
台湾クラシック音楽の現在地 オーケストラ編②


1970年生まれ。札幌市など複数の都市で育つ。早稲田大学政治経済学部、東京大学大学院総合文化研究科で学び、現職は東京理科大学教養教育研究院教授。近年は台湾を中心に、東...
前編①では2026年3月の前半に聴いた4団体の公演を通じて、台湾におけるオーケストラの布置を概観した。後編に当たる②では、同じ3月の前半に聴いた国家交響楽団(台湾フィルハーモニック、NSO)とエバーグリーン交響楽団(長栄交響楽団、ESO)の公演、さらに同月末に再び渡台して聴いたNSOの公演を取り上げ、両楽団の対比を軸に、台湾オーケストラ界に進む再編の内実にさらに分け入っていきたい。
3/15 国家交響楽団×反田恭平×ダンツマイヤー
3月15日、台北の国家音楽庁で再びNSOを聴いた。指揮はダーフィト・ダンツマイヤー。1980年オーストリア生まれで、現在はオレゴン交響楽団音楽監督を務める。そしてこの日の大きな目玉は、ソリストに迎えた反田恭平だった。
プログラムは、林智文(Tabiliah Baliax)《來自第五》、ブラームス「ピアノ協奏曲第1番」、シベリウス「交響曲第1番」。マーラー「交響曲第5番」にインスパイアされた台湾の若手作曲家の小品、日本のスター・ピアニストを迎えたドイツ・ロマン派の大作、そして北欧ロマン派の交響曲を並べる構成である。とくに後半のシベリウスは、この楽団の響きについて筆者が以前から感じていたある印象を改めて思い出させるものであった。
反田とNSOの関係は、昨年の初共演以来かなり友好的に続いている。今回はこの日のブラームスのコンチェルトに加えて、18日にはリサイタルをNSO主催で行ない、さらに9月には2026/27シーズン開幕コンサートでの出演が予定されている。
日本ではショパン・コンクール以後の華やかな活躍で知られる反田だが、実際に接してみるとかなり義理堅いタイプの音楽家でもある。終演後、NSO側が時間と場所を用意してくれたおかげで、筆者は反田とNSOのオフィス内で1時間余りざっくばらんに話す機会を得た。その際、彼は自分を「古いタイプの人間」と語り、「義理」という言葉を何度も口にした。大切に遇してくれる相手にはきちんと応え、そこで生まれた縁を次につなげていく。NSOとの関係が続いている背景にも、反田自身のそうした感覚と、それに応えるNSO側の丁寧な関係づくりがあるのだろう。
ブラームスは、反田の現在の持ち味がよく出た演奏だった。強い打鍵で曲を外側から形づくるのではなく、低音の支えと内声の陰影を生かしながら、ブラームス特有の重層的な響きを自然に広げていく。とりわけ第2楽章は、甘い抒情というより静けさのなかの緊張感。孤独な男が内面を独白しているかのようで、弱音の奥に言葉にならない感情が沈んでいた。
後半のシベリウス「交響曲第1番」では、ダンツマイヤーが若いシベリウスのロマン派的な熱と荒々しい推進力を生かしながら、音楽の流れを淀みなく引き締まった足取りで進めていた。音楽が高揚しても弦楽器の厚み、木管楽器の潤い、金管楽器の鋭さがクリアに響く。好調なときのNSOの音には、「アジア」のオーケストラという言葉から想像されがちな「濃さ」とはやや違った、厚ぼったくならない涼やかさを感じることがある。この感触が意外とシベリウスに合うのだ。
そこには、国家音楽庁という空間の響きも関わっている。このホールは残響が豊かであるいっぽうで、強く鳴らしすぎると音が混濁しやすく、日常的に使っていないオーケストラにとっては扱いが難しい。ここを長く本拠地としてきたNSOはそのクセの強さを飼い馴らし、音を押し出しすぎずに楽器それぞれの線をすっきりと届かせる身体感覚を経験的に育んできた。
そもそも筆者が台湾でクラシック音楽を集中的に聴くようになったのは、2017年に勤務校でめぐってきた在外研究がきっかけであった。その最初期に国家音楽庁で聴いたコンサートでNSOが冒頭に演奏したブリテン「フランク・ブリッジの主題による変奏曲」について、当時筆者はFacebookに「なかなかキレ味鋭く、ここがぬるっとした空気の台湾であることをちょっとだけ忘れさせてくれた」と書きつけている。南国のオーケストラなのに、湿っぽい熱気ではなくドライな透明感で聴かせるその響きは、どこか〈北〉へと開かれているようなところがあるのだ。その逆説的な肌触りはこの日のシベリウス「交響曲第1番」にも確かに通じていた。
