまま終わった旧全集版に頼るしかない。これは全作品のおおよそ3分の2を包含する。
リストの著作は1830年代より同時代に大きな影響を与え,その晩年に6巻,8冊にまとめられ出版されたが,それに綿密な校訂と注釈を施した全9巻の《全著作集 Sämtliche Schriften》(1989- )がデートレフ・アルテンブルクを編集主幹に刊行中である。
書簡は1893-1905年に全8巻で出版されたものの他,種々の形を合わせると現在までに6000通以上が出版されているが,いまだ多数の書簡が活字化されていないだけでなく,多くは現代の校訂の水準から見て問題がある。伝記研究では,アラン・ウォーカーの《フランツ・リスト Franz Liszt》全3巻(1983-96)が金字塔的存在である。20年以上にわたる一次資料調査・現地調査に基づく2000ページ近いこの大著は,従来の伝承に含まれていた数々の誤りを正し,多くの未発見の事実を発掘しながらリストの全体像を提示した。日本語の書籍では福田弥《リスト》(2005,作曲家・人と作品シリーズ)が,ウォーカー以降の最新の研究成果をも取り入れながら,伝記と作品概説をコンパクトにまとめた最良のものである。主題作品目録や全集版の不備に起因する総合的な情報不足を埋める役割を果たしているのがマイケル・サッフルによる網羅的な文献ガイド《フランツ・リスト――研究と情報ガイド Franz Liszt: A Research and Information Guide》(初版:《Franz Liszt: A Guide to Research》1991)で,2009年第3版では1600余りの資料を解題付きで紹介し,専門的な最新情報を入手するために不可欠な手引きとなっている。雑誌論文の形で20ページにわたってその後2年分の情報も追加された(《Notes》2011年6月号)。
リストの主要作品
LWはエックハルトとミュラー,Sはサールによる目録で与えられた作品番号(両者ジャンル別分類内で年代順)
【オペラ】
《ドン・サンシュ》 LW-O1 S1 1824初演
【交響曲】
3人の性格描写によるファウスト交響曲 LW-G12 S108 第1稿(orch) 1854-57, 第2稿(T, 男声cho, orch) 1861 ; ダンテ《神曲》による交響曲 LW-G14 S109 1855-56
【交響詩】
人,山上にて聞きしこと LW-G1 S95 1847-56 ; タッソ――嘆きと凱旋 LW-G2 S96 1847-54 ; レ・プレリュード LW-G3 S97 1849-55 ; 英雄の葬送哀歌 LW-G4 S102 1849-50改訂54-56 ; プロメテウス LW-G6 S99 1850-55 ; マゼッパ LW-G7 S100 1851-54 ; オルフェウス LW-G9 S98 1853-54 ; 祝宴の響き LW-G10 S101 1853-61 ; ハンガリー LW-G13 S103 1854 ; 理想 LW-G15 S106 1856-57 ; フン族の戦い LW-G17 S105 1857 ; ハムレット LW-G22 S104 1858 ; 揺り籠から墓場まで LW-G38 S107 1881-82
【管弦楽曲】
ドイツ凱旋行進曲《巌から海へ》 LW-G11 S358 1853? ; レーナウ《ファウスト》から2つのエピソード LW-G16 S110(1.夜の行列 2.村の酒場の踊り《メフィスト・ワルツNo.1》) 1857-61 ; ハンガリー狂詩曲 LW-G21 S359(6曲)[同名のピアノ曲より14,12,6,2,5,9をアルベルト・ドップラーが編曲,リストが修正・認可] 1857-60 ; 3つの葬送のオード LW-G25 S112(1.死者たち 2.夜 3.タッソの葬送的凱旋) 1860-66 ; ハンガリー突撃行進曲 LW-G35 S119 1875 ; メフィスト・ワルツNo.2 LW-G37 S111[同名のピアノ曲および4hds曲を基にしている] 1880-81 【ピアノ協奏曲】 No.1 Es LW-H4 S124 1835-56 ; No.2 A LW-H6 S125 1839-61 ; Es[遺作] LW-Q6 S125a 1835-39 ; 死の舞踏 LW-H8 S126 1847-62? ; ベートーヴェン《アテネの廃墟》による幻想曲 LW-H9 S122 1848-52 ; ハンガリー民謡に基づく幻想曲 LW-H12 S123 1849-52 ; 《さすらい人幻想曲》[シューベルトによる] LW-H13 S366 1851
【室内楽曲】
