本を読みたい気分が蘇った映画『ドライブ・マイ・カー』と『ワーニャ伯父さん』
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...
『ドライブ・マイ・カー』で主人公が読み上げる『ワーニャ伯父さん』のセリフ
ものすごくわたくしごとながら、実は去年の10月ごろから、本を読みたいという気持ちが消え去るという、謎の現象が続いていました。
普段、海外出張や年末年始には何かしら本を仕込んで一気に読むというのに、読みたい気分がすっかり枯れている。仕方がないので、普段ならゆったり読書していたような時間には、編み物をしたりアニメ『あしたのジョー』を見たりして過ごしていました。ある時、そのことを先輩の書き手の方に相談したら「……まあ、そのうちふと戻ってきますよ」と言われて、ずいぶん安心したものです。
とはいえそれが4か月ほど続き、書く仕事をする人間としていよいよまずいんじゃないかと思っていたとき、それは戻ってきました。
きっかけは、『あしたのジョー』を見たあとなぜかおすすめにあがってきた映画『ドライブ・マイ・カー』を観たこと(サッパリ関連性がないのになぜおすすめに出てきたのかは、いまだにわかりません)。
映画『ドライブ・マイ・カー』のトレイラー
そして映画を観た後に私が読みたいなぁと思ったのは、(未読だった)村上春樹さんの原作の小説ではなく、チェーホフの戯曲『ワーニャ伯父さん』のほうでした。映画の主人公の俳優・舞台演出家である家福悠介(演じているのは西島秀俊さん)が、劇中でそのセリフをたびたび読み上げ、また劇中劇として上演される演目です。
名作なのにそういえば読んでいなかったと思い、読み始めると、面倒くさいワーニャ伯父さんの発言が、決して器用に生きられているとはいえない自分にいちいち突き刺さってくるという。あと15年若い頃に読んでいたら、こういう感想は持たなかったかもしれない……。ちなみに映画の直後に読み始めたせいで、セリフが西島さんの声で脳内再生され続けました。
チェーホフ作品の面倒くさくて愛すべき登場人物たち
ところでチェーホフの作品には、このての人生絶賛後悔中の男がよく出てきますね。音楽がらみの短編でいうと『ロスチャイルドのヴァイオリン』の主人公で、頼まれ仕事で時々ヴァイオリンを弾く老人、ヤコブもその一人。
機嫌のいいことがほとんどないヤコブは、自分がやらなかったこと、起こり得たのに起きなかったことで生じたはずの利益を、“損失”ととらえて生きています。
とにかく後ろ向きなんだけれど、その中である日たどり着く考えのひとつが「おそろしい損失だ! もし憎しみや憎悪がなければ、人は互いに莫大な利益をうるはずではないか」っていうのがなんだか良い。マイナス思考が突然、美しい思想を生み出すねじれの瞬間。
さらに病にかかったヤコブが、“死ねば損失は何も出ない、この世に未練もない、しかし自分が死んだらこのヴァイオリンがみなしごになってしまう!”と胸を痛める場面。この不機嫌なじいさんに一気に親近感を覚え、いいものです。
面倒くさい登場人物に愛着を感じずにいられない、チェーホフの作品。時々彼らが音楽への愛着を語るくだりが出てくるのも、音楽好きにとっては親しみやすいですね。
ちなみに『ワーニャ伯父さん』以降、私の読書欲は無事に戻り、継続しています。よかった。
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