現地Facebookの「酒曰酒樂」は、この日のNSOについて、二週の間に聴いた3つのコンサート(ほかに3月8日のESO、3月11日の TSO)のなかで、「ちょっと予想外だった」と前置きしながらも「完勝」と評した。筆者自身の印象もほぼ同様である。

3/29 国家交響楽団×呂紹嘉《第九》
筆者は16日にいったん帰国したが月末に再び渡台し、29日に国家音楽庁でもう一度NSOを聴いた。前半は台湾出身のテノール黃亞中(ホアン・ヤージョン)を中心とするオペラ名場面選、後半がベートーヴェン《第九》というプログラム。指揮はNSOの前音楽監督で、現在は「栄誉指揮(コンダクター・エメリタス)」の呂紹嘉(リュー・シャオジア)。
黃はヨーロッパを中心に活動し、とくにワーグナー《ニーベルングの指環》のミーメは当たり役として出演機会を増やしている。この日の前半では、後半の《第九》にも出演するソプラノの蕭涵(シアオ・ハン)、東京二期会のメゾソプラノ藤井麻美が、それぞれプッチーニ《ラ・ボエーム》、サン=サーンス《サムソンとデリラ》で登場し、黃と二重唱を披露。このほか《第九》の独唱陣には、昨年10月に台中でヴェルディ《リゴレット》のタイトルロールを歌った気鋭のバス陳翰威(チェン・ハンウェイ)もいた。合唱は台湾の複数団体のほか、東京オラトリオ研究会も加わった。
この日の《第九》は、いまでは珍しいほど正攻法の演奏。呂は公開リハーサル後のトークで、近年の古楽的アプローチから受けた影響にも触れていたが、実際の演奏はことさらに軽く鋭くする方向ではなく、むしろ作品の骨格を大きく捉えながら声部の関係を見通しよく整理していくものだった。もともと彼は、ディテールを一つひとつ支配するというよりも音楽の大きな流れを示し、そのなかでオーケストラの自発性を引き出していくタイプの指揮者である。
そしてNSOは、各奏者の自由な気風がかなり強いオーケストラだ。それは演奏に生気を与えるいっぽう、指揮者やプログラムによっては各パートの動きが噛み合わず、出来不出来のブレとしてあらわれることもある。彼らと長年付き合ってきた呂は、そうした性質を力で押さえつけるのではなく、楽団の呼吸として扱うことができるのだろう。
すべてが完璧だったわけではない。第1楽章や第2楽章には、もう少し緊張感があってもよいと感じる場面もあった。しかし第3楽章以降、呂の大きく構える姿勢はより説得力を増した。派手な解釈ではないが音楽を無理に煽らず、必要なところで響きを厚く保ち、全体を着実に積み上げていく手つきには安定感があり、奏者たちの自由さもその流れのなかで自然に束ねられていた。
この公演について現地Facebookの「豬耳藝術」は、NSOがようやく「原廠設定」に戻ったようだと評した。「原廠設定」とは、いわば工場出荷時の標準設定という意味である。もちろんそれは単純な褒め言葉ではない。そこには近年のNSOの響きや方向性に対する現地の聴衆の間に淀む複雑な思い、そして呂紹嘉時代のNSOを一つの「標準」状態として懐古的に記憶する感覚がふくまれている。現在の準・メルクル体制下のNSOをどう評価するかは、ここで簡単に結論づけるべき問題ではない。ただ、この日の《第九》が少なからぬ聴き手たちにとって「これこそがNSOだ」と感じられる類の演奏だったことは確かなのだろう。

3/13 エバーグリーン交響楽団×ズヴェーデン《第九》
時系列は前後するが、呂とNSOより半月ほど前の3月13日、台中国家歌劇院でズヴェーデンが指揮するESOの《第九》を聴いていた。
ESOはいま本気で変わろうとしている。台湾内部における既存の序列を一気に飛び越え、世界で存在を認められる楽団を目指すために、かつて香港フィルハーモニー管弦楽団を短期間で世界レヴェルに押し上げたズヴェーデンの経験をESOにも持ち込もうとしているのだ。海外でのオーディションによってズヴェーデンのコンサートで主要パートを担える水準の奏者を集めているのも、その意思の表れだ。3月の公演でコンサートマスターを務めた張庭碩(ジャン・ティンシュオ)もその一人。海外経験のある若い台湾人音楽家をさらに大きな国際舞台へ送り出すという方針もそこにはうかがえる。