哀歌 : No.1 S130 第1稿 LW-D13a(p, hp, harm) 1874?, 第2稿 LW-D13b(vc, p) 1875, 第3稿 LW-D13c(vn, p) 1876, No.2 LW-D14 S131(vn/vc, p) 1877-78 ; 二重奏曲[ソナタ,ショパンのマズルカop.6-2による] LW-D3 S127(vn, p) 1835 ; 《イタリアのハロルド》[ベルリオーズによる] LW-D5 S472(va, p) 1836-50代
【ピアノ曲】
バラード : No.1 LW-A117 S170 1845-49, No.2 LW-A181 S171 1853 ; 哀歌 : No.1 LW-A266 S196/195a 1874, No.2 LW-A277 S197 1877 ; 巡礼の年 : 第1巻スイス LW-A159 S160(1.ウィリアム・テルの聖堂 2.ヴァレンシュタットの湖で 3.パストラル 4.泉のほとりで 5.雷雨 6.オーベルマンの谷 7.牧歌 8.ノスタルジア 9.ジュネーヴの鐘) 1848-55, 第2巻イタリア LW-A55 S161(1.婚礼 2.物思いに沈む人 3.サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ 4.ペトラルカのソネット47番 5.ペトラルカのソネット104番 6.ペトラルカのソネット123番 7.ダンテを読んで[ソナタ風幻想曲]) 1838-61, 第2巻補巻ヴェネツィアとナポリ LW-A197 S162(1.ゴンドラの歌 2.カンツォーネ 3.タランテラ) 1859, 第3巻 LW-A283 S163(1.アンジェルス! 2.エステ荘の糸杉[I] 3.エステ荘の糸杉[II] 4.エステ荘の噴水 5.人の世に注ぐ涙あり――ハンガリーの旋法で 6.葬送行進曲 7.心を高めよ) 1877-82 ; メフィスト・ワルツ : No.1《村の酒場の踊り》 LW-A189 S514 1856-61, No.2 LW-A288 S515 1878-81, No.3 LW-A325 S216 1883, No.4 LW-A337 S696 1885 ; ラ・ロマネスカ LW-A14 S252a 第1稿1832-33, 第2稿52頃 ; 幻 LW-A19 S155(3曲) 1834 ; 半音階的大ギャロップ LW-A43 S219 1838 ; 舞踏会のギャロップ LW-A64 S220 1840 ; お気に入りの小ワルツ[サンクトペテルブルクの思い出] 第1稿 LW-A84a S212 1842, 第2稿 LW-A84b S212 1843, 第3稿《即興的ワルツ》 LW-A84c S213 1850-52 ; ナポリ風カンツォーネ LW-A85 S248 1842 ; 3つの夜想曲《愛の夢》 LW-A103 S541[同名の歌曲より編曲] 1843-50 ; コンソレーション LW-A111 S172(6曲) 1844-50 ; スペインの旋律に基づく演奏会用大幻想曲 LW-A114 S253 1845 ; 3つの演奏会用練習曲 LW-A118 S144(1.悲しみ As 2.軽やかさ f 3.ため息 Des) 1845-49 ; ギャロップ a LW-A119 S218 1846 ; ハンガリー狂詩曲 LW-A132 S244(1.cis 2.cis 3.B 4.Es 5.英雄の哀歌 e 6.Des 7.d 8.fis 9.ペシュトの謝肉祭 Es 10.E 11.a 12.cis 13.a 14.f 15.ラーコーツィ行進曲 a 16.a 17.d 18.cis 19.d) 1846-85 ; ヴォロニンスの落ち穂拾い LW-A143 S249(1.ウクライナのバラード[ドゥムカ] 2.ポーランドの旋律[ショパン《乙女の願い》と同旋律] 3.哀歌[ドゥムカ]) 1847 ; ロマンス LW-A148 S169 1848 ; 詩的で宗教的な調べ[第3稿] LW-A158 S173(1.喚起 2.アヴェ・マリア 3.孤独の中の神の祝福 4.死者の追憶 5.主の祈り 6.眠りから覚めた子供の賛歌 7.葬送[1849年10月] 8.パレストリーナのミゼレレ 9.アンダンテ・ラグリモーソ 10.愛の賛歌) 1848-53 ; 演奏会用大独奏曲 LW-A167 S176 1849-50 ; 華麗なるマズルカ LW-A168 S221 1850 ; 3つの気まぐれなワルツ S214(1.華麗なワルツ B LW-A32b, 2.憂鬱なワルツ E A57b, 3.華麗な大ワルツ A A88b) 1850-52 ; スケルツォと行進曲 LW-A174 S177 1851 ; 超絶技巧練習曲集 LW-A172 S139(1.前奏曲 C 2.a 3.風景 F 4.マゼッパ d 5.鬼火 B 6.幻影 g 7.英雄 Es 8.死霊の群れ c 9.回想 As 10.アレグロ・アジタート・モルト f 11.夕べの調べ Des 12.