【連載】プレスラー追っかけ記 No.3
<リハーサル編>
94歳の伝説的ピアニスト、メナヘム・プレスラー。これは、音楽界の至宝と讃えられる彼の2017年の来日を誰よりも待ちわび、その際の公演に合わせて書籍を訳した瀧川淳さんによる、来日期間中のプレスラー追っかけ記です。
『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』(ウィリアム・ブラウン著)訳者。 音楽教育学者。音楽授業やレッスンで教師が見せるワザの解明を研究のテーマにしている。東京芸術...
1回限りの来日リサイタルが開かれた10月16日のお昼時。プレスラーさんのゲネプロ(本番前の会場リハーサル)を聴かせてもらいました。
『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』に出合って初めて接するプレスラーの生音――興奮を抑えることができないのも当然かもしれませんが編集担当さんとの約束の時間より1時間も前に会場に到着する始末……。
どうしてリハーサル見学なのか?
『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』は、単なるレッスン本ではなく、芸術としての音楽に対するプレスラーの哲学と、それを音に実現するためのテクニックが余すところなく書かれた本です。そしてこの本の大半を占めるレッスンの記述は、演奏を“芸術にするための過程”が描かれています。
要するに、彼の哲学とテクニックはどのようにして“音化”されるのかを確認するために、本番だけでなくリハーサルも聴くことで、彼がどのように音づくりをしているのかを知りたかったのです。
開始予定の時間からプレスラーさんが姿を見せるまで30分ほど。その間、最後の最後までピアノを微調整されていた調律師さんの仕事ぶりを遠目に眺めていましたが、そのプロフェッショナリズムは見事なものでした。
調律師の仕事はピアノの音を調整するだけではありません。ピアニストが最高の音楽を奏でられるよう調整します。例えば、プレスラーさんは高齢のため、普通のピアノ椅子に座って弾くことが難しい。
そこで少しゆったりとした背もたれのある椅子が用意されていたのですが、それにプレスラーさんが座って違和感なく演奏できるよう、さまざまな厚みや形のクッションを試していました(リハーサルでは、クッションは剥き出しのままでビジュアル的にはあまり美しくなかったのですが、本番では黒の布の綺麗に包まれて全く違和感がありませんでした)。
10月16日のチラシ
お昼前から始められたリハーサルは途中休憩なしに正味1時間半、通しで行われました。この時間のほとんどをモーツァルトに費やし、そのほか、ヘンデルとショパンの《バラード》の確認をしていました。
『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』の中でも本番に対する準備について詳説されていますが、どの曲もまさに書かれてある通りの進め方でした。
ヘンデルとショパンの《バラード》は、難しい箇所を最初は片手で→→次にもう一方の手を加え→→またテンポを様々に変え→→フレーズを徐々に長くしながら、何度も確認していました。
これは弾きにくい箇所のテクニックの確認などではなく、和声進行に基づくフレーズの始まりと終わりをいかに表現するかを確認する作業だと感じました。
そしてモーツァルトは、転調を伴う箇所、和声が込み入った箇所、そしてフレーズのまとめ方を繰り返し、繰り返し、確認。丹念に弾きこんでいました。
それにしてもなぜこんなにも音と音が自然な抑揚を持ってつながるのでしょう! まるで弦楽器の演奏を聴いているようだし、(ピアノでは不可能だとわかっていても)所々、ポルタメントに聴こえます。
◇ ◇ ◇
驚いたのは、本番数時間前のリハーサルにもかかわらず、何度も楽譜へ書き込みをしていたこと。
この晩のプログラムはすでにヨーロッパでも何度か演奏しているはず。完成されたものを確認し、ホールの響きやピアノの状態を知るだけのリハーサルではなく、最後の最後まで作曲家の声、曲の声を聴き、最善を求め続ける姿を目の当たりにしました。
「作曲家よりも自分を偉いと思ってはいけません」とは、『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』の中の言葉。そして「私は緩徐楽章に多くの時間をかけます」という言葉の通り、ソナタの2楽章にとりわけ時間をかけて丁寧にさらっていました。
