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2023.07.30

音メシ!作曲家の食卓#7 ショパンがパリの最高級店で同郷の友と堪能した魚料理

歴史料理研究家の遠藤雅司さんが、作曲家をその食卓からクローズアップ。毎回、実際に再現したレシピもご紹介します。人間の根源的な欲求=食のエピソードからは、大作曲家の人間くさい一面が見られるかも!?

遠藤雅司(音食紀行)
遠藤雅司(音食紀行)

歴史料理研究家。国際基督教大学教養学部人文科学科音楽専攻卒。2013年から世界各国の歴史料理を再現するプロジェクト「音食紀行」をスタートさせ、実食イベントやレストラン...

イラストー駿高泰子

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ショパンの少年時代

フレデリック・ショパンは 1810 年3月1日、ポーランドの首都ワルシャワから西へ 50km ほど離れた村、ジェラゾヴァ・ヴォラに生まれました。彼は4歳頃から母に鍵盤演奏を習い始め、すぐにその才能を見せ始めました。

6歳の頃には、すでに母の腕前を上回っていたので、ヴォイチェフ・ジヴニーに師事するようになりました。ジヴニーは18 世紀のドイツ音楽を愛し、バッハ、ハイドン、モーツァルトの音楽をレッスンの基本に据えて教えていました。ショパンはこの先生の下でその才能を大きく開花させていきました。

初めてショパンが曲を書いたのは7歳の時。ポーランド人の民俗舞曲である「ポロネーズ」を2曲作り、ワルシャワの貴族界に知られる存在となりました。

ショパンの少年時代は飾らない性格でユーモア精神に溢れ、即興演劇を披露する陽気さも備えていたようです。好奇心旺盛で活発な少年でもあり、多くの友人に恵まれました。その一方、身体は弱く、毎日薬を飲む生活を余儀なくされ、学校が休みの時には湯治に出掛けるなどしています。

湯治先で食べたジンジャーブレッド

ショパンが 16歳の時に味わっていたものが当時の友人に宛てた手紙に残っています。体調が優れなかった1826 年の夏、妹のエミリアと共に当時プロイセン領だったライネルツ(現在のドゥシニキ・ズドルイ)に滞在し、鉱泉治療を行ないました。

ライネルツの療養浴場

ショパンは、朝はこの地方の水とホエー(牛乳から乳脂肪分等を取り除いたもの)を飲み、昼食の後、ライネルツのしょうが菓子パン(ジンジャーブレッド)を食べていたそうです。

1826年9月、ショパンはワルシャワの中央音楽学校に編入し、父親の教育方針によって音楽のみならず、ラテン語、ギリシャ語、数学、科学の勉強でも優秀な成績を収めました。

1829年7月、ワルシャワの中央音楽学校を卒業したショパンの創作活動は続いていきます。ポーランド国内の政治情勢が不安定な中、ショパンは「マズルカ」や「ポロネーズ」、そして「ピアノ協奏曲」を作曲。満を持して 1830年3月17日にワルシャワでの正式なデビューとなるコンサートを催し、大成功を収めました。

ショパンが作曲家兼ピアニストとして、ヨーロッパ全域にわたる成功をものにできるのではという希望を抱いた瞬間でした。

ショパンの肖像画(1829)
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パリの最高級レストランでショパンが選んだメニュー

そんなショパンがパリの最高級レストランで、極上のフランス料理を友人たちと味わっている描写があるので紹介します。

時は1837年6月。ポーランドの作曲家ユゼフ・ブジョフスキがワルシャワへ発つ前に、ショパンがワルシャワで学生だったころからの親友であるヤン・マトゥシンスキと3人で、モントルグイユ通りにあるパリ最高級レストラン、ロシェ・ドゥ・カンカルでディナーをとっています。

ポーランドの作曲家ユゼフ・ブジョフスキ(1805-1888)
ポーランドの医師で、ワルシャワとパリでショパンの親友だったヤン・マトゥシンスキ(1808-1842)

ブジョフスキの詳細な記録をここに引用しましょう。

メニューブックはエレガントで薄く、パリがグルメに提供できる洗練の極みの料理のすべてがひとまとめに載っていて、我々は検討と話し合いを余儀なくされた。

 