吹雪 b) 1851[4の初稿S138は1840]; ソナタ h LW-A179 S178 1852-53 ; 子守歌 LW-A186 S174 1854-62 ; スペイン狂詩曲[スペインのフォリアとホタ・アラゴネーサ] LW-A195 S254 1858 ; レーベルトとシュタルクのピアノ教則本のためのアヴェ・マリア[ローマの鐘] LW-A215 S182 1862 ; 2つの演奏会用練習曲 LW-A218 S145(1.森のざわめき 2.グノームの輪舞) 1862 ; 2つの伝説 LW-A219 S175(1.小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ 2.波の上を渡るパオラの聖フランチェスコ) 1862-63 ; 5つのハンガリー民謡 LW-A263 S245 1873 ; クリスマス・ツリー LW-A267 S186(1.昔のクリスマス 2.おお,聖なる夜[古い旋律に基づくクリスマスの歌] 3.飼い葉桶のそばの羊飼いたち 4.東方の三博士の行進曲 5.クリスマス・ツリーのろうそくに火をともして 6.カリヨン 7.子守歌 8.古いプロヴァンスのクリスマスの歌 9.夕べの鐘 10.昔 11.ハンガリー風に 12.ポーランド風に) 1874-76[7は改訂79-81]; 瞑想 LW-A280 S204 1877 ; 忘れられたロマンス LW-A299 S527 1880 ; 揺り籠の歌 LW-A303 S198 1881 ; 灰色の雲 LW-A305 S199 1881 ; 忘れられたワルツ LW-A311 S215(4曲) 1881-84 ; 不吉な星 LW-A312 S208 1881 ; 死のチャールダーシュ LW-A313 S224 1881-82 ; メフィスト・ポルカ LW-A317 S217 1882-83 ; 悲しみのゴンドラ LW-A319 S200 1882-85 ; R.W.――ヴェネツィア LW-A320 S201 1883 ; リヒャルト・ヴァーグナーの墓に LW-A321 S202 1883 ; ハンガリーの歴史的肖像 LW-A335 S205(7曲) 1885 ; 調性の無いバガテル LW-A338 S216a 1885
【他者の楽曲に基づくピアノ独奏曲】
ドニゼッティ《ランメルモールのルチア》の回想 LW-A22 S397 1835-36 ; マイヤベーア《ユグノー教徒》の主題による大幻想曲 LW-A35 S412 1836-42 ; 音楽の夜会[ロッシーニによる] LW-A36 S424(12曲) 1837 ; ベートーヴェンの交響曲 LW-A37c S464(9曲) 1863-64[No.3の初稿A37aおよびNo.5-7の初稿A37bは1837]; ヘクサメロン――ベッリーニ《清教徒》の行進曲に基づく華麗なる大変奏曲 LW-A41 S392[タールベルク,ヨハン・ペーター・ピクシス,エルツ,チェルニー,ショパンとの合作] 1837-38 ; パガニーニによる超絶技巧練習曲 LW-A52 S140(6曲) 1838-40 ; ベッリーニ《ノルマ》の回想 LW-A77 S394 1841 ; モーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》の回想 LW-A80 S418 1841 ; ロシアの2つの旋律[アラベスク] LW-A86 S250(1.夜鳴きうぐいす 2.ボヘミアの歌) 1842-43? ; ウィーンの夜会[シューベルトによるヴァルス・カプリス] LW-A131 S427(9曲) 1846-52 ; シューマン《献呈》 LW-A133 S566 1846-60代? ; マイヤベーア《預言者》のイラストレーション LW-A165 S414(3曲) 1849-50 ; パガニーニ大練習曲 LW-A173 S141(6曲)[3番が《ラ・カンパネッラ》] 1851 ; ヴェルディ《リゴレット》演奏会用パラフレーズ LW-A187 S434 1855? ; バッハ《泣き,嘆き,憂い,おののき》前奏曲 LW-A198 S179 1859 ; ヴァーグナー《さまよえるオランダ人》から紡ぎ歌 LW-A204 S440 1860 ; グノー《ファウスト》からワルツ LW-A208 S407 1861 ; ヴァーグナー《タンホイザー》から巡礼の合唱 LW-A210 S443 1861 ; バッハ《泣き,嘆き,憂い,おののき》と《ミサ曲ロ短調》のクルチフィクススのモティーフによる変奏曲 LW-A214 S180 1862 ; ヴァーグナー《トリスタンとイゾルデ》からイゾルデの愛の死 LW-A239 S447 1867 ; チャイコフスキー《エヴゲニー・オネーギン》からポロネーズ LW-A293 S429 1879
【オルガン曲】