ちなみに、プレスラーさん自身の日々の練習方法(自作のテクニック練習用楽譜含む)やレッスンでの指導内容は『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』に詳しく紹介されているので、ご自身でピアノを弾いたり指導をなさっている方はぜひ参考にしてみてください。
もう一つ驚いたことがあります。
たいてい、リハーサルでは調律を終えたばかりのピアノもホールもまだ眠った状態にあり、演奏者が徐々にその眠りを覚ますものです(そして私は、この時間がこの上なく好きなのです)。しかしプレスラーさんは、最初の1音からもうすでに本番で聴いたあの音色と空間を作り出すことができたのです。
フメクリスト(笑)という副業を持つ私は、これまで多くのリハーサルに立ち会ってきましたが、こんな経験は初めてのこと。出会った瞬間から相思相愛の関係です。
「私のやり方を習得できれば、どのホールのどんなピアノでも同じように弾くことができます」とは、こういうことなのでしょう。もしかすると、プレスラーさんは(ピアノ限定ですが)、相当なプレイボーイなのかもしれません(笑)。
◇ ◇ ◇
また、印象的だったのは、リハーサル終了直前に静かに両手を鍵盤に添え、頭を垂れてピアノをじっと見つめられていたプレスラーさんの姿。
まるで“音楽の神様”に祈りを捧げながら、相棒となったピアノに「さぁ、今夜は一緒に羽ばたこう。よろしくね」と言っているようでした。この音のない数分間の後、プレスラーさんは、秘書の手を借りて静かに上手からホールを後にしました。
写真は、プレスラーさん到着前の調律シーン。リハーサルで、プレスラーさんはフレージングについて、気になるところは何度も確認し、楽譜に書き込みをしていました。
「楽曲の持つ特徴やメッセージは、演奏家がその楽曲のフレーズを際立たせることによってのみ聴衆に伝わるとプレスラーは考えている。プレスラーは次のように述べている。『あなたにとっては、弾きこなすことができたのだから楽しいでしょう。でも聴き手は、この曲からあなたの思いが伝わらなければ、 楽しくありません』」(『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン』9章「フレージング」より)
調律師の方とは面識がありましたので、リハーサル後に、少しお話をしました。プレスラーさんは、リハーサル前もその最中も彼の調律に一切注文をつけず、一言「すばらしいピアノだね」と言っていたそうです。
そして、同日夜に行われたリサイタル本番。その様子は次回お話ししたいと思います。
(つづく)
1923年、ドイツ生まれ。ナチスから逃れて家族とともに移住したパレスチナで音楽教育を受け、1946年、ドビュッシー国際コンクールで優勝して本格的なキャリアをスタートさせる。1955年、ダニエル・ギレ(vn.)、バーナード・グリーンハウス(vc.)とともにボザール・トリオを結成。世界中で名声を博しながら半世紀以上にわたって活動を続け2008年、ピリオドを打つ。その後ソリストとして本格的に活動を始め、2014年には90歳でベルリン・フィルとの初共演を果たし、同年末にはジルベスターコンサートにも出演。ドイツ、フランス国家からは、民間人に与えられる最高位の勲章も授与されている。また教育にも熱心で、これまで数百人もの後進を輩出してきた。世界各国でマスタークラスを展開し、またインディアナ大学ジェイコブズ音楽院では1955年から教えており、現在は卓越教授(ディスティングイッシュト・プロフェッサー)の地位を与えられている。
『メナヘム・プレスラーのピアノ・レッスン(原題:Menahem Pressler : Artistry in Piano Teaching)』著者。
インディアナ大学でメナヘム・プレスラーに師事し、その間、ピアノ演奏で修士号と博士号を取得。ソリスト、室内楽奏者として活躍するかたわら、アメリカ・ミズーリ州にあるサウスウエスト・バプティスト大学の名誉学部長ならびにピアノ科名誉教授でもある。ミズーリ州音楽教師連盟前会長、パークウェイ優秀教師賞受賞。『ピアノ・ギルド・マガジン』や『ペダルポイント』誌などへの寄稿も多数。
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