最終的にはショパンにすべてを任せる選択権を与えることにした。彼は我々の食べたいものを書き出し、待っていたギャルソンに手渡した。ほどなく料理が運ばれてきた。

 

まずは牡蠣、最高! 次にスープ、ジビエのクリームスープ、素晴らしい!  次はマトロート(魚のシチュー)、秀逸。ネクター(訳者註:ギリシャ神話にある神々の飲み物)に匹敵するこの料理の素晴らしい食感と絶妙な味わいは、これこそがまさにロシェ・ドゥ・カンカルならではの料理だと、誇り高く宣言しているかのようだった。

 

次の料理はアスパラガスで称賛の域を超えていた。

ロシェ・ドゥ・カンカルは、1804年にアレクシ・バレーヌがパリの中央市場に開いたレストランで、19世紀のパリの高級レストランの中でも特に有名店でした。

オーナーのバレーヌは、中央市場の牡蠣売りでしたので、魚と牡蠣の料理の評判が特に際立っていました。

ロシェ・ドゥ・カンカルの外観
左:1907年の写真/右:現在の写真 ©Tom Ackroyd

ショパンが選んだ料理は次の4品です。

1.牡蠣 

2.ジビエのクリームスープ 

3.マトロート(魚のシチュー) 

4.アスパラガス 

最初にこのレストランで絶賛されていた牡蠣が出されています。魚料理もパリ随一の評価ですので、ショパンの料理の選択も、ロシェ・ドゥ・カンカルならではと言えるでしょう。なお、ジビエのスープは別の資料で鹿肉との記述もありました。

19世紀の料理書によくある魚のシチュー

今回は、この中から、マトロート(魚のシチュー)を紹介します。

この料理は19世紀の料理書にレシピが色々と残されており、例えばショパンと同年に生まれ、七月革命の影響でイギリスに亡命したフランス人料理人、アレクシ・ブノワ・ソワイエが1846年に著した『美食学の再生者』にも記されています。

マトロートの原意は「水夫風」と、1674年のフランス語の辞書で明記されており、転じて「魚のワイン煮込み」という意味を持ちます。水夫が調理した方法がワイン煮だったのでしょう。

魚は一尾でも複数でもよく、地域によって淡水魚または海水魚の指定があります。ワインも地域によって、赤や白、ロゼワイン、シェリー酒などが挙げられます。

本書のレシピでは、“Turbot en Matelote vierge”とあり、テュルボの「乙女の船乗り風」とも「処女航海の船乗り風」とも意味を解釈することができます。今回は、こちらを用いましょう。

No.209 テュルボのマトロート(乙女船員風あるいは処女航海風)

テュルボ(イシビラメ)を先掲の方法*であらかじめゆでておき、布は使わず皿にとっておく。

 

次いでソースの準備にかかる。タマネギ2個をできるだけ細かく微塵切りにし、鍋にシェリー酒4カップ、4つに切ったテュルボ、クローヴ2片、メース**1枚、挽いたナツメグ少々、パセリ少々、ローリエ1枚を入れる。

 

鍋を火にかけ5分茹で、レシピ7のホワイトソースを1クォート加えてさらに20分間、絶えずかき混ぜながら煮たら、別の空の鍋を用意してその上に裏濾し器を置き、煮たもの全体を裏濾し器にあけてソース部分を流し、魚の骨を外して身の部分を濾す(ソースの中でスプーンを2本使って濾してゆく)。

 

次いで1/2パイントの肉煮汁を加えて再び火にかけ、全体が煮詰まってくるまで煮る。それぞれ小さじ1杯ほどの塩と砂糖、レモン1個分の絞り汁を加え、仕上げに泡立てたクリーム1/2パイントを入れてすばやく全体をかき混ぜ、魚にかける。

 

小魚類と、卵をくぐらせパン粉をつけて揚げた牡蠣数個を飾って出す。小魚類にはシシャモを使ってもよい。

 