海外公演の企画でも強気の姿勢が目立つ。本年6月にはいま注目の若手ヴァイオリニストHIMARIを帯同してシンガポール、7月にはバリトンのトーマス・ハンプソンとともに東京・新潟、さらにこれとは別に10月末には大阪・京都でも公演が予定されている。同じ外来オーケストラが同じ年に2度、日本のツアーを組むのは異例といってよい。企画力と資金力という点で、ESOはほかの台湾オーケストラを大きく引き離しつつある。
こうした急進的な手法は、練習に規律を与え緊張感を高める反面、既存の奏者たちの間には少なからず摩擦を生む。また、高額の報酬で優れた奏者を呼び込もうとするやりかたは、外部から見れば札束攻勢とも映りかねない。そのいっぽうで、NSOの奏者などのなかには、待遇面をふくめ台湾のオーケストラ全体の水準を押し上げる可能性があるものとして、最近のESOについて冷静かつ好意的な見方をする向きもある。ESOにも元来実力ある奏者はおり、厳しい体制が奏者たちの自発的な努力を促す側面もあると聞く。いずれにせよ、ここまで踏み込んだ攻めかたは、財力のある大企業を母体に持つESOでなければできない。
そうした両義性を踏まえた上で、13日のベートーヴェン《第九》の話に戻ろう。ソリストはルーシー・クロウ(S)、クリスティーナ・ボック(Ms)、ブライアン・ジェイド(T)、アレクサンダー・ヴィノグラドフ(Bs)。当初ソプラノに予定されていたアイリーン・ペレスから変更されたとはいえ、名前だけ見れば期待を抱かせる布陣である。だが実演では女声二人が精彩を欠き、男声二人が舞台を支えていた。
問題はオーケストラだ。テンポはアグレッシヴで響きの圧も強く、アインザッツの鋭さや駆動力にはズヴェーデンの強い統率がよく表れていた。だがその強さはしばしば過剰で、音楽が呼吸する前に次から次へと押し出され、瞬発力として消費されてしまう場面が少なくなかった。
この印象は、筆者が2025年7月に衛武営で聴いたベートーヴェン「交響曲第5番」にも通じる。このときはズヴェーデンの指揮の異常な速さに、わざとリハーサルで積み上げてきたものとは違う速度で本番のオーケストラを煽ることによって奏者の瞬発力を試し鍛えようとしているのではないか、とすら感じたのを覚えている。
断っておくが、本来ズヴェーデンは力押し一辺倒の指揮者というわけではない。筆者はこれまで彼の振るワーグナーのオペラを何度か聴いてきたが、そこでは音色や呼吸を細やかに扱う豊かな音楽性が感じられる場面も確かにあった。オペラでは、押し出しの強さが歌手や舞台の動きと結びついて劇的な効果を生むこともある。だが現在のESOとのベートーヴェンでは、その「強い」側面がいささか前面に出すぎ、交響曲としての構築や呼吸との関係において扱いの難しさを露呈しているように聴こえる。

エバーグリーンという〈文化〉
世界水準のシンフォニー・オーケストラを目指して邁進するズヴェーデン体制のESOだけを見て、このオーケストラを語り切ることはできない。大まかに言って現在のESOでは、ズヴェーデンが振る公演を軸にした編成と、それ以外の公演活動を担う編成とがあり、同じ楽団名のもとで別々のオーケストラが併存しているような状態だ。
ESOといえば、女性奏者たちがまとうエメラルドグリーンの華やかなドレスを思い浮かべる人が少なくなかった。昨年末頃からズヴェーデンとの公演では黒い衣裳が用いられるようになったが、今年1月28日に開催された張栄発没後10年記念音楽会では、このグリーンの衣裳が再び登場し、かつてESOのコンサートを特徴づけていた台湾民謡の数々が演奏された(https://www.evergreensymphony.org/news/626)。
台湾民謡の管弦楽版演奏は、ESOが最も先駆的に開拓してきた分野である。鄧雨賢(とう・うけん 1906-1944)が日本統治時代に作曲した台湾語歌謡は、とりわけその中核をなす重要なレパートリーだ。戦後の国民党政権下の戒厳令期、台湾語の歌が公的な場から遠ざけられた時代にも、鄧の歌は人々の記憶のなかで歌い継がれてきた。単に「懐かしい」だけにとどまらない社会史的な意味があるのだ。
台湾人でなくとも同社の飛行機でこの島を往来したことのある人ならば、機体が着陸する際に流れる《雨夜花》や《望春風》のメロディに強い旅情や郷愁を掻き立てられた経験があるかもしれない。いまでは台湾各社が採用している台湾語による機内アナウンスも、かつてはエバー航空の売りの一つだった。
