何気ないコーヒーカップから見えてくるサリエーリとベートーヴェンの対話
配信だけではもったいない! 演奏が素晴らしいのはもちろん、思わず飾っておきたくなるジャケットアートをもつCDを、白沢達生さんが紹介する連載。12cm×12cmの小さなジャケットを丹念にみていると、音楽の物語が始まります。
英文学専攻をへて青山学院大学大学院で西洋美術史を専攻(研究領域は「19世紀フランスにおける17世紀オランダ絵画の評価変遷」)。音楽雑誌編集をへて輸入販売に携わり、仏・...
絵や写真を構成する要素として、意味はなくともなんとなく「場が持つ」モチーフというのがあります。
たとえば、楽器。細部の何気ない装飾が美しいヴァイオリンなど、置いてあるだけで目をひくオブジェになりますし、花や果物も場に絶妙な彩りを添えてくれます。風景のどこかに愛らしい動物や歴史的建造物を配したり、室内の壁紙や窓の位置を工夫したりして、画面のかなりの面積に意味を持たせることもできるでしょう。
卓上に置かれたワイングラスやコーヒーカップも、そうした空間演出の小道具的役割を演じてくれます。器と中身で色にコントラストをつけるもよし、なんとなく似た色にしてニュアンスを漂わせるもよし。テーブルクロスの色や卓の素材感しだいでも、美しい演出効果が期待できるでしょう。
さて——今回選んだアルバムのジャケットも、一見したところそういう「なんとなくおしゃれな雰囲気の演出」くらいな意味で、2つのコーヒーカップを上から覗き込んだ写真が使われている様子。でも、どうしてカップは2つ? なぜコーヒー?
アルバム内容をよく掘り下げてゆけば、そこに込められているであろう意味が徐々に浮かび上がってくるのでは……もう少し詳しく見てみましょう。
コーヒーでつながる2人の作曲家
ジャケットには「対話するサリエーリとベートーヴェン SALIERI & BEETHOVEN in Dialogue」とあります。作曲家の名前が2つ。実際、プログラムはこの2人の音楽だけで構成されていて、両者の作品を対置させたものとわかります。
演奏はハイデルベルク交響楽団。数年前に不慮の事故で退陣したトーマス・ファイのもと、金管に無弁の古楽器を使うなど、18世紀当時の奏法や演奏習慣をふまえハイドンの交響曲を続々録音し、そのスタイリッシュな音楽性が高く評価されてきた団体です(現在もヨハンネス・クルンプがその解釈姿勢を継いでハイドンの交響曲録音を続行中)。古典派音楽の的確な解釈に向いている団体で、ここでも各パートの対比が面白い音作りの妙を鮮やかに浮き彫りにした演奏を聴かせてくれています。
ハイデルベルクは歴史ある大学都市で、作曲家シューマンや詩人アイヒェンドルフ、哲学者ヘーゲルや「ベルリンの壁」崩壊時のドイツ連邦首相コールなどが学んだところ。確かにコーヒーを挟んで延々と議論に花を咲かせる学業の徒も多いことでしょう。ジャケットのイメージにぴったりです。
でも、もう少しよく考えてみれば……そういえばベートーヴェン、大のコーヒー好きではありませんでしたか? きちんと豆を60粒数えて自分で淹れるほど、こだわりをもってコーヒーに接していたことで有名な歴史上の人物の一人ですね。
そして……好んで酒は飲まないかわり、甘いものには目がなかったというサリエーリもまた、コーヒーと無縁ではない作曲家だったのです。
「子どもの頃は、音楽と読書と砂糖のことばかり考えていた」という証言も残っているサリエーリは、両親を早くに亡くし、10代半ばで皇室作曲家ガスマンに才能を見出されウィーンにやってきました。18世紀当時すでに同市に花開いていたコーヒー文化の中で、彼はさまざまな傑作オペラをものにし、国際的な名声を得てゆきます。宮廷作曲家としてサリエーリを重用しつづけた皇帝ヨーゼフ2世の妹マリー=アントワネットも、幼少時に音楽教師をしてくれた大家グルックが推薦する若手としてサリエーリに注目、そのパリでの躍進を助ける立場になりました。