*この料理書のNo.203にテュルボのゆで方のレシピがある。テュルボをまず塩とレモンで水洗いし、水に浸した後、鍋に水と塩を加えて20分ほど弱火でゆでる。
**メースはニクズクの種子のまわりを覆っている網目状の赤い皮=仮種皮を指す。(音メシ!作曲家の食卓#1 ベートーヴェン~ドナウ川の魚を偏愛した「魚喰い」を参照)

「最高!素晴らしい!秀逸!」と料理が来るたびにブジョフスキが絶賛しており、ショパンも楽しい時間を過ごせたのではないでしょうか。評判通りの牡蠣と魚料理を堪能した作曲家たちの姿が、ありありと目に浮かぶようです。 

1837年は、ショパンが『超絶技巧練習曲集』の第2稿を完成させた友人リストやタールベルク、チェルニーらとの共作《ヘクサメロン》や最初の即興曲などを仕上げたほか、葬送行進曲で有名な「ピアノ・ソナタ第2番」の作曲に着手した年でもあります。

パリ随一のピアノメーカー、プレイエルの社主と意気投合して成功を収めていったショパンのことですから、一流料理店で味わった味覚の喜びもまた、パリの音楽通たちを唸らせる音楽へと昇華されていったに違いありません。

【音メシ!ショパンの食卓】テュルボ(イシビラメ)のマトロート(乙女船員風あるいは処女航海風)

【材料】(4人分)

タマネギ                            2個

赤ワイン                           200ml   

ヒラメ                                320g(4切れ)

クローヴ                            2本

メース                                小さじ1/2

ナツメグ                            小さじ1/2

パセリ                                2つまみ

ローリエ                            4枚

塩                                       小さじ1

砂糖                                   小さじ1

レモン果汁                         10ml

 

ホワイトソース          100ml

・牛すじ肉                      100g

・タマネギ                      1/4個

・ニンジン                      1/4本

・メース                       2つまみ

・クローブ                      2つまみ

・イタリアンパセリ  1本

・タイム                          1本

・ローリエ                      4枚

・水                         1,000ml

・チキンストック        150ml(1/2個)

・バター                            100g

・薄力粉                            100g

・塩                                   小さじ1

・マッシュルーム         1個(10g)

・牛乳                                100ml

 

 

【作り方】

1.ホワイトソースを作る。鍋にバター10gを入れ、ぶつ切りにした牛すじ肉、タマネギ、ニンジン、メース、クローブ、イタリアンパセリ、タイム、ローリエを加え、炒めながら水を注ぎ、弱火で20分煮込む。続いて、チキンストックと塩を加えて、煮詰めていく。

2.フライパンにバターを溶かし、薄力粉を加えて10分ほど炒め、火からおろす。1の煮汁を200ml注ぎ、みじん切りにしたマッシュルームと牛乳を加えてさらにもう10分煮こみ、ソースが完成。

3.別の鍋にみじん切りにしたタマネギ、赤ワイン、ヒラメ、クローブ、メース、ナツメグ、パセリ、ローリエを入れ、弱火で5分煮込む。

4.3. の鍋に2. のホワイトソース50mlを加え、弱火でさらに5分煮る。

5.鍋からヒラメを取り出し、ボウルに小さじ1/2の塩と砂糖、レモン果汁5ml、ホワイトソース40mlを入れて混ぜ合わせたものを鍋に注ぎ、弱火で5分煮詰める。

6.お皿に5. の煮汁と取り出したヒラメを盛り付ける。ボウルに小さじ1/2の塩と砂糖、レモン果汁5ml、ホワイトソース40mlを入れて混ぜ合わせたソースをかけて完成。

 

Point

*テュルボ(イシビラメ)の入手が難しいと思われるので、ヒラメやカレイで代用して作るとよい。

*ホワイトソースを作るのが手間と思ったら、水、チキンストック、バター、薄力粉、塩、牛乳だけに簡略化して作るのもOK。

*当時のレシピではシェリー酒を使う指定があるので、入手できたら赤ワインの代わりに使うと再現料理にふさわしい。

遠藤雅司(音食紀行)
遠藤雅司(音食紀行)

歴史料理研究家。国際基督教大学教養学部人文科学科音楽専攻卒。2013年から世界各国の歴史料理を再現するプロジェクト「音食紀行」をスタートさせ、実食イベントやレストラン...

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