コラール《アド・ノース,アド・サルターレム・ウンダム》による幻想曲とフーガ LW-E1 S259(org/ペダルp) 1850 ; バッハの名による前奏曲とフーガ LW-E3 S260 第1稿1856, 第2稿70 ; システィーナ礼拝堂の想起 LW-E15 S658(org/harm/ペダルp) 1862-65 ; 祈り LW-E32 S265(org/harm) 1879 ; オルガンのためのミサ曲 LW-E33 S164 1879 ; 聖フランチェスコ[太陽賛歌のための前奏曲] LW-E35 S665 1880 ; オルガンのためのレクイエム LW-E39[レクイエムJ22を縮小・編曲] S266 1883
【オラトリオ】
聖エリーザベトの伝説 LW-I4 S2 1857-62 ; キリスト LW-I7 S3(第1部 クリスマス・オラトリオ 第2部 公現祭後 第3部 受難と復活) 1866-72
【管弦楽付き宗教的合唱曲】
グラーンの聖堂献堂のための荘厳ミサ曲 LW-I2 S9 1855-58 ; 詩編13 LW-I3 S13 第1稿1855-58, 第2稿59-63 ; 聖フランチェスコの太陽賛歌 LW-I8 S4 第1稿(cho, p, org/harm)1862, 第2稿(cho, orch, org)1879-82 ; ハンガリー戴冠式ミサ曲 LW-I9 S11 1866-69
【宗教的合唱曲】
男声4声のためのミサ曲 LW-J5 第1稿 S8-1 1846-47, 第2稿 S8-2 1869 ; ミサ・コラリス LW-J18 S10 1859-65 ; レクイエム[死者のためのミサ曲] LW-J22 S12(cho, orch, 任意の金管) 1868 ; 十字架への道 LW-J33 S53(cho, org/p) 1876-79 ; 枯れた骨よ LW-J38 S55(男声ユニゾン, org/pの4hds) 1879z
【世俗的合唱曲】
芸術家に寄す LW-L9 S70 第1稿1853, 第2稿53-54, 第3稿56-57
【歌曲】
ライン川,その美しい流れに LW-N3 第1稿 S272-1 1840, 第2稿 S272-2 1855 ; ローレライ LW-N5 第1稿 S273-1 1841, 第2稿 S273-2 1854-59, 第3稿 S369(1声, orch) 1860 ; ミニョンの歌 LW-N8 第1稿 S275-1 1842, 第2稿 S275-2 1854, 第3稿 S275-3 1860, 第4稿 S370(1声, orch) 1860 ; トゥーレに王がいた LW-N9 第1稿 S278-1 1842, 第2稿 S278-2 1856 ; 天から来りし御身 LW-N10 第1稿 S279-1 1842, 第2稿 S279-2 1849, 第3稿 S279-3 1860, 第4稿 S279-4 1870 ; おお,私がまどろむ時 LW-N11 第1稿 S281-1 1842, 第2稿 S282-2 1849 ; ペトラルカの3つのソネット LW-N14(1. 104番 2. 47番 3. 123番) 第1稿 S270-1 1842-46, 第2稿 S270-2 1864-82 ; 愛の夢 LW-N18(1.至高の愛 S307 2.われ死せり S308 3.おお,愛し得る限り愛せ S298) 1843-50 ; 君は花のようだ LW-N19 S287 1843-49 ; 僕の歌には毒がある LW-N29 S289 1844-49 ; 私は死にたいのです LW-N31 S296 1844-56? ; シラー《ヴィルヘルム・テル》から LW-N32(1.漁師の子供 2.羊飼い 3.アルプスの狩人) 第1稿 S292-1 1845, 第2稿 S292-2 1850代, 第3稿 S372(1声, orch) 1855 ; 風がざわめく LW-N33 第1稿 S294-1 1845, 第2稿 S294-2 1849? ; 涙と共にパンを食べたことのない者は LW-N34 第1稿 S297-1 1845, 第2稿 S297-1 1859, 別稿 S297-2 1849 ; 静かに響け,わが歌よ LW-N42 第1稿 S301-1 1848, 第2稿 S301-2 1849-60 ; 全ての頂に憩いあり LW-N46 第1稿 S306-1 1848, 第2稿 S306-2 1859 ; 素晴らしいことに違いない LW-N49 S314 1852 ; あなたを愛す LW-N52 S315 1857 ; 3人のロマ LW-N62 第1稿 S320 1860, 第2稿 S374 1860 ; 漁師の娘 LW-N65 S325 1871 ; マルリンクの鐘 LW-N69 S328 1874Liszt
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