絵はヴィッリブロート・ヨーゼフ・メーラーによって1815年、65歳のころに描かれた。
しかし、やがてフランス革命の嵐が欧州に吹き荒れます。ルイ16世もマリー=アントワネットも人民の側に立ち続けていたものの、革命の渦中で怒号を浴びる側に追いやられ、命を奪われました。周囲の国々が団結してフランスへの資源流入を阻むと、革命政府は対外戦争に乗り出し、いつしかナポレオン指揮下の攻勢に押されてオーストリアも戦場になってゆきます。当然、物流も平和な頃のようにはいかなくなりました。
そんなある朝、仕事前の習慣でカフェに入り、いつものように「カフェ・コン・ラッテ(ミルク入りコーヒー)を」と注文したサリエーリでしたが、給仕は一瞬きょとんとして、悲しそうに頭を振るばかり。イタリア語が通じない給仕かと思いきやさにあらず、なんと、物流が止まってコーヒー豆が入ってこなくなってしまい、注文に応じられないというのです。それでインスピレーションが止まってしまい、その日はあまり仕事が振るわなかったそうですから、サリエーリがいかに日々の活力源としてミルク入りコーヒーを常用していたか察せられますね。
このあたりの話題は、サリエーリと18世紀の食の紹介に注力した素晴しき奇書『宮廷楽長サリエーリのお菓子な食卓』(遠藤 雅司著 春秋社刊)という本に詳しく書かれていますので、ぜひご一読を。
レッスンと対話から生まれた作品たち
そんなことがウィーンの片隅であった頃、コーヒーにこだわりありの男・ベートーヴェンは多くのソナタや協奏曲、最初の交響曲などを成功させ、作曲家としての本格的なキャリアを歩み出していました。
本当に大物と認められるためにもぜひオペラを書いて成功しておきたい、しかし声楽の作曲に関しては未だ実績の手ごたえを得られていないのが現実……そこで彼が齢30を超えて改めて教えを乞いにいった先が、宮廷から確かな年俸を保証されている中、才能ある後進の育成は無料で引き受けていたサリエーリのところでした。
フランスでナポレオンが政権を握り、19世紀が始まった頃、サリエーリは人気の移り変わりの激しいオペラの現場から徐々に退いて、宮廷の公式行事のための祝典音楽を書いたり、後進の育成に尽力したりといった仕事に活動の主軸を移してゆきました。他の作曲家たちの仕事の手助けも積極的に行ない、ハイドンやベートーヴェンの作品初演にさいして指揮を務めたりもしています。
そんな折、両者の対話の中で生まれた作品を集めたこのアルバム。サリエーリの音楽は世界初録音曲を2作含み、その晩期の新境地にはベートーヴェン作品からの刺激も意外に影響を及ぼしていたらしい様子が窺えます。またベートーヴェンの曲も比較的珍しいものが選ばれ、サリエーリから得た多大な恩恵のありようを知ることもできます。
両者はレッスンのあと、このジャケットにあるようにコーヒーを挟んで、2人でいろいろな話に花を咲かせていたかもしれません。きっと、ミルクの入っている方がサリエーリのカップでしょう。そう考えつつ改めて眺めてみると、カップの位置が微妙にずれていて、なんだかサリエーリの出身地ヴェネツィア共和国と、ウィーンがあるオーストリアとの位置関係のようにも見えてきたり……。
ティモ・ヨウコ・ヘルマン指揮
ハイデルベルク交響楽団
ディアナ・トムシェ(ソプラノ)ジョシュア・ホワイトナー(テノール)他
Hännsler Klassik(ドイツ)2021年3月発売
HC20067(原盤)※日本語解説なし輸入盤のみ日本流通
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