名教師カザルス〜弟子たちが語る「チェロの神さま」の教え
スペイン・カタルーニャ生まれ、近代的なチェロ奏法を確立した20世紀を代表するチェロ奏者パブロ・カザルス。2023年は没後50年、3年後には生誕150周年が控えている巨匠が、実は名教師だったことをご存知ですか? 弟子たちの証言から「名教師カザルス」のレッスンを、少し覗いてみましょう。
ショスタコーヴィチをはじめとするロシア・ソ連音楽、マーラーなどの後期ロマン派音楽を中心に、『レコード芸術』『CDジャーナル』『音楽現代』誌、京都市交響楽団などの演奏会...
1973年10月22日、パブロ・カザルスは96歳で世を去った。今年は彼の没後50年にあたる。
カザルスは、チェロの近代的奏法を確立し、バッハの《無伴奏チェロ組曲》の真価を世に知らしめた偉大なチェリストだった。
スペインで独裁的な政治を行ない、反対者を弾圧していたフランコ政権を承認する国ではチェロの演奏をしないことを宣言するなど、平和主義者としての行動もよく知られている。
カザルスが愛奏したカタルーニャ民謡『鳥の歌』。晩年、ニューヨーク国連本部でのスピーチで「私の生まれ故郷カタルーニャの鳥は、ピース、ピースと鳴くのです」と語っている
だが、カザルスを語る上でもうひとつ忘れてはならないのが、教育者としての功績だ。
カザルスは1961年にただ一度来日したが、その目的は、愛弟子平井丈一朗のデビューコンサートを指揮することだった。そしてカザルスは、日本でコンサートのほかにマスタークラスを行い、大きな反響を呼んだ。つまり、カザルスはそもそも教育者として来日したのだ。
となると、カザルスが弟子たちに、どんなことをどのように教えていたのかが気になる。幸いなことに、カザルスに師事した人たちはレッスンの様子やカザルスの助言をたくさん書き残してくれている。それらを読んでみると、教育者カザルスの姿が浮かび上がり、それを通じて、彼の音楽に対する姿勢が見えてくる。
完璧に真似して、そして全部忘れろ!
第二次大戦後、カザルスの最初の生徒となったのは、後にボザール・トリオを創設するチェリスト、バーナード・グリーンハウス(1916-2011)だった。彼はカザルスのレッスンについていろいろなところで話しているが、印象的なのは、バッハの無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調についてのエピソードだ。
カザルスは、とにかく自分の演奏を寸分たがわず模倣するようグリーンハウスに指示した。少しでも違うと、すぐに演奏を止めて直させる。これじゃお粗末な偽カザルスになってしまう、と心配しながらも、彼は師の教えに従い、3週間後、カザルスとまったく同じ指使づかい、ボウイング、フレージングで演奏できるようになった。一緒に弾くと、まるでステレオサウンドのようだった。
「今度はチェロを置いて聴いてください」とカザルスは言って、ひとりで組曲第2番を弾き始めた。グリーンハウスは唖然とした。ボウイングも指づかいも、教わったのとはまるっきり違う。それなのに、この世のものとは思えないほど美しい。弾き終わったカザルスは微笑んで言った。「完璧に練習したら、そのあとは、全部忘れて即興で弾くのです」
このころのカザルスは、他の学生にも同じような教え方をしていたようだ。彼らは、ヴィブラートのかけかた、指の角度、音程の取り方など、これまで学んだことをすべて直された。カザルスが求めたのは、教えたことを完璧に自分のものにしたうえで、それを越えていくことだった。
多くの弟子に有益な助言を与えた名教師
ただ、その後、生徒が増えていくと、次第にカザルスの教え方も変わってきたようだ。特にマスタークラスでは、短い時間の中で、その生徒に必要なことを見抜き、有益な助言を与える必要がある。そのような状況でもカザルスは優れた教師だった。
1961年、来日時のマスタークラスで教えを受けたチェリスト井上頼豊は「カザルスが教えてくれたのは、まったく予期しなかった予想外の指づかいの組み合わせが、すばらしい効果をあげること、それがすべてでした」という。これは、来日の35年後、1996年の回想だが、井上はこのときの40分間のレッスンのことを、「カザルスのレッスンが今も私の原動力になって続いている」とも語っている。
内容だけでなく、生徒に対する姿勢も次第に変化していたようだ。
ピアニストの岩崎淑は、プエルトリコ・カザルス音楽祭に、1964年から4度にわたって参加し、カザルスのマスタークラスで伴奏ピアニストを務めた。
グリーンハウスとは反対に、岩崎は、カザルスは、自分の弾き方を絶対に押しつけなかったと回想している。「参考にしてもいいけれど、同じように弾く必要はないんだよ」「合わないと思ったら無理に合わせる必要はないからね」そう語り、決して強制しないカザルスだったが、そのやり方に従えば自然といい音が出るので、結局みなそれに倣うようになったという。
幼き日のヨーヨー・マへのアドバイス
ほかの人たちとはちょっと違うアドバイスをもらった人もいる。ヨーヨー・マがカザルスにはじめて会ったのは1962年、彼がまだ7歳のときだった。父親が「私の息子ヨーヨーが、ほとんど毎日あなたのことばかり考えている」という手紙を書き、演奏を聴いてもらえることになったのだ。
85歳のカザルスの前で演奏したヨーヨー少年は何と言われたか。後年、彼は次のように回想している。
「チェロのことでカザルスに何と言われたかは覚えていません。でも、もっと外で遊ぶ時間をもらいなさいと言われました」
参考文献:
ロバート・バルドック著 浅尾敦則訳『パブロ・カザルスの生涯』筑摩書房 1994年
井上頼豊著 外山雄三・林光編『聞き書き井上頼豊: 音楽・時代・ひと』音楽之友社 1996年
岩崎淑著『楽興の瞬間』 春秋社 2017年
The New York Times:Why Yo-Yo Ma Would Invite Socrates to Dinner
cellobello :Conversation with Bernard Greenhouse
【関連楽譜情報】バッハ≪無伴奏チェロ組曲≫ カザルス解釈版 トーベル 著/天崎浩二 訳
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