張栄発にとってこれらは、個人的な愛着を超えて、国際的な企業グループである長栄が台湾に根を張る存在であることを示す文化的な記号でもあった。ESOはいわばその企業のエートスを音楽のかたちで体現してきたオーケストラである。いまズヴェーデンのもとで世界へ向かおうとするESOと、台湾民謡の響きを担ってきたESOは別のものではない。出自としての〈台湾〉を色濃くまといながら運輸と交通のネットワークによって世界を股にかける一つの企業から生まれている。その二つの営みのカラーはどちらも「グリーン」なのだ。
ただし、それも時代の変化と無縁ではない。ESOが創設された2000年代初頭、台湾民謡をオーケストラで演奏することには、台湾語文化の記憶を公的な響きへと引き上げる意味があった。しかし、鄧雨賢の歌曲が〈台湾〉アイデンティティを象徴するレパートリーとして広く認知されるようになった現在、緑のドレスも台湾民謡の編曲も、放っておけばノスタルジアを消費するだけの記号に堕しかねない。だからそこに立ち止まっていてはESOが次の段階へ進めない、ということは事実だろう。
とはいえ、現体制下での急激な改革が、歌や旋律と結びついた土壌の記憶を置き去りにしてよいわけではあるまい。なぜなら、ESOが世界で存在を認められるとしても、それはどこにでもある国際標準として(だけ)ではなく、やはり「台湾の」楽団としてで(も)あるはずだからだ。おそらくこれは、クラシック音楽と〈アジア〉あるいは〈非西洋〉との関係を考える上での普遍的な問いでもある。近い将来、ESOがその問いに対して彼らなりの回答を提示し得るのか否か。まだ相当に時間はかかるだろうし、果たしてゴールのある道のりなのかどうかすらわからない。それでも、台湾のオーケストラのなかで最もその答えに近い地点にすでに彼らが立っている、という可能性はある。

台湾のオーケストラ界、その現在地
台湾のオーケストラ界を考えるとき、「国家級のNSOを頂点とし、国立・市立・民間の楽団がその周囲に並ぶ」という単純な図式では描き切れない。3月の公演群から見えたのは、公的制度に支えられた楽団群の横に、民間資本による積極果敢な動きを前面に出すESOが現れ、その構図を内側から揺さぶりはじめているという現況であった。その揺れは単純な「進歩」あるいは「破壊」として片づけられるものではない。
ここでいま生じているのは、単なる演奏水準向上の競争ではない。人材獲得、報酬、練習環境、海外への発信といった具体的な問題を通じて、オーケストラという制度そのものをどのように作り替えていくのかが問われている。同時に、グローバルな志向とローカルな場所性に根差す感覚をどう結び合わせるのかという、より大きな問題もそこには重なっている。音楽に限らず、現代台湾の文化表現はつねに「〈台湾〉とはなにか」という問いを内側に抱えている。「台湾らしい」メロディを演奏会で響かせることも、あるいは国際的に評価されるようなレヴェルを目指すことも、どちらかだけでその問いに答えることにはならない。むしろ、そうした相反する要素を同時に抱え込まざるを得ないところに、現在の台湾社会の難しさとおもしろさがある。
台湾におけるクラシック音楽は、ヨーロッパの縮小版でもなければ、日本を中心とする視線の周縁に位置づけられるものでもない。そこには台湾固有の制度、歴史、文化的記憶が折り重なった独自のサウンドスケープがある。それらを聴くことは、単に「近場の海外」で手軽にヨーロッパ音楽を楽しむことではない。クラシック音楽という文化のシステムが台湾という場所でどのように組み替えられ、どのような新しい意味を帯びているのかを読み取るスリリングな知的経験なのである。
***
その音楽風景はオーケストラだけを見ていても十分には捉えきれない。それぞれの演奏団体がどのような空間で音を鳴らし、どのような文化政策のなかで活動しているのか。次に目を向けるべきなのは、台湾各都市のアーツセンターである。
関連する記事
-
インタビュー東京都交響楽団ヴァイオリン奏者・塩田脩さん「都響と石田組の両方で成長できる」
-
読みものラヴェル《ボレロ》の「新」名盤3選〜楽譜や楽器のこだわり、ラヴェルの故郷のオーケ...
-
連載【音楽が「起る」生活】読響とN響の演奏会形式オペラ、シフの親密な室内楽、他
ランキング
- Daily
- Monthly
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly
新着記事Latest

















