【連載】プレスラー追っかけ記 No. 1 <マスタークラス聴講:前編>
94歳の伝説的ピアニスト、メナヘム・プレスラー。これは、音楽界の至宝と讃えられる彼の2017年の来日を誰よりも待ちわび、その際の公演に合わせて書籍を訳した瀧川淳さんによる、来日期間中のプレスラー追っかけ記です。
『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』(ウィリアム・ブラウン著)訳者。 音楽教育学者。音楽授業やレッスンで教師が見せるワザの解明を研究のテーマにしている。東京芸術...
94歳の伝説的ピアニスト、メナヘム・プレスラー——音楽界の至宝と讃えられる彼の2015年の来日公演が体調不良でキャンセルになった際には、誰もが「もう生で演奏を聴くことはできないのかもしれない……」と落胆したものです。しかし、心臓バイパス手術を経て復活、待望の来日リサイタルが2017年10月16日“一夜限り”で実現しました。
その彼の来日を誰よりも待ちわびていた人がいます。公演に合わせて発行した『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン~音楽界の至宝が語る、芸術的な演奏へのヒント』(音楽之友社)の訳者・瀧川淳さんです。
今回の来日では、体調を考慮してゆったりした日程が組まれ、プレスラーさんは10月9日~23日と約2週間にわたって日本に滞在。特別マスタークラスも10月12日に行われましたが、瀧川さんはその来日期間中、大学の講義の合間をぬって熊本と東京を4回も往復し“追っかけ”。そのたびにテンション高めのメールを編集担当とやりとりしていたのです。
そこで、せっかくなので「追っかけ記」としてまとめていただくことを提案したところ、快諾。音楽之友社の出版部書籍課FaceBookにてほぼ週1で連載していたのですが、当初予定より随分文字数が増えてしまったため(汗)オントモ・ヴィレッジ内にこのサイトをオープンし、バックナンバーもまとめてお読みいただけるようにいたしました。
どうぞ、お気楽におつきあいください。 ――音楽之友社 出版部書籍課
メナヘム・プレスラーとの対面から1カ月が過ぎたけれども、未だ僕の脳裏には天井から降り注ぐあの響きが残っています。
「私の演奏や響きが、演奏会の後もずっと残ってくれることを願っています」とプレスラーは語っていましたが、まさに思う壺というべきか。
ただこれには良いことばかりでなく、困ったこともあります。僕は地方国立大学で大学教員をやっていて、普段から学生の演奏を耳にすることが多いのだけれども、心が「違う!」と叫んでしまうのです。これはある意味しかたがない。レベル云々の前に、プレスラーは「ピアノ」ではなく「プレスラー」という楽器を奏でたのだから…。でも誰もが「ピアノ」を「プレスラー」という楽器に近づけるヒントはあります。そう、『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』を手にとっていただければね。
マスタークラス会場に姿を現したプレスラーさん。
プレスラーさんと握手しているのは、愛弟子のピアニスト・寺田悦子さん。
さて、担当編集者さんに無理をお願いして(感謝)実現したプレスラーのマスタークラス聴講。
サントリーホールのリハーサル室に姿を現したプレスラーを目の当たりにした僕の第一印象は「なんと小柄!」。しかし、その場の全員を包み込むような優しいお人柄を遠目にも感じられました。足が相当悪いようで、歩くには介添えを常に必要としていました(リサイタル本番もそうしていましたが、車椅子を使わず自分の足でピアノまで行くことに信念のようなものをお持ちなのかもしれません)。そのため、マスタークラスも演奏者に対面する形で終始座ったまま行われました。
受講するのは桐朋学園大学在学中の3人組「トリオ デル アルテ」と、加藤陽子(vc)と稲生亜沙紀(p)の2グループで、前半はシューベルト作曲ピアノ・トリオ変ロ長調D.898から第1楽章。後半はブラームス作曲チェロ・ソナタ第1番ホ短調作品38。およそ2時間半にわたるレッスンを実に精力的に、そして雄弁にこなされたのがなにより嬉しかったです。
今回のマスタークラスは、全体的に楽器間のバランスの取り方に随分時間が割かれ、また弱音の箇所では何度も「もっと小さく」、「鍵盤をなでるように。打鍵の音が聞こえないように」と楽器の極限まで静かな音を求められていました。
そして時には厳しい声で「違う!」と言い、満足するまで何度も弾かせていました。『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』の中でも「芸術作品を前に、どんな人にも真剣に教えることしかできない」と言っていますが、現役の学生相手のマスタークラスといえど、自分自身が生涯をかけて追求している芸術に対して、ただ優しく表面的にやり過ごすこのなど絶対にできない誠実さを感ぜずにはいられませんでした。
「すべての表現は楽譜に則っています。作曲家は何を求めているのでしょうか。彼を満足させてあげましょう」
(『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』第9章・音楽的な演奏の原理「楽譜に忠実であること」より)
とにかく長年の人生経験や演奏経験、また膨大なレパートリーに対する知識と深い理解によって、楽譜の奥深くまで読み取り、作曲家の語法に基づいて若者たちに“音楽”とは何か、“演奏”とは何かを我々に伝えてくれたのです。
そしてプレスラーのレッスンを受けて、受講生たちの奏でる音がより生き生きと語りかけ、またアンサンブルは精度が高まっていくのを目の当たりにすることができました。
少し詳しく紹介しましょう。……(つづく)
1923年、ドイツ生まれ。ナチスから逃れて家族とともに移住したパレスチナで音楽教育を受け、1946年、ドビュッシー国際コンクールで優勝して本格的なキャリアをスタートさせる。1955年、ダニエル・ギレ(vn.)、バーナード・グリーンハウス(vc.)とともにボザール・トリオを結成。世界中で名声を博しながら半世紀以上にわたって活動を続け2008年、ピリオドを打つ。その後ソリストとして本格的に活動を始め、2014年には90歳でベルリン・フィルとの初共演を果たし、同年末にはジルベスターコンサートにも出演。ドイツ、フランス国家からは、民間人に与えられる最高位の勲章も授与されている。また教育にも熱心で、これまで数百人もの後進を輩出してきた。世界各国でマスタークラスを展開し、またインディアナ大学ジェイコブズ音楽院では1955年から教えており、現在は卓越教授(ディスティングイッシュト・プロフェッサー)の地位を与えられている。
『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン(原題:Menahem Pressler : Artistry in Piano Teaching)』著者。
インディアナ大学でメナヘム・プレスラーに師事し、その間、ピアノ演奏で修士号と博士号を取得。ソリスト、室内楽奏者として活躍するかたわら、アメリカ・ミズーリ州にあるサウスウエスト・バプティスト大学の名誉学部長ならびにピアノ科名誉教授でもある。ミズーリ州音楽教師連盟前会長、パークウェイ優秀教師賞受賞。『ピアノ・ギルド・マガジン』や『ペダルポイント』誌などへの寄稿も